02










 青い空、白い雲、さんさんと照りつける夏の太陽は凶悪で。ワークキャップでどうにか日差しを遮ろうと試みているが、あまり意味がない。けれど、被っていないよりはマシなんだろう、多分。隣に立っているやたら体格のいいビッグマン…誰からもジャンボと呼ばれているが…は、額から汗を文字通り流している。
「暑いな」
「言わないでー、その言葉を聞くともっと暑くなる」
「じゃあ寒いな」
「寒いわけないでしょー、冗談は顔だけにしといてよ」
「口の減らない女だな」
「ふん」

 無心に風景を見ていようとしても、あちこちから聞こえるセミの大合唱に集中力は殺がれていく。頬を伝って落ちていく汗すらひんやりと感じるなんて、今年の夏は暑いにも程があるだろう。
「そんなに暑いなら、日陰にいろよ。ちょっとはマシじゃねぇか?」
 指し示された玄関下にある一人分の日陰を、躊躇なくジャンボはマコに差し出した。暑さのせいで朦朧としそうになる意識は、そうだジャンボってなんだかんだと言うくせに結局優しいよね、なんて思わせてすぐさまフェードアウトだ。優しいけど、優しいだけって言うか。いい人どまりって言うか。
「…ジャンボにしては気が利く…?……ありがとう」
「…なんだよ照れ隠しのつもりか?」
「あつーい」
「無視かよ。…とか言ってるうちに、来たぞ」
「え、ほんとー?」
 ホラ、と言われた先の道で、白の軽トラがこちらに向かって走っていた。運転席と助手席には、見知った顔がふたつ。夏なのに伸ばしざらしの長い髪を持った人と、その子供。エンジン音はだんだんと近付き、そしてとジャンボ、二人の前にて動きを止めた。
 
「ジャンボ!ー!」
 ドアが閉まる音が軽快に響くと、軽トラの中からまず女の子が飛び出し達の周りを飛び跳ねた。小さな女の子の頭をジャンボは大きな掌で撫でる。
「よう」
「こんにちわー」
 そして次いで降りてきた無精に髪を伸ばした細身の男、小岩井は片手をあげ、太陽の下へ晒された。は大きく笑みを作って彼を見る。
「久しぶり」
「おう、ヤンダは?」
「なんか用事があって来られないとよ」
「仕事か?」 
「いーやー、どうせミキちゃんとデートでもしてるんだよ。先輩の引越し手伝うよりデートの方が有意義とか言っちゃって」
 吐く息も荒く、は少し感情的に捲くし立てた。けれど小岩井もジャンボも、「あいつはダメだなー」なんて言い合っていて、の寄せられた眉間の皺には気付かない。ヤンダに会いたかったな。ぼんやり考えながらは、小岩井が開けた玄関の扉をくぐった。

 家はの中はまだ家具も何もなく、がらんと空虚さが前面に押し出されていた。築十数年ばかりの使い古した感じのある雰囲気だったが、丁寧に管理されていたせいかこぎれいではあった。ここに今日から小岩井とよつばが暮らすのか、と思えば夜までにどうにか片さなくてはとの意気込みも強くなる。
「で、私はなにをすればいいの?言っておくけど、本がぎっしり詰まったダンボールなんて私運べないからね」
「そんなこたぁー期待しちゃーいねーよ。むしろ力仕事でこき使おうと思っていたのはヤンダの方で…」
「運んだダンボールから荷物出してしまったり整理して貰えば?」
「あいあいさー! …そういえば掃除しなくていいの?」
 は今まで見ていた全体の雰囲気から細かい所に目線をシフトする。ものすごく汚れているというわけではなさそうだが、廊下の隅には少しほこりが落ちていた。
「イヤ、前の住んでた人がきれいにしてくれたみたいだから平気だ。荷物片したら軽く掃除すれば問題ないよ」
「そっか、じゃあじゃんじゃんダンボール持ってきて!ジャンボ!!」
「なんで俺だよ」
「あんたが一番でかいからー」
「よつばは!?」
「じゃあよつばもジャンボに負けず、それいけゴー!」
「おー!」
 掛け声とともに、真っ先に飛び出して言ったのはよつばで、文句を言っていたジャンボもよつばを追いかけて玄関を飛び出した。
「小岩井さんも、早く早く」
「はいはい。…そうだ
「ん、なに?」
 玄関に向かいかけてた小岩井の身体が振り向き、の視線を捉える。口端をあげてにやりと意地の悪い笑みを浮かべた小岩井は、に向かってこういった。

「ヤンダ、来れなくて残念だったな」

 言った後はの表情を見るでもなく、さっさと玄関へ向かっていった。だから飄々とした背中をはぽかんと見つめてしまった。開け放たれるドアから、風とセミの鳴き声が降り注がれる。カキ、と金属の重なり合う音が響いて、玄関に立った小岩井がこちらを振り向く。口端を上げてにやりと笑った小岩井の表情は意地悪く見えた。
「趣味が悪いな」
 それだけ言って、小岩井はの視界から消えた。外ではしゃいでいるよつばとジャンボの輪に小岩井が加わったのか、話し声が一層賑やかになった。

「…………ちくしょう」
 小さくは呟き項垂れた。どうとでも取れる言葉だったのに、そういう風に受け取って反応してしまったのはだった。人の心の動きに鋭いくずる賢いのは、相変わらず健在のようだった。


***


 次々と運ばれてくるダンボールを片っ端から開け、取り出してはしまうという動作を、は無心に続けていた。それを何回繰り返したのだろう、ふと気がつくと外はひぐらしが鳴いており、日は傾きかけていた。部屋に置かれていたダンボールは既にすべて空となったし、この部屋ではもうやることがないなとはひとつの達成感を覚える。特にこだわって並べたわけではないが、空っぽだった本棚に今は小説やら資料やらがぎっしり詰まっているのを見ると、満足感が湧き上がった。立ち上がって部屋を出て階段を降りていくと、小岩井ととジャンボがああだこうだと話し合っていた。もうほとんどの家具は運び込んだらしい。がそれに近付いていくと、それに気がついた小岩井が手を上げて応える。

、ありがとうな。おかげであらかた片付いた。」
「え?ダンボールまだちょっと残ってるよ? っていうか、家具少なくない? 生活できるの?」
「まあ、とりあえず食って寝れればいいかぐらいの物しか持ってこなかったけど、どうにかなるだろ」
「…その身一つでふらふら世界中旅してきた人は言うことが違うねー…テレビもないのに」
「パソコンがあればなんでもできるぞ」
「ソウデスカ」
「………とりあえずお前、よつばと食べたい物でも話して決めてろ」
「はいはーい」
 ほら、と渡される店屋物のチラシを受け取り、は恐らく居間になるであろう部屋に入った。高校生の部屋にあるような折りたたみのテーブルが真ん中にぽつんと置かれ、その横に座布団が二つ重なって置いてある。その横でよつばは小さなダンボールから本を取り出している。小さいけれど、大人同様に引越しの手伝いをしているつもりなのだろう、微笑ましいな、とは思わず微笑んだ。

「よつば」
「あ、ー」
「よつばのお陰で引越し早く終わったってさ」
「本当かー!」
「うん、本当。とーちゃんもジャンボもよつばのお陰だって喜んでたよー」
「やったー!」
 の言葉に素直に喜んだよつばは、立ち上がってばんざいと手を上げて喜んだ。子供って単純で面白いな、とは膝を追ってよつばと目線を合わせた。
「でね、今日はたくさん手伝ってくれたよつばに、夕飯を選ばせてあげよう!」
「ごはん?」
「うん。今日はこの中の好きなところから出前をとります!」

 先程小岩井に渡された店屋物のチラシを一枚ずつ床に並べていく。日の出屋うどん、更科そば、はま寿司、ピザーラ。らんらんと輝くよつばの目に、特になにをしているわけでもなくは何故か得意な気分になっていく。どうしてだろうか。
「これー! これ食べる、おいしそう!」
 にこにこと嬉しそうに指をさしたのはピザーラのチラシだった。
「じゃあそこにしよう。どのピザ食べたい?」
「えっとなー…」
 小さな指が、チラシの上で迷い出す。それを見ながらはサイドメニューをチェックする。酒のつまみになりそうなものもちらほらとあり、なんとなくビールでも飲みたい気分になってきた。いや、飲みたい。どうせ明日は休みだし、買ってきちゃおうかなという考えがわき上がっては止まらない。

「これだ!」
「え?」
 決まったとばかりに声を上げたよつばに、の意識が引き戻される。これしかないとばかりに輝く目、力強い指先。けれど。
「よつば、それはアイスだよ」
「だめ?」
「だめじゃないけど…それは後でにしよう。ピザだよ、ピザ!」
 気を取り直してもう一度、よつばにピザを選んでもらう。そういえば、ここに来る途中でコンビニがあったことを思い出す。あそこまで行けばお酒もあるし、おつまみもあるし、アイスもデザートもなんでもある。
「決まった?」
「うん」
 あれとこれとそれ。指し示したよつばの注文を確認する。携帯電話を開いてチラシに書かれた電話番号をプッシュする。暫らくのコール音の後に案内に切り替わったので、はさっそくオーダーした。










 
2011/1/5 ナミコ