薔薇の名前





 胸に上品な色の薔薇の花飾りをつけた人がきっちりとフォーマルウェアを着こなして、薔薇に囲まれた荘厳な門をくぐっていった。
 馬車で来る貴族のような人達、それからそこに姿現しする人達。今日のパーティーは、その胸飾りがなによりの招待の証となる。純血の魔法族のみを招待するハイソサリティ。血を守り続ける魔法族の、誰一人例外なく招待させるはずの席に招待されないのは、名折れの不名誉を抱いた幾数かの家族と、自らそれを辞退した家族のみ。
 私はその後者だった。主催者がマルフォイと聞けば、それはもう人前で大きな声で言えないとはいえ、暗黙の了解のような形で"死喰い人"の単語がよぎる。

 私の家族も一昔前は頂点に君臨しようとしたあの人の元についていたと言う。忠実なしもべだった私の父はアズガバンの獄中で死に、私を産むために一線を退いていた母は日々憔悴し、私がホグワーツに入学する前に死んだ。

 父も母もあの人に殺されたようなものだ。家名と決して少なくない財産の入った金庫の鍵としもべ妖精を残し、私の手元にはなにも残らなかった。後ろ盾としてマルフォイ家が名乗りをあげてくれなければ、すべてに押しつぶされてしまっていたかもしれない。

 そう、私は―――後ろ盾の恩を仇で返すように、今夜のパーティーを辞退した。死喰い人たちの、あの人の復活を厳かに祝うそれにまじえて、ドラコと私の婚約を発表するつもりだったんだろう。片方の主賓が欠けてしまったらそれは成り得ないけれど、それでも表向きの理由があるから催しを中断することはない。
 私は今、マルフォイ家の2階でそれを見下ろしている。玄関で招待客を迎えるメイドたち、その奥にはおばさまが自ら話し相手となって迎えているのだろう。

「本当に出ないつもりなのか」
 ドラコは細長い切れ長の目をさらに細めて私を見て言った。
 一体何度聞いただろうか、そのフレーズを。パーティーに出ないと言ってから数ヶ月、時にドラコに、時におばさまに、時におじさまに、そしてうちのしもべ妖精にすら言われてきた。
 婚約発表と、私とドラコを世間へとお披露目するための催しといわれだけど、それは表向きなものではなかったから私が出ないと言ったところでパーティー自体は中断にならない。

「ドラコは本当にいいの?」
「なにがだ」
「家のために私を愛せる?」
 俯いてしまったから私はドラコの表情を窺えなかった。けれどドラコは多分、そんなことを聞く私にいぶかしんだ顔をして、それから当然とか勿論だとかいうのだろう。私達古くからの一族はみな、そういうふうに育てられた。

「当たり前だ。それは僕の為であり、君の為でもある」
 ちくりと胸を痛めたそれに、私は口を引き結んで固く笑った。そう、私だって一族の復興の為と思えば、誰と結婚しようがかまわないと思っていた。
 古きを尊ぶ魔法族の方たちは純血こそ尊きと掲げ、それを守り通すためなら政略結婚のひとつやふたつなんでもないと思っている。私もそうして、幼き10年程の歳月、母と共にした短い間ですらとくとくと言われ続けていたのだ。この血を絶やしてはならない、古くからある魔法族の名家のこの一族の血を絶やしてはいけないと。

 思えばおじさまが後ろ盾を名乗りあげたのも、そもそもはそれが目的だったのかもしれない。零落しかけたとはいえマルフォイ家に並ぶ名家の一族だったのだから。

「頼むから少しでいい、出てくれないか」
 困ったようにドラコが手を差し伸べたので、私は嘆息を隠しながらその手を見つめた。
「…大丈夫よ、私ちゃんと出るわ。ただ―――ドレスの色が気に入らなくて少し拗ねていただけよ」
「それじゃあ昨日届けさせたその翠のドレスは気に入って頂けたのかな」
 ぴたりと宙に止まって私の手が乗る瞬間を待つそれに、私はそっと手を重ねる。ゆるやかにエスコートするドラコは、上品に優しく私を廊下へと導いた。

「貴方が選んでくれたの?」
「まあ多少は母上にアドバイスを頂いたがな」
「ふふふ、ありがとう。とっても嬉しいわ」
 小さな談笑をまじえ階段に差し掛かると、ドラコは一歩先へ階下へ一段下がり、恭しくもゆっくりと手を引いた。一段一段ゆっくりと下りていけば、階下の喧騒はぴたりと止まり、かわりに多くの視線が私達に注がれた。もう既に、暗黙の了解のようにそれは知れ渡っているのだろうか。階段の一番下では、おじさまとおばさまがいて、私達を待っていた。
 締め付けられるような胸の切なさに、私は微笑みながら考える。こうしてドラコに手を引かれ、女として扱われることを夢見ていた。形はどうであれ、それは叶えられているじゃない、私は幸せだと。

 この階段を下りきれば、ドラコを傍らに手を引かれ、私はおじさまに紹介され―――――、
 私は。