「なんでだかわかんないんだけど、九能先輩に」


「な…っ、………なんでまた?」
 思わずの口から滑り出た固有名詞に驚いたのは、あかねだけではない。驚きにひきつるあかねの顔を横目で見つつ、自身何故今、その人の名前が口から出たのかわからないでいる。


「……なんでだろう」


 頭を捻るの前で、あかねは絶句していた。


「なんでって……それは私が聞きたいんだけど」
「だよねー。なんでだろう、なんか神がかり的ななにかがあったとしか思えないような事態に私も混乱している。落ち着いているように見えるかもしんないけど……ドラマ記念?」
ったらなに言ってるの?もー、本っ当に無表情だけど混乱はしてるみたいね…」
「うん…」


 本当に何故だろうと思いつつも、手の中の毛糸はディープブルーのセーターを編み上げようとしているから不思議なものだ。この色合いが似合う人なんていったら、それこそあの九能しか思い浮かばないし、そもそも思い浮かぶあたりがどうにも信じがたい上に男物のセーターだなんて、我ながらなんて大作を作り上げてしまったんだろうと頭を抱えたくなりそうだ。だってこんな、明らかに手の込んだものなんて"本命の人"以外の誰のために作るって言うんだろうか。ますます訝しげな表情で持っては頭を傾げた。


「お前からの心づくしこもったプレゼント、楽しみにしているぞ」
「く、九能センパイ!」


 びくり・と身体を飛び上がらせ驚いているあかねを横目に、はさほど驚きを露にはしていなかった。むしろなんとなくその出現を予感していたのかもしれない。じんわり涙を滲ませほおずりをせんとばかりに寄り添う久能をどうこうしようとする気すら起きないのも、たぶんそのせいだろう。は細やかな端の処理を終えると、無表情でそれを久能に差し出した。


「一日早いですけど、クリスマスプレゼントです」
「おっ……、おさげの女っ!」
 がっしり掴まれたのはセーターではなく、の小さい掌だった。しっかりじっくり顔を近づけて目を合わせ、しとどに目から涙を零す久能をは冷静に見ていた。なぜだろうという疑問はいまだの中に巣食っている。


「お前からの愛、しかと受け取ったぞ!」
「そこは否定します。愛じゃなくて……記念品みたいなかんじ」
「うむ、僕とおさげの女と愛が通じ合った日の記念の手編みセーターだな!」
「だから愛じゃないってば」
「こいつう、照れてるなぁ!」
 いつもより数倍ポジティブで話の通じない久能に、はほとほと苦悩した。殴り飛ばしたいこの拳はわなわなと震えているが、殴り飛ばしたなんて表現が書かれないあたり神がかって恐ろしい。これはたぶん、すべてが仕組まれた出来事なのだ、きっと。


「…………やっぱりそれ返して」
「はっはっは!もうこれは僕のものだ」
「………」
 助けて・とばかりにはあかねに視線を寄せたが、期待に応えてくれるような反応は貰えそうにない。あかねはちらちらと時折視線をこちらに向けてくるが、積極的に関わりたいとは思っていないらしく、手元の編みかけのマフラーと奮闘していた。


「よし!おさげの女には僕からの接吻をやろう」
「いらない!」
「遠慮するな」
「いらないいらないいらないったら!」
「この街中からヤドリギが消えたとしても、ぼくには見える!お前の頭上にヤドリギがっ!」
「幻覚でしょ、それ!」
「幻覚なものか〜〜〜〜っ!」


 ああでもないこうでもないと押し問答していると、いつの間にか距離を詰められたは壁際に追い込まれていた。そして逃げ場を奪うように退路を断った久能はの喉元に木刀を突き付けた。


「さ、おさげの女…!」


 意を決しろとでも言わんばかりに目を閉じた久能は静かにに顔を近づけた。それをは焦るでもなく嫌がるでもなくただじっと見つめていた。










「なーにしてやがる、久能!」
 ごすり・と、外に置いてあったはずのたぬきの置物を、その頭目掛けて落としたのは乱馬だ。こちらもおおよそ予想済みとはいえ、心底ホッとしたことは否めない。


「遅い!」
「しょーがねーだろ。なんでか知らねーけど、今日はお前ら二人してこそこそ隠れやがって!」
 どこにいるか分かんねーよ・と、乱馬は続ける。それもそうだ、クリスマスを前日に迎えて尚完成の遅れている手作りのマフラー…勿論あかねが乱馬の為に編んでいるもの…を、誰にも見つからないようこっそり編むため、今日は乱馬の気配から逃れていたのだ。ひとつ屋根の下に住んでるせいで、今日一日どれほど苦労したことか!乱馬の意識がこちらに向いている隙に、慌てて編みかけのマフラーを後ろに隠したあかねを確認すると、向き合った乱馬に向かって言葉を発した。
「……うるさい」
「なんだよ、本当にお前はわがままだなー」


 呆れた声を出すものの、咎めるでもなく乱馬はとあかねを交互に見下ろした。乱馬と目が合ったらしいあかねは慌てた様子でそっぽを向くが、それが乱馬は気に入らないようで、少しムッとしている。


「さ〜お〜と〜め〜!」
「!」
 低い唸りを上げ、乱馬の足元でうめく九能は心底恨めしそうに乱馬の足を掴み、ゆっくりと起き上がった。あまりの負のオーラに思わずのけぞったのは乱馬だけではない。


「いい加減ぼくたちの交際を認めんか〜っ!」
「いやあ、認めるも何も…それ以前の問題だろーが」
 ふん・と、力を込めて目一杯振り下ろさせた太刀筋を軽やかに乱馬は避けるが、さすが腐っても九能。後ろに流れた剣圧は衝撃波となり壁に穴をあけた。
「きゃー!」
 おかげで被害を被ったらしいあかねは姿こそ無事なものの、引きつった顔で叫び声をあげている。いや、これはまさか…と、は慌ててあかねに駆け寄るが、その被害たるもの悲惨なものだった。


「折角ここまで編んだのに!」
「うわぁ…」


 半ばなみだ目で毛糸のちぎれたマフラーを抱きしめ、あかねは肩を震わせた。哀愁・というか、悲哀漂う背中にどう声をかけていいものかが迷っていると、空気の読めない勘違い九能はするりとあかねの肩を抱き、これまた見当違いな言葉をあかねに投げかけた。
「あかね君も僕のためにマフラーを編んでてくれたのかい?」
「違うわっ!」


 振り向きざまに力いっぱい繰り出されたあかねの拳には、悔しさだとか怒りだとか、とにかくもう全てが詰まっていたように思える。どっかーん、と大きな音を立てて道場の天井を突き破り、九能はクリスマスの夜空の星となった。そして後に残されたとあかねと乱馬は言葉なく、その場に立ちつくす。肩で息をするあかねの眉根は引きつっていたが、時間の経過と共に涙を思わせるほど寂しく彩られた。


 気まずい空気の流れる中、なにか慰めの声をかけようとが口を開こうとすると、それより先に乱馬があかねの傍に寄り、声をかけた。
「なんだよ、気にすんなよ!また作り直しゃあいいだろ。な!あかねなら出来る!まだまだ冬は長いんだ、腹巻のひとつやふたつ…」
「…腹巻じゃない、マフラーよっっっ!」
「……ごめん」
 いつもより饒舌に口の回る乱馬を、その拳であかねは止めた。いつもだったら反論する乱馬も、今日ばかりは大人しくその制裁を受け入れた。それでも尚落ち込むあかねはその手の中のマフラーをじっと見つめているばかりで、いつまでたっても浮上してくるようには見えない。これはかなり重症だな・と、は思ったが、それも当たり前だと思う。自身、今まさに完成を間近にしたセーターをダメにされたら、その努力した分だけ落ち込むに決まってる。


「…ちょっと糸は切れちまってるけど、あったかそーじゃん」
「……………そう、かな?」


 どうしたものかと悩んでいるうちに、あかねと乱馬の間で状況は勝手によくなっていきそうな気配を見せた。あかねの手の中からマフラーを取った乱馬は、くるりとそれを首に巻き、白い歯を見せてにっかと笑った。訝しげにあかねは乱馬を見つめていたが、乱馬がもう一度「あったかいじゃん」と笑うと、涙目となっていたあかねの目からは涙は引っ込み、代わりに笑顔が引き出された。なんだ、これじゃあただのお邪魔虫だと、はこっそり道場を後にした。白い息を吐き出す夜半、身体を震わせながら部屋に戻ろうとすると、黒い影がの前に立ちはだかった。


「おさげの女!」
「く、九能先輩…!」


 びくり・と、身体を疎ませはすかさず乱馬に助けを求めようとしたが、そうすることはつまりあかねと乱馬の邪魔することになってしまうのでなんとなく気が引けた。苦手意識が先立つからこそのもので、ちゃんと対峙すれば九能になんか負けるはずはない!とは思い込んで気を張った。


「そう睨まなくてもいいじゃないか。ぼくはお前に渡したいものがあるだけだ」
「…渡したいもの?」
 まさかヤドリギではあるまいと構えたものの、目の前に差し出されたのは紙袋がひとつ。訝しげにそれを見ていると、九能はその中からニットポンチョを取り出し、にそっと羽織らせた。


「お前からのプレゼント、嬉しかったぞ」
「…こちらこそ、どうもありがとう…」
 思いもかけない出来事に面食らい、は素直にお礼を言った。するとどうだろうか、いつものかっこつけた笑いではない、変態臭い笑いでもない。ただ本当に、花が零れるように破顔した九能の顔を見て、は驚きに固まってしまったのだった。


「男女交際は清く正しく、交換日記からだ。…では、寒さには気を付けたまえよ!」


 一瞬見た笑顔は幻だったのか、すぐに元のかっこつけた笑いに戻った九能はの手に分厚い日記を押し付け、そのまま走り去っていった。へなへなと、腰が抜けたはその場に座り込んでしまった。


「………なんなの…」


 呟きは、いつの間にか日付の変わったクリスマスの寒空に。火照った頬には気付かない振りをして、は貰ったポンチョを優しく撫でたのだ。












2011/12/31 ナミコ