It's Gonna Rain







「わぁー……」
まるでバケツをひっくり返したような土砂降りの雨に私はただもう口をあんぐりと開けて見るしかなかった。
雨、雨、雨。
まるでこのまま降り続ければ床下浸水どころか床上までいっちゃいそうな勢いで落ちてくる水。これはもはや雨じゃない、上からとめどなく落ちる水だ、川だ、滝だ!!

「まるでスコールみたいだね」

目を見張りながらも私はこっくりと頷いた。朝は晴れていたのに……信じられない!!!
もちろん傘なんて持ってきてるはずもなく、ましてや折りたたみなんて手に荷物持ちたくないと自称している私としてはある方が不思議なくらい…むしろ小雨程度なら差さなくていいやー、あははは!!みたいな。っつかこの雨の中をどうやって帰ればいーんじゃい!!などと悶々とそんなことを考え巡らせていた。

「天気予報なんかアテになんない!!」
「そりゃあ5割がた外すからね、局によって予測も違うし」
「ううう、早く帰りたいのに!!!」
「待ってて、傘持ってくるから」
「えー!?」


傘を持ってくるからといって昇降口の向こうに消えた不二を私は待っていればよいのだろうか。…って、待ってるしかないよねぇ、こんな状態なわけだし。(今日に限ってカバンの中にMD入ってるしね、いくら文明の利器とはいえ水と電気と雷には弱かろう。はっはっは、人間よりよわっちいのう!!)
意を決して土砂降りの中を飛び出てった愚か者たちは、校門に行き着く前にその制服にどっぷりと雨水を含ませている。ありゃーヘタすると明日まで乾くがどうか……ああ、賢く用意周到な生徒たちは空の具合を伺ったり置き傘を開くなりしている。そうね、賢い友人に入れてもらうことも充分賢明だわ。
なんてちらちら周りを伺っていたら、大石君が傘を手にこちらへやってきた。


「やあ、
「こんにちわ、大石君」
愛想よくにっこりと笑ったら「傘ないのかい」と聞かれたので、「まあね」と答えておいた。
なんだ、入れてくれるとでも言うのだろうか。
「送っていこうか?」
「うーん、遠慮しておくわ」不二を待っているの、と告げれば彼はますますにこやかに笑って「そうか」と言った。
「"そうか"じゃなくて"やっぱり"だろ、大石」
にゃははーという聞き覚えのある彼特有の笑い声が背後からする。菊丸だ。
「てゆうかもしが送ってってとか言ったら大石に入れてってもらうはずのオレの立場がなくなるじゃんか!!」
いけ高々とふんぞり返って言う菊丸に大石君はちょっぴり苦笑して「でもは頷かなかっただろう」と言った。
「てゆうか菊丸は入れてもらう立場のクセに随分とえらそうだね」
「にゃはは、まぁねー!!!」
大きく口を開けけらけら軽快に笑うと菊丸は前に一歩踏み出した。大石君も「じゃあ不二にちゃんと自主練しておくように伝えてくれないかな」と話しかけながら菊丸に続いて二歩踏み出していった。
「うん、わかった。じゃあね」
パンッと黒い少し大きめの折り畳み傘が開かれる。大石君の向こうで菊丸が手を振っていた。



ふたりの背中を見送って、それからすぐにが飛び出してきた。
「あーーーー!!!」
「ど、どうしたのよ」ああびっくりした。
飛び出して来たは土砂降りの校庭を見てそれから大きく地団太を踏んだ。その手には可愛らしい水色の水玉の傘があった。いっつも部室に置いている、の置き傘。
「せっかく菊丸君と一緒に帰ろうと思ってマッハで傘取りに言ったのにぃ!!!」
大石に先を越された!!と激しく呻く。そういえば、前からは大石君にただならぬライバル意識を持ってたなあなんて考えて。
「今から走れば追いつくかもよ?さっき行ったばっかだもん」
「ホント!?その言葉信じるからね!!バイバイ!!!」
まるで嵐のようにやってきて嵐のように去っていった。あんなに急いで駆けてったら、傘差す意味なんてないだろうなぁ。でもまあそれが恋する女の子の力なんだろう。私は素直に実直に好きなものに向かっていく人の背中は、嫌いではない。



「しかし雨は止みそうになく、弱まる気配もなく、むしろ強まるばかり……ん?」
下駄箱の向こう側から聞き覚えのある声が聞こえた。ははーん、これはこれはもしかして…と思ってひょっこり覗いた見たら、やっぱり……。
「海堂君、桃城君」
声をかけて私はにっこりと微笑んだ。それまで火花を散らす如く睨みあっていたふたりはこちらに気付くと、海堂君はバツが悪そうに顔をしかめて「ッス」と俯き、桃城君は同じようにっこり笑って「先輩どうしたんですか?」と言った。
「どうしたもこうしたも…てゆうかなあに、あんたたち一緒に帰るの?」
仲いいね、と言おうと思ったけれど、彼らがライバル心を持って張り合っていると言うことは周知の事実だったのでどうしようかと一瞬迷ったが、その末に言うのはとどめておいた。
「いいえ、一緒になんて帰りません」「そうなんです、帰るんです」
ふたりの声が見事に相反する内容で被った。ふたりとも弾かれたようにお互いの顔を見合って気に喰わない、という顔をした。
「オレはお前となんて」「オレは傘ねぇし」
またふたりの声が重なる。お互いの眉間の皺がどんどん深くなっていく。犬猿の仲、というものなんだろうか…いや、絶対に負けたくないライバル?
「そんなのお前が」「少しぐらい」
ゆらり、と間の空気とかオーラとかとにかくそういうものが歪むように揺らめいたのに気がついた。いけない、と思った私は瞬間的に二人の開いたに入って大きく口を開いた。
「はいはいはいはい、ストォーーーーップ!!!ケンカはダメよ、ただでさえ雨降ってて鬱陶しいんだから」
「す、すみません…」
まるで犬のようにしゅんとうなだれた海堂君に、私は不覚にも少なからずのときめきを覚えてしまった。可愛い!!頭を撫でたい!!!と瞬間的に思ってしまったが、それをしてしまったらきっと彼の自尊心やらなにやらを傷つけてしまうだろう。いくらそういうことを思っても、年下であろうと、彼は男の子なんだ、年頃の。子供じゃない。私はそれをぐっと堪えた。
「先輩…傘はどうしたんスか?」
「あはは、忘れちゃった」
両手のひらを広げ、おどけて笑うと海堂君は「送っていきます」と言った。なんだかちょっと驚いたので目を見張ってしまった。…そういえばさっき大石君にも同じことを言われたなあ。
「ちょ、ちょっと待てよ海堂!!入れろと言ってもオレは嫌だっつーのに先輩には自分から入れてくのかよ!!」
「当たり前だ!!先輩はお前とは違う!!!全然違う!!!断じて違う!!!」
またもや火花が散りそうな睨み合いに、私は慌ててふたりをたしなめる。
「ちょっと、ケンカはダメって言ったばっかでしょ」
「スミマセン」今度うなだれたの桃城君だ。少し拗ねている、可愛い。
「ありがとう海堂君。でも私、不二を待ってるから大丈夫」
「そうですか?」海堂君の顔が心配そうに私を見た。ああ、この子は優しいんだなと思った。そしてとても良い家庭で育ったんだとも思った。
「私は良いから、桃城君を傘に入れてってあげてよ。明日も部活あるんでしょ?ね」
私の言葉に海堂君はちらりと桃城君を見てため息をついた。「…………先輩が言うんなら」その横で桃城君が「やった!!」と歯を見せて笑った。嬉しそうだ。
なかなかいいコンビだと思うけど、その前にありすぎるお互いのライバル心が邪魔をさせているのだろうか。まだまだ張り合っているところがたくさんある。
「それじゃあ先輩、また」「さよなら、先輩」手を振りながらふたりが雨の中を行った。まもなくして傘の中で争う背中が見えた。本当に懲りない。
次は彼らがテニス部をまとめていくと言うのに……いつか、そのときになったらお互いを認め合えるくらい成長して、息のあったベストコンビになるんだろうか。
「そのときが楽しみねえ」
私は年の近い兄弟を見るような思いでやわらかに微笑んだ。



「ほう、随分とあいつらを気にかけているようだな」
「……ってあんたは一体どこから沸いて出たのよ、手塚」
相変わらず寡黙で同世代とは思えない人が出てきたよ、しかも一体いつから見ていたんだか。
「オレはさっきここに来たばかりだ」
「あ、そう」
彼は相変わらず中学生とは思えない手つきで下駄箱からスニーカーを取り出し、上履きをその中に入れた。大勢の中学生、ましてや男の子は入れると言うよりは押し込むと言う表現のほうがあってると言えるくらい粗雑な扱い方をするものなんだけど…まぁ、不二も育ちがいいせいかわりとキチンとしているけど。
はっきり言って男の先生だってここまでひとつひとつの動作が様に…いや、丁寧なのもいないと思うのになあ。
貴重な人間なのかもしれない。と、わたしは改めて手塚をじっくりと見た。
「……なにか用か?」
「や、別に…………んー、ううん、ねえさっき気にかけてるとかどうのって言ってたけど、それってあんたも気にしてるってことだよね」
次の責任者はあのふたりに任せようって思ってるんでしょ、と言ったら意外にもすんなり「ああ」と手塚が頷いた。
正直面食らって「そんなこと他言しちゃっていいの?」と聞けば「お前は女子テニス部の部長だろう、仮にも。引継ぎの相談をしてなにがわるい」と眉間に皺を寄せたので、そうか、なんだ、この完全無欠ともとれる年齢不詳の部長でも相談したいと思ったのかと少し安心した。彼はまぎれもなく私と同世代の学生であると。
「うん、そうだね。あのふたりはもう少し認め合えたら素晴らしい部長、副部長になれると思う」
「部長には桃城、副部長には海堂…と思っているのだが…」まるで伺うようにこちらを見たので、「うん」と呟き、そして「桃城君はみんなをまとめるカリスマ性がある、それを土台からしっかりと支える力を海堂君が持っている」手塚の目を見た、珍しくその目元が柔らかく微笑んでいた。
「あとはあのふたりが協力し合おうっていう自覚を持ってくれればいいんだが……」
現状の目の上のたんこぶを見るような面持ちで手塚がため息をついた。やっぱりそこが痛いか、でも……
「大丈夫よ、荒井君がしっかりしてきてるじゃない。ふたりの仲立ちになってくれるわ、きっと」
顔を上げた手塚が私の顔をじっと見た。なによ、ちょっと。
「お前は意外とちゃんと人を見ているんだな」
「……意外ってなんだ、意外って」
じろりと睨むと、意味深に手塚は微笑み(珍しすぎて鳥肌が立った)、「いや、不二がお前を追いかける気持ちがわからないでもない」と言った。
私はそれこそさっきの比ではなく目を見張り、思わず「頭わいてないよね?」と確認してしまった。…もちろん怒られたけど。
「まったく……オレは帰る」
「あれ?送ってくとか言わないの?」
「お前は不二を待っているんだろう」
なんだ、それも聞いていたのか。「あはは、じゃあね手塚」丁寧にたたまれていた傘をこれまた丁寧に差そうとする手塚の後ろ姿に手を振った。手塚は一度振り返って雨の中に出る前になにかつぶやいたみたいだった。たぶん「またな」とかそこらへんの言葉だと思う。雨の音が邪魔でよく聞き取れなかった。



うーん、しかしながら遅いなあと手持ち無沙汰になった私はうろうろと昇降口を右往左往し始めた。
生徒ももう少なく、下校直後のピークはもうとっくに過ぎてしまった。クラスメイトが帰っていく背中を見送り、後輩たちのさよならに笑顔を手を振りながら返した。
「おそーい………」
「不二はまだもう少しかかるぞ」
「えー?」
ぐるりと振り返ったそこには、計り知れない未知数をメガネのフレームの向こうに抱えた青学きってのマッドサイエンティスト(ウソウソ!!)乾君がいた。
「さっき竜崎先生に呼ばれていた。まだかかりそうだから不二には君を送っていってやって欲しいと頼まれてね」
「えー?……いや、いいよ。待ってるし」
「いや、でも」不敵と未知数と無表情のあいだをさまよっているようないつもの乾君の顔がちょっと困ったような表情になった。
「不二と―――――約束してるから」
きっと聡い彼は今、頭の中で様々な情報を理論的に組み立てているんだろう。私と不二の約束にどこまで介入していいものか、不二の頼みごとを優先させるべきか、私の言葉を聞き入れるべきか……情報と理論の末を、数字で導き出して。
「………そうか」どうやら彼は結論を導き出したらしい。もしもここで私が待つことに苛立っていたら、彼の結論はもっと簡潔に導き出され、かつまったく反対のものになっていただろう。
「その言葉を聞いたら、不二も喜ぶと思う」
「う、うん……」
彼の推理…いや推測はかなりの的を得ている。とても正確だ。テニス部のみんなが信用しているのも知っている、心強いプレーンで何度も私たちを助けてきた。
だからだろうか、彼の言うことはいつも私が隠している天邪鬼な心の部分を掬いだすようだ。だけど嫌ではない。
不二が来たら、待っていると言った旨を伝えてみようか。
そんな気持ちにもさせた。
「風邪をひかないよう中で待っていた方がいいよ。じゃあ」
穏やかそうに微笑んで、乾君は雨の中を帰っていった。不思議な人だ、いつ話しても。
彼には不二にするように反発だの反撃だのそういう気持ちが一切起こらない。言う言葉ひとつひとつ素直に従うことができる。彼が落ち着いていて、まるで大人な雰囲気があるせいだろうか(いや、でもムリヤリ得体の知れない緑やら赤やら青やらのとんでもない飲み物を飲ませるところはまったく大人じゃない、大いに大人じゃない)。
私は言われたとおり昇降口の中に入り、雨の日の外気の冷たさから身を守った。
下駄箱はがらんとし、下校時刻をとっくに過ぎた閑静さを保っていた。雨の音だけが激しく外から伝って。



雨の日は雲が厚く、どんよりと暗くて、いつも日常を過ごしているなんでもない場所でも少しばかり不気味に作り変えてしまう。…まあ、学校だと言うこともあるのだろうけど。
なんだかまるで世界にいるのは私だけみたいな感じだ、寂しい……実際今この場所には私一人しかいないわけだけれど。
ちろちろと視線を昇降口の隅々まで走らせた、普段気に留めない掃除用具入れ、ぞうきん、転がったモップ、ホース、下に落ちている上履き、クモの巣………
「なにやってんスか、先輩」
「う、わあ!?」
意識が全然別のところに言っていた。突然話しかけられたこと…そして私は今ここにひとりだと思っていたこと…びくんと心臓を跳ね上げらされて早鐘のように循環していく。
「な、な、」なんだ、リョーマ君か…という言葉は続いて出てこなかった。喉の奥に詰まったまま吐き出すことができない。つっかえるように途切れ途切れしゃっくりをあげるみたいに出てやっと全部言い終えた。
「なんでそんなに驚くんスか、心外」
アーモンドの目が薄く細められて私を見たので「ごめん、驚いたんだよ」と小さく言った。今度はつっかえることなく言葉はちゃんと出てきた。
「……不二先輩を待ってんスか?」「うん、まあね」「ふうん」興味なさげに彼はつぶやきスニーカーをはいている。制服の袖口に白いチョークの粉がついてた。きっと日直だったんだろう。指摘すると彼は面倒くさそうに粉を叩き落とした。
「一緒に待っていてあげましょうか?」にっこり…いや、にやりと不敵に彼は笑った。「それとも一緒に帰っても構いませんよ」その左手にはビニール傘が握られていた。そういえば、先生に言えば傘を貸し出してくれるんだったっけ。…数に限りはあるけど。
「いいわよ、帰んなさいよ」
「えー?」不満そうに彼は声をあげた。でもまだ帰る気はないらしい。そういう顔をしている。
「ねえ」一歩彼が詰め寄った。「なによ」私は思わず一歩引いてしまった。ああ、しまった。ここで引いてはいけなかったのに。
先輩、本当に不二先輩が嫌だったら誰か別の人を見つければよかったのに」
不意打ちのように手を取られた。背は私とそう変わらないくせに手はがっしりと固く、男の子の手をしていた。不二と同じ、男の子の。
私は思わず息を呑んでしまった。顔が近い、すごく。
「気付くのがオレは遅かった……残念だけど」そして不二先輩みたく、なりふりかまわず追いかけることもできない。
声が耳元に近く、思わず顔を背けたその次には頬に柔らかな感触がもたらされた。知らないわけがない、よく…不二にしてもらったからだ。
瞬間的に顔中にひどく血が上ってくるのがわかる、なんだ、これは(って言ってもわかっているんだけど)。
そしてさらに次の瞬間にはもう血の気引いて青くなっているような自分にも気がついた。リ、リトマス試験紙じゃあないんだから!!!
「あ、あのっ、離してくれない?ねえ!!!」
その手を振り払おうとしても、力強く繋がれた手は振り払えないままその状態を保っていた。
「うーん…、ねえ、唇にキスさせてくれたら離してあげるよ」
「だ、ダメ!!」不二とだって唇は数えるほどしかしてないのに!!
アーモンドの目はイタズラに微笑み私の目を覗き込んだ。私の心の叫びをまるで見透かしているみたいだ。な、生意気な!!!
強かで不敵な笑みがこれでもかというほど近づく「!!!」息を呑むようにまた一歩と足を引いたところで、彼の手はあっけなく私の手を放棄した。
「冗談っス」強かな微笑みはいつもの彼のポーカーフェイスへとうって変わる。見据えたように廊下の奥を指差し、私の視線を促した。
なんだ、なんだというのだ、この子は一体。(第二の不二か!……恐怖!!!)
眉を思い切り寄せて伺ったそちらは、なにも。「なによ!!!」頬を膨らませて振り返ったそこには、彼はもういなかった。土砂降りの中、傘も意味を成さないように走りゆくリョーマ君の背中を見た。
「なんなのよ」
きまぐれなネコに引っかかれた。からかわれた。そんな気分だった。



もういちど振り向き、廊下の奥をじっと見つめた。気配を……感じたような気がしたからだ。人の声、人の足音。雨音にかき消されそうになる向こうで聞こえた音。
不二?
目を凝らして見つめる。だんだんと近づく生徒の顔までははっきりとわからない。でも、あれは不二ではない。他愛のない話し声と一緒に昇降口へ近づいてきた。
全然知らな……くもないけど親しくはない人だった。だけど少なくとも話したこととかはない。たしか、あれは文化部に属していたのではないだろうか。
文化部か、それもよかったかもしれない。料理部もなかなかいいと思う……たくさんのレシピを覚え、そして作っていけるのだから。
運動部はまあ身体が鍛えられていいっちゃあいいけど。おかげで追いかける不二ともいい勝負をさせてもらっているわけだし、一応。
「なに見てるの?」
「わっ!?」
ツツーっと耳の裏から首筋にかけて撫でるような感触が急に襲った。「不二!?」
思い切り良く振り返ると、彼は困ったような嬉しいような少しだけ怒っているような複雑そうな顔をして私を見た。
「先に帰ってって乾に聞かなかった?」
「だって、」私は開きかけた口をもごもごと閉じた。どう言えばいいだろうか。待っていたかった?一緒に帰りたい?約束していたから?
「ああ、やっぱりちゃん不二のこと待ってたんだ」履いたスニーカーをつま先で整えながら、河村君が近づいてきた。「よかったね、不二」にっこりと本当にそのことを喜ぶみたいに河村君が笑うので、不二はその表情から困ったようなと怒ったようなという表情を手放し、かわりに照れたような表情を取り入れて私と河村君の顔とを交互に見合わせた。
「……そうだね」
柔らかく微笑んだ不二の顔をみてほっとして、それから私は不二の手を掴んだ。
「じゃあ帰ろうよ」
不二はこくんと頷き、下駄箱へ向かった。彼は上履きのままここに来たんだなと思って、妙に微笑ましくなった。
「遅くなってごめんね。でも不二ってばずっと時計気にしてたよ。ここに来るまでも小走りだったし」にっこりと、人好きのする笑顔で河村君が言った。愛されてるね、とも。
かあ、と頬に血が集中していくのがわかった。俯いて黙り込む私に、河村君はくすくす笑いをくれる。恥ずかしい。
「どうしたの?」スニーカーに履き替えた不二が駆け寄ってくる。「いいや、別に」そう、別になにも…「不二は愛されてるなあって」わああああ!!!
あ、頭が沸騰してしまいそうだ、くらくらする。不二の視線が痛いので、私はただひたすらその視界にこの言い訳のしようのない顔が入らないようにと逸らし続けていた。
「じゃあね、不二子ちゃん」ああ、なんてことだろう。河村君は本当の本当に優しい人だと思っていたのに、思いもよらず、彼は不二の味方らしい。いや、そりゃあ当たり前だろう、だって彼は男だしテニス部だしなにより不二のパートナーでもあるのだ、テニスのね!!
雨の中颯爽と帰っていく彼に文句を言うことは敵わない。…っていうか河村君にそんなこといえるわけがない。
「愛されてる、ねえ……」
不二のその言葉がまっすぐ私に向けられている。ど、どうすればいいのやら!!
「か、帰ろう帰ろう!!早く帰って金八先生見なくちゃ!!!」
「うーん、残念だけどもう終わってる頃だよ」ホラ、と不二は携帯電話を開き、私に時刻を見せる。PM5:50…「うわあん!!!」
「うちにおいで、ちゃんと録画してあるからさ」そして君がどれだけ僕を愛してるかって聞かせて欲しいね、是非。
不二の手が私の手をぎゅっと握った。こ、これは逃がすつもりはないよ(ハァト)の意思表示!!!
「や、やー!!!いい、いいっ一回くらい見逃しても別にいいもん、平気だもん!!!」
「はいはい、やせ我慢はよくないよー」
パンッと傘が開かれて、気がついたときにはもう土砂降りの雨の中を歩き始めていた。
「暴れると雨に濡れるよ」
わかってらい!!!言わずもがなもうすでに白い靴下には泥が跳ねてしまったし、もうこれでもかというくらい水を吸い込んでいる。ローファーに染みてくる感触がなんとも言えず、気持ち悪い。
「ううう、私は家に帰るってばー!!!」
「今から帰る僕の家だっていずれはの帰る家になるんだからいいじゃないか」
「う、え、えぇーー!?」
本当にいつもいつもいつもいつもいつもっ!!!不二め…(もう反論するのにも疲れた)。
「やー、でもいいよ、今日はいいよ、今度でいいよ、今日は嫌!!!」
フイ、と横を向いて嫌だということを主張する。よし、これでよかろうきっと平気だ。ホラ、不二だっていつものように……


ばしゃーーーー!!!


う、わあ。
傘の中にいながら頭から水をかぶり、ぽたぽたと水滴を滴らせるこの姿。と、トラックの運チャンめ!!!きぃ!!!!!
「そうか…がそこまで言うならわかったよ」
しゅん、と悲しそうにうなだれる不二周助。私の手に、そっと傘の柄をにぎらせた。
「じゃあね、
「ん?」
「雨に濡れて帰ってもテニスの試合前に風邪をひくなんてことはないから大丈夫!!!もしひいたって絶対にのせいじゃないから!!!!!」
そして不二は素早く雨の中を駆けていった……って、!!!「ちょっと待てぇえーーーー!!!!」待つはずがない、待つはずがないのだ、今の不二はきっと。
つまりそれだ、なんだ、風邪ひいたら私のせいだって言ってるようなもんじゃん!!!少なくとも私にはそう聞こえた!!!!
叫ぶなり私も不二を走り出す。「不二、不二ってば不二ーー!!!」
聞こえてんだか聞こえてないんだか……いーや、アレは絶対に聞こえてるはずだ、絶対に!!!
走り続ける足を止めない、その足は間違いなく不二家を目指している。
……わかってる、わかってるけど…………今ここで諦めてもしも不二が本当に風邪をひいたときの方が何十倍も恐ろしい!!!
くそう、雨と風の抵抗のせいで傘が重く感じる!!!こんなんじゃ追いつけない!!!と思った私は瞬時に傘をたたみ、そのまま走り出した。
かまわない。だってもうすでにさっき水を跳ねられてしまったんだからこそ、これ以上濡れたってどうでもいいような気がした。否、どうでもいい。
「ふーじ、不二ってばぁ!!!」
ああ、未だかつて私かこれほどまで真剣に不二を追いかけたことがあっただろうか、いや、あるまい。

さんざん追いかけまわった末にたどり着いたのは、紛れもなく不二の家だった。合掌。
「なんだ、ってばついてきちゃったのかい?」
わー………… わ ざ と ら し い !!!なんだ、このしたり顔で寄ってくるこの男は。
「こんなに濡れて……一緒にお風呂はいる?」
「結構よ」
頬に絡まった指と手のひらをぱちんと払いのけた。不二が困ったように苦笑した。
が風邪ひいたら、ちゃんと僕が看病するよ?」
本気なんだか冗談なんだか……私は不二に促されるまま結局不二家にお邪魔することになってしまった。
ああ……やっぱりさっきほっておけばよかったのかなぁ……。
でもきっと、私はなにをしても後悔するんだろう……この男の企みの前に来てしまえば。







大量の雨水を滴らせながら玄関に現われた私たちを笑顔で迎えたのは不二のお母さんだった。
「あらあら」とか「まあまあ」とかただひたすら感嘆詞を呟きながらタオルで包みこまれ、バスルームに押し込まれてしまった。
シャワーだけ、と思ってせかせかとしていたら(だって不二が!!!)着替えを持ってきてくれた由美子さんに湯船に押し込まれて髪の毛まで洗ってもらってしまった。
とてもいい香りのシャンプーだったのでそのことを告げたらなぜだかにやりと笑われて、どこからか取り出したか可愛いピンクの小瓶に入った液体を湯船の中にたらしていった。シャンプーと同じいい香りがした。
すっかりあたたまって用意して頂いた服に身を包むと、入れ替わるように不二がバスルームに押し込まれ、私はリビングで不二のお母さんに髪の毛を乾かしてもらっていた。
悪いですから…といってもやめてはくれなかったどころか、由美子さんまで現われてスキンケア講座を開いてくれた上に実践までしてくれた。
というかここまできたらなんとなく私は今このふたりのおもちゃにされているんだな、と悟ってしまったのでもうとにかくおとなしく笑っていた。
ああああ………誰か助けて……!!!
なんて思ってもここは不二の領域、この家族からどうして逃げられようか。
きっと私はこの後お風呂からあがった不二と一緒に金八先生を見るのだ。そしてそのあと不二のお母さんの手料理を食べ(だってさっきチキンは大丈夫かって聞かれた!!)、由美子さんのお人形(私!!)遊びにつき合わされ、…………………帰れない…んだろうなあ。

耳を澄ませば未だ降り止まぬ豪雨、それすらこの一家に手を貸しているようにさえ思えた。










END!!



もちろん私は帰れるはずもなく既に母に連絡してあったという用意周到さに眩暈すら覚えつつもおとなしく不二家の屋根の下で一日の終わりを過ごした。
教訓、折り畳み傘は絶対に持ち歩くようにしよう。


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88888ヒットキリリクどうもありがとうございました、今村砂南さんへ
長らくお待たせしましてどうもすみませんでした……!!!
平謝りに謝り……不二が最初と最後らへんしか出てきてないですが…あわわ
楽しんでいただけば幸いと思います

2004/10/6      あらなみ