Can you give me wake up kiss?





目の前にある、伸ばしざらしの髪を、ひとふさ手に取った。
「もう、いい加減、切らなくちゃ」
そのまま滑らすように髪を梳いていく。
だけれど、伸ばしざらし長い間放っておかれたそれは、滑らかに手を滑るはずなくざらざらとして、傷んでいることをこの手の中強調させた。
「それとも、慣れてしまった?」
覗きこんだシリウスの顔を見て、私は微笑んだ。



目の前にいるシリウスは、ここ1年の間世間を騒がせたアズガバンの脱獄者。
12年前彼がアズガバンに送られたとき、なにかの間違いだと思っていたけれど。
私がなにをすることも、できることなくて。
ただ、ホグワーツでの学生時代、たしかに私は彼や、彼の友人たちと笑いあっていて。
密かに、シリウスに思いを寄せていて。
卒業してしまっても、たまに連絡を取り合っていて。

突如知らされた友人たちの死と、裏切り。
驚きと疑惑が私を襲ったわ。
だけどなにもできなかった。
なにもできないまま月日だけがどんどん過ぎていった。
やりきれない思いも、薄っすらと、消えていこうとするほどに。

そうしてやっと、いこうとしたとき。
貴方は私の目の前に現れたんだわ。

人通り少ない街路。
都会の喧騒を嫌う私は、人少ない田舎町の広々とした土地に、ひとり住んでいた。
山ほどの花の植わるガーデンに、小さな赤い屋根の家。
いつか、ここに、みんなで来て欲しかった。
そして、あの頃に帰って話したかった。
叶わぬ願いを、未練たらしく胸に抱き、風化したのか、それとももう無意識の境地に入ってしまったのか、どちらか。
そうして夏も終わり、秋の花が咲く季節に、長い髪をたなびかせ、貴方はここに。

「久しぶりだな、

ええ、もう、本当に。
すっかり変わり果ててしまった外見。
一瞬、誰だか首を傾げて数秒後、やっと、その変わらぬ強さを持つ瞳にシリウスだと気付いた。

しばらくここにいてもいいかと問う彼に、私は涙を滲ませて、ええ、と答えた。



私はなにも聞かなかった。
彼もまたなにも言わなかった。
それでいいの。
そっと、思い出したように思い出を呟いて、ふたり微笑みあう。
穏やかなこの時を、安らかに過ごして。
つかの間の幸せを感じているのだから。

部屋中に漂う香りは、先ほどオーブンに放り込んだスコーン。
もうほんの少しで焼きあがるだろうそれに、ティーセットを用意して。
好みの葉をいくつか選んだオリジナルブレンドティー。
ミルクとレモンと角砂糖も用意して。
穏やかな午後の休息。
焼きたてのかぼちゃのスコーンをバケットに移してテーブルへ。
リンゴのジャムと、バターと、クリームも忘れず。
紅茶の香り漂う中、昔を振り返ったわ。



「……髪、切ってあげるね」
始め私の目の前に姿を現したときよりは、幾分か艶の戻った髪。
それでも、昔とはかけ離れてしまっているけれど。
手にとったはさみで、長い髪を大まかに肩まで切り落としてしまう。
それなりに長さのある髪は、重さもそれなりにあって、パサリパサリと音を立ててフローリングに落ちていった。

ああ、この髪の長さは、あの日から今日までの長さなのですね。
私は、待つこともなにもできずにいたけれども。
それでも、そんなことだけはちゃんと思ってて。

整えて切って、昔のように、昔に近づけるように。
ゆっくりと、丁寧に、チョキンと切って。

「ここに、みんないたら良かったのにね」
昔のように、みんながいたらよかったのに。
変わらず笑っていられたら良かったのに。
「ジェームズとリリーに、おめでとうって直接言ってないし」
ハラリと、フローリングへ落ちる彼の髪。
私の手はゆっくりと動く。
「おいしいチョコのお店見つけたこと、リーマスに言いたいし」
紅茶の香りが心地よく漂う。
気分はどこか曖昧と漂っていた。

「……シリウス、あのね、私、貴方に言ってないことがあるのよ」
ひとつ、またひとつと切るたびに思い出す。
学生時代の思い出を、鮮明に。
まるで昨日のことのように。
「私、貴方が好きだったわ」

思い出の貴方に言うように。
まるで思い出を話すように。

「オレも、が好きだった」





翌日、シリウス・ブラックは私の目の前から姿を消した。
ほんの数日。
それだけの時間。
まるで幻かと思ってしまうほどに、儚く、あっけなく。

だけど、確かに残るシーツの温もりと、フローリング上散らばったままのの髪とテーブルの上のはさみ。
それだけが夢でないのだと実感させるすべての術だった。







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こう、伝え切れなかった過去の想いへの決着と決別みたいな。
そうして彼はアフリカに行くんですね(笑

なんとなーく雰囲気を楽しんで頂ければ愚の骨頂です。

2003/8/18   アラナミ