船旅って長いわね
そうですね
でも楽しいわね
そうですね
私、この船のクルーでよかった
そうですね
なにを言っても肯定の言葉しか言わないあなたはとてもやさしいのでしょう。
そして私のことをきづかっていてくれるのでしょう。
そうね、あなたは誰にでも優しいものね。
私だけじゃない。
だから、私はうぬぼれてはいけないのだとキツクじぶんを戒める。
空 に 消 え る ニ コ チ ン
暗闇に手を伸ばす。なにかを手にとるわけでもなく無意識に手を伸ばしていた。灯かり?メガネ?それとも?私はなにを求めて手を伸ばしたのかしらね?タバコ…だったりするかもね。
「…っん、…」
暗がりの中、小さくうめいた自分ではない声に私は驚いた。寝ぼけていた頭を覚醒させてもういちど振り返ってみるの。
今、私は、どこにいる?
女部屋でも男部屋でもないここは、部屋の上のほうにつけられた明かり入れの窓から薄っすらとか弱く月明かりが入ってくるだけ。目が慣れるのに、少し時間がかかったわ。
酒ダルと、灯かりの消えたランプと、毛布とクッションで作られている即席のベッドらしきものに私は寝ていて、その横に寝ているひとりの人。
「…ごめん、サンジ」
闇に慣れていく目が次々と目に映る事実を映し出してゆけば、ぼーっとしている私の頭もようやく昨日のことを思い出した。横で寝ているのはサンジ。そのサンジに抱きかかえられるように寝ていて私が手を伸ばした。思い出してくればまるで自覚するように事後特有の気だるさが身体巡ってくる。生まれたままの姿で肌を重ねているのを見てそうだ、と。数時間前までたしかに私たちは愛をたしかめあっていたんだわ、と。
…愛のない間柄の癖に、ね。
頭に浮かんだ言葉の残酷さに、私の目はすっかり冴えてしまった。もう一度寝る気はおきそうにない。サンジの腕をすり抜けて、どうにか身体を起こしてそれから左右に目を配った。目ももうおおよそ暗闇に慣れた。少しの月灯かりでもじゅうぶんすぎるくらい明がとれるようになったので、今度こそはハッキリとした意志をもって手を伸ばした。
サンジのワイシャツに。正確に言えば、サンジのワイシャツのポケットに入ってるタバコとライターを。勝手に拝借させてもらおうとは手を伸ばした。いつもサンジが吸ってるタバコ。いつもちょうだいって言っても、舌が悪くなるって言ってはくれないタバコを。…自分はしょっちゅう吸ってるくせにね。
拝借した1本を、ゆっくり咥える。火がつく前の長い白い煙のモト。これを吸ったことが決してないわけじゃなかった。煙っぽくて嫌いだと思ったことは事実だったし。それでも、今無性に、私はこのタバコを吸いたいと思ったんだから、しょうがないよね。
手探りでさぐりあてたライターを、ゆっくりタバコに近づける。
するとなんでだか昼間のサンジを思い出した。…笑うサンジも。オンナノコには誰にでも優しいサンジを。オンナノコには誰にでも笑いかけるサンジを。
そして…夜のサンジを思い出す。オンナノコを愛するサンジを。決して私だけを愛するわけじゃないサンジを。
シュボ
小さな火の熱気が、唇から広がった。弱々しいソレは、タバコに火をつけたらなくなってしまったけれど。部屋を一瞬染めた炎の赤は、一瞬で消えてタバコの先端に燃え移った。先からはちろちろと煙が出ていて。
す…
「ダーメ」
吸おうと思った瞬間それは見つかって、あっという間にサンジに取り上げられた。なんとなく火遊びが見つかった子供みたいな気持ちになって、バツの悪い目でついサンジを見上げてしまった。火のついたタバコはあたしの口元から奪い去られ、当然のようにサンジの口元に収まっている。
「はこんなもん吸わなくっていーんだよ」
ぷかぁ、と思い切り良く煙がサンジの口から吐き出される。決して好きではないその煙のにおいが部屋中たちこめて、そしてだんだんに消えてゆく。
「どうして」
「どうしてって…あー、ダメなもんはダメ」
「…ケチ、いつも肯定の言葉しか言わないくせに」
「必要ないだろーが」
サンジのタバコなんて、私には必要ないわよね。なくてもいいものだもの。でも、それでも、どうしても、必要に思えてしまうときって、あるじゃないのよ。…とは、言えないけど。……口寂しいとは、言えないけど。
誰にでも優しいサンジに期待しちゃいけない。誰にでも笑いかけるサンジに期待しちゃいけない。今日みたいなことだってたまにあるけど、それはきっと私だけじゃないから。優しくして大切にされるときがたまにあるけど、それだっていつもじゃないから。…たまに、そう。猫の気まぐれみたく戯れてるだけなんだからね。
はそう自分の言い聞かせて切ない思いを飲み込んだ。
それでも好きなのは変わんないんだけどね、と。
寂しいときの対処法ぐらい、自分でどうにかしなくっちゃあダメなのに。サンジの恋人ではない私は、この胸の空虚さを自分で埋める術を知ってなくっちゃあいけないのに。
貴方が私のものではないから。私は貴方を束縛することはできないから。…大勢の中のひとりだから。……期待なんかしちゃいけないのだから。
だから、せめて。さみしいときはサンジが吸うそのタバコの香りに包まれていたいのに。
「必要、あるわよ…」
(サミシイから……)
思いのほか真剣な声が出てしまったことに、私は慌てて口を抑える。出てしまった後になってはそれはもうどうすることもできないのにね。面食らったサンジの表情は、暗くても見逃すことなどできなかった。
(言ってない、言ってないわよ。私サミシイなんて言ってない。思っただけで口にはしてないわよ、ねぇ!)
なのにどうしてかサンジの目はなにもかもわかってしまったように輝いていて。いやいやでもまさか。それとも私だけがそんなふうに見えているだけ?
「ニコチンくさくてゴメンネ」
と笑ったサンジは、私の身体を引き寄せて抱き寄せて頭を支えて優しいキスをくれた。あわさった舌からは、サンジのタバコの味がした、と思う。
私はただそれを、はじめて身体をあわせたときよりもっと心臓をドキドキさせて、神聖な気持ちでもって味わっていた。
「口寂しくなったらいつでもどうぞ」とあどけなくサンジは笑う。
これも彼の優しさでくくられてしまうのかと思うと、私はどうしようもなく寂しく思った。
とりとめもないサンジは、まるであのとき吐き出されたタバコの煙のように、つかめないまま消えてゆくようだと、そう、私は思った。
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2004/2/6
2017/7/27 加筆修正 ナミコ