美しい人の目を引きつける薔薇に棘があるように、彼の人にも棘がある。どんなに愛しくて手を伸ばしても、その頬も、手も、アイスブルーの瞳も、微笑みも優しさも美しさもなにもかもが、私の掌に棘を、そして鮮やかな血を流させた。―――優しいくちづけすら、棘を含んで。







For you











 もしもその背になにも負うことなく安穏と日々を過ごすだけであったならば、私たちの行き先は随分と違ったものになっていただろう。幾度となく思い馳せたけれど、相変わらずの現実に、いつしかそれは儚い夢幻の戯言なのだと思うようになった。だってあの人の背には責任と重圧、誇りと気高さと、正統で穢れなき古からの血族としてのすべてが乗せてあったのだ。
 そして、私は彼の家に一番近い場所に住んでいる、純血の家族の娘ということだっただけ。たまたま、あの大きな家のご子息と同い年だった、ということもあるのかもしれない。私は彼の姿や顔も知ることなく11年という年月を過ごし、遠く大人たちの話し声からあの家が魔法使いたちの中で最も気高い一族の家系であるマルフォイ家だと知り、魔法界でも指折りの名家だと知り、同い年の男の子がいることを知った。
 それでも結局それは、私にとって日常を暮らす上では大して重要なことではなく、ただ世界が違う人だという認識の元、まるで風化される砂のように聞き流していた。遠く―――魔法族としか交わりのない純血の家系では、今となってはすべてが親戚のようなものだったけれど。けれど、そのような家の人が、まさかホグワーツに来ることがあるなんて、思いもよらなかった。


 ホグワーツの新入生はマグルであろうがなかろうがみんなすべて、初めて訪れ、ましてやこれから暮らし、学んでいく場所を見ては視線をさまよわせ、不安と緊張を抱えて組み分け帽子を被ったというのに、その人は一糸迷うことなく立ち居振る舞い、美しく佇んでいたのだ。新入生にしてはしっかりしずきて、あまりに美しくて、あまりに大勢のものたちの目を引き付けていた。少し長めの銀髪がとても艶やかで、白い肌によく映えており、その宝石みたいなアイスブルーの瞳は吸い込まれそうなくらい深くキレイで、彼を見たものは思わず息を呑んでしまっていたくらいだった。
 とても、とてもキレイな人。男の子なのに。ひきつけられてやまなかった。彼と言葉を交わしたかった。彼の傍にいって、彼の言葉を聞いてみたかった。これから始まる生活に緊張していたはずの胸は、いつの間にか彼のことでぐるぐるいっぱいになっていた。だから私は、彼と同じスリザリン寮に入れたときはそれはそれは嬉しかったのだ。




 なんでもよくこなし、生徒や教授たちに感嘆のため息をつかせ、学校中を魅了した。すごく、とても、素晴らしい人。美しくて、優しく、残忍でとても狡猾だった。人望も厚く、彼の周りには人が絶えなかった。美しい女の人たちが、いつも彼に微笑みを降り注いでいた。




 私は愚かにも彼に心を奪われていた。彼を一目見ればきっと、誰もが愚かになるのだ。私だって例外漏れなく愚か者に成り下がった。けれど、すべてのもののトップに立つ彼に釣り合う人間に、とは恐れ多く、到底思うことすら出来なかった。だからせめて、彼に思いを寄せることが許される女性であろうと、全てにおいての努力を重ねたのだ。それは凄まじい努力だった。使えるものは何でも使い、できることは何でもやった。それこそ他寮生に睨まれるようなことも、多少…いいえ、すごく―――やっていたのだと思う。けれど私はそうしてのし上がり、彼の横に立つことが相応しい者になったのだ。首席と次席。美しさを磨き上げ、立ち居振る舞いを完璧に身につけた。私は彼に思いを寄せる当然の人となり、彼に思いを寄せられる当然の人になったのだ。やわらかい愛の言葉を交わし、キスを交わし、セックスをした。誰もが認める最高の恋人だった。私は、とても幸せだった。
















 冬も近づいた枯葉舞う秋の日だった。スリザリンの寮は地下にそびえ、冷え切った冷たさが他量よりも一足も二足も早く訪れる。その代わり、スリザリンにおけるどの部屋にも設置された美しいレリーフのついた暖炉は、とても強力で暖かい。暖炉の炎は煌々と部屋を照らし出し、闇にも似た影を作り出していた。
 もはやふたり部屋といっても過言ではないほどこの部屋には依存してしまっていた。の自室はここで、そしてふたりの寝所とても言えた。ふたりはまるで夜を契った夫婦のように毎日をそうして暮らしていた。


 シーツから出ている背中がぶるりと寒さに打ち震える。暖炉の炎が部屋を暖めているとは言うけれど、やはり素肌には少し寒い。うっすらと目を開ければ、目の前には端整な顔と艶やかな銀糸。はかろやかに微笑み、身を起こした。


「ん…」
 小さく身じろいだドラコに、はそっとベッドクロスをかけてやる。またすぐに寝息を立て始めたドラコをよそに、白いシャツを羽織った。ふわりふわり・と、はだしのままの足に柔らかなベルベットの絨毯の感触を感じて、は思い馳せる。この絨毯の感触も、今、暖かに燃える暖炉の火も、なにもかもが、もうすぐ夢幻のように消えてしまうのだ。
 そっと暖炉前の椅子に腰を下ろして、ぐるりと部屋を見回した。そう、思い馳せる。血反吐を吐くような努力の末に、受け入れられた。私は、ここにいていいのだと。はじめは誰もが目を疑った。その血の気高さに不釣合いなほど、輝くに。けれどすぐに納得するのだ、みんな。横繋がりのその血筋、元を辿ればひとりの人。かすかだけれど、みんな同じ血が流れているはずよ。笑顔とその言葉だけでは無敵になれた。だれよりも、強く強く。そして喪うものなど、なにもない。


「…?」
「なあに、ドラコ」
「勝手にベッドから出て行くな―――」
 不平を漏らす声が、の耳に甘く届く。そろりと立ち上がって、椅子の陰からそちらを見れば、まだ夢うつつの中ようなドラコが眉間に皺を寄せてこちらをみていた。はそれがいとおしくて、おもわず小さく笑みを零した。

 急かすようにを呼ぶけれど、はちっともその場から動こうとしない。本当に、愛しくて愛しくてたまらない。がいないと眠れないのというのか、はたまたその腕にぬくもりを抱いていないと安心できないというのか。
「ダメよ。夏から私と貴方、こんなふうにもうできないんだからね」


 くすくす、冗談のように言う言葉。けれどそれはすべて真実で現実だった。夢幻なのだ、結局、今この時間は。
 ドラコは卒業したら魔法省に勤めにいくし、お父様の推薦もあってか初めから出世コースまっしぐらだし、そしてなにより婚約者がいる。なんかより名高い血筋の家柄のお嬢さんで、そしてなにより強い権力と財力があった。個人の素晴らしい才能は、残念だけれど権力には叶わなかったわけだ。
「馬鹿を言うな」
 けれど、夢幻は儚く終わりを告げるだけではないのだ。決してなかったわけではない。たしかにあったのだから、その名残はちらちらとどこかしこと残るものなのだ。


 ここにも。麻薬のように。


「お前がいない生活なんて、信じられない」
 だから来い、と促される。素肌には肌寒い外気に腕をさらして、に手を伸ばす。は笑った。くすくすと笑った。
「もう、しょうがないわね」
 椅子の陰から乗り出して、ゆっくりとベッドに近づいた。満足そうにドラコが笑って、伸ばされた腕に擦り寄っては再びベッドへもぐりこむ。あたたかい、人肌の温もりがやんわりとを撫ぜて、羽織っていたシャツを奪って床へと放り投げた。
、お前ほど完璧な女性はいないというのに」
「しょうがないじゃない。それが貴方にとって一番いいことだって、ためになることだって、私、言ったでしょう?」
「わかってる。僕には責任があるということも」


 でも―――と、口を塞ぐようにおりたくちづけを受け止めながら、は目をつぶる。開いた掌に掌が重なって、指先が絡まった。くちづけの深さに比例して、強く求めるもう片方の掌がの身体を探っていく。
「お前を手放すつもりはない」
「酷い人ね」
 家のために責任を果たし、誰もの期待に応え、良家の妻を娶り、そして強く気高い血筋を守っていく傍らで、彼はすべてを裏切ろうと言うのだ。本当に酷い。そして彼は知っているのだ、そうして続ける関係が明るみに出て非難されようものならば、がすべての悪役として演じてくれるだろうことも。―――だってしょうがないじゃない、いつの間にか、私は、ドラコのために生きていた。ドラコを愛するために生きていた。


、愛してる」
「ん、わたしも…」








 その人は一糸迷うことなく立ち居振る舞い、美しく佇んでいたのだ。艶やかな少し長めの銀髪、白い肌によく映えており、その宝石みたいなアイスブルーの瞳は吸い込まれそうなくらい深くキレイで、息を呑んだ。とても、とてもキレイな人。男の子なのに。ひきつけられてやまなかった。彼と言葉を交わしたかった。彼の傍にいって、彼の言葉を聞いてみたかった。これから始まる生活に緊張していたはずの胸は、いつの間にか彼のことでぐるぐるいっぱいになっていた。だから私は、彼と同じスリザリン寮に入れたときはそれはそれは嬉しかったのだ。


 私は貴方のために、










2007/4/12 アラナミ