さよならを言わない 4







「それは……私をひとりの女性として見ているということですか?」
それとも――――……頭に浮かんだ言葉を考えると、身体中の体温がすべて奪われていくような気持ちになった。
それでも、言葉は冷ややかにさらりと、まるでなんでもないことのように吐き出されたものだ。
「それとも――――生徒と認識するにも値しないということですか?」

自分が吐き出した言葉には指先から全身が冷えてゆくのを感じた。無気力だ、なにも力が入らない、なにもしたくない、なにも聞きたくない。

がそう思ったのを知ってか知らずか、何も言わずにただその身体をから離していった。
うずまっていた楔を気だるげに引き抜いて、いつもと変わらぬ、まるで事後のように完璧に服をまとっていった。
静かな衣擦れとガラスのこすれあう音。
その人は薬品棚から黒い小さな小瓶を取り出して血の滲んだの手のひらにそれを握らせる。

「服を着ろ、出て行け。もう二度とここへ来るな」


掠れた血の薔薇をシーツに残して、太陽は闇に喰い尽くされた。










手のひらは赤く、薔薇を手にしたあのときと変わっていないままあった。
何度傷が癒えようと、その手に薬が塗り込められようとも、はその手のひらに手折った薔薇を収めた。
赤い薔薇を、鋭い棘を持つ薔薇を、手のひらに傷をつけて刻み付けて忘れないようになにかを探すように、ずっと、ずっと。

咎めるように手を取ったのは彼だった。せっかく治ったのに、と手のひらにハンカチを押し当てる。赤が滲む……。
「薔薇があんまりきれいだから……」
部屋に飾りたかったのだとは言った。そうして毎日同じ言い訳を続けていることを彼女は覚えているのだろうか。今日も、昨日も、一昨日も、包帯が取れた翌日からずっと、は同じ言い訳を言い続け、その手のひらで薔薇を手折っては手のひらを傷つけて血を滲ませている。
もっとちゃんと気をつければこんなにも傷を負うこともないだろうに。はあまりに棘に傷を負わされることに無頓着でいる。いや、むしろ傷つくことを望んでいるようにさえ思える。
君の変わりに僕がと、彼は前に申し出たけれど、はひどくそれを嫌がった。
それじゃあダメなのだと。自分で手折った薔薇でなければ意味がないのだと、そう首を振った。

「棘に守られてキレイに咲いて、でも、それを手にする私は罰を受けなくちゃいけないの」
貴方にもあげる、とは薔薇を一本彼に手渡した。
その手で棘を払った棘のない薔薇の花。ただ美しいだけの滑稽な花。
棘もなく優しく手折られる花は彼だと思う。浅はかで、愚かで、ずる賢い、神の愛し子。

愛しい、人。


薔薇の陰に隠れてひっそりと唇を重ねた。
誰も咎めない、望むままに微笑んで、見ているのは棘と薔薇。
闇色をうつしたものの影はひっそりと閉じられた。







はじめから繋がりなどなかったのか、それとも寄せ合う想いはずっと繋がっているのか。
繋がりなどなかったのなら、別れなど言わなくともいい。
ずっと繋がっているのなら、別れなど言う必要もない。

地下室の暗い扉の前に、血のように赤い薔薇の花びらが一枚落ちている。




美しい、
愛の花を踏みつけて、
散らして、

さよならを。









言わない。














 

2004/10/24 アラナミ