08










 まったく、とんでもない目に会ったぜ。と乱馬は嘆息する。肩身の狭い居候生活なのに、真夜中に押しかけてきた良牙。叩き起こされて外にほっぽり出された挙句、雨の中走りまわされた。良牙かと思って連れ帰った犬は、山田さんとやらの家のベスだったし、妙なブタと湯船を共にすることにもなってしまった。


 最悪だった。いや、めぐり合わせが悪かったというべきか。ブタが良牙だった。いや、良牙がブタだったというべきか。ともかく呪泉郷に突き落とされた良牙もまた、忌まわしい呪いのかかっているうちのひとりなのだ。粗野で乱暴な、日本語をあやつる女に突き落とされた・と項垂れる良牙は哀れだった。パンダを追いかける女・に……?


 ガラリと開いた、扉。めぐり合わせが悪い。悪いったらない。最悪のタイミングだった。




 ばかくそおやじ。




 頭が痛い・と、はこめかみを抑えて天井を見上げた。読み取るまでもなく、また汲み取るまでもないうちにありありと、乱馬の考えていることがにはわかった。
 ああ、因果だなあ・と思いながら、手の中のタオルをそっと置いては脱衣所を後にする。いさかいの声が後ろから聞こえるから、浴室だけではすまないな・と、そう思って足早に居間へと向かう。けれどやや、追いかけてくる声のほうが早くて。


 「待て!!」ものすごい勢いでこちらめがけて駆けてくる1匹と1人。1人の手から何かが飛んで、それは1匹へと見事命中した。


「ちょっと乱馬!なにすんのよ!!」
 居間からこちらを窺っていたあかねはすかさず声を荒げたけれど、けれどそれは乱馬という火に油を注ぐようなものだった。くるりと向きを変え、ちょうど居間の前で乱馬と対峙した子ブタの良牙君は乱馬からすればあかねの後ろに隠れたと見えたらしく、すかさず非難と罵倒の声を上げたし、良牙君はまたそれに憤慨して毛を逆立てて乱馬を威嚇した。


 ほんっと、周りが見えてない。お互いに、お互いしか見えてないんだ。いつもちょっとばかりの差で優劣の優の部分に立つ乱馬と、ちょっとばかりの差で劣の部分にいってしまう良牙君。飛び掛っても、一歩待って構える乱馬に返り討ちされて、ホラ、また。
 ぶぎゅる、と情けない音と共に床に潰された良牙君は、たぶん悔し涙を流すだろうから。


「だいじょうぶよね」


 やめなさい・と、聞こえるあかねの怒号を後ろに、はくらくら脳震盪をおこしていた子ブタの良牙を抱き上げる。案の定ぽたぽたと悔し涙を良牙は流して、そして怒りに震えていた。
「だいじょうぶ、強いんだから」
 ぎゅう・と抱きしめて、は背中を撫でてあげた。


「かわいそーに、泣いちゃって…行こ、
「うん」
「おいっ、どこ連れてくんだよっ」
「一緒に寝るのっ」


 行こ・と、あかねが背中を押して先を促していく。ちらりと視線をやれば、乱馬はぱくぱくとまるで金魚みたいに口を開閉していた。うん、言いたいことはわかってる。けれどはそれを知らない振りして、あかねに促されるように足を動かしていた。


「勝手にしろ!!」


 きっと頭にきたんだろう、乱馬の捨て台詞が背中に聞こえた。


「まったくもお。なんだってのよ、乱馬のやつ」


 静かにドアが閉じて、あかねの部屋に再び招き入れられたは、子ブタを抱いたまま部屋の真ん中でくるりとあかねに向き合った。そりゃあ、だって、それは多分。ここにとあかねがいて、ふたりが一緒に眠るのは別に問題なんてなくて、ふたりの間にこの子ブタが入ったとしてもそれはたぶんおかしいことではないけれど、でもこの子ブタは実は良牙君なんだって乱馬は知っているからこそのあの言葉なんだよね。
 でもそれは、どっちを心配して?かあかねか、はたまた両方か。それともただこの状況におかれる良牙君への嫉妬か羨望か――――もっとも、恋愛における情緒面では、乱馬はまったく年相応ではないから、後者はなあ。……でも。
 クスリ・と、が笑えば、あかねはきょとんと不思議そうな顔でを見つめた。


「ヤキモチ焼いたのよ。あかねと一緒に眠るわたしとこの子ブタちゃんにね」
「なっ…!!?」


 そんなわけないじゃない・と、あかねは軽く受け流してベッドに潜り込んだ。おもったより乱馬のことを理解しているあかねに今度は自身嫉妬しそうになって、けれどやめた。今、の腕の中には良牙がいたからだ。乱馬とあかね、と良牙。それぞれにあてがうものは、元々は同じものでも違うということ。そういうことだ。


「おやすみ、
「おやすみ」


 ベッドの中に招き入れられて、狭いながらにでもあたたかいものには心底嬉しくなってはにゃりとだらしなく笑った。月明かりだけの部屋はもう暗かったから多分、それは誰にもわからなかったと思うけれど。


「おやすみ、ね」


 ちゅう・と、抱いていた子ブタの良牙の鼻にはキスをおくってあげて、それから眠りについた。もう今日は眠れないと思っていた、そのことがもう信じられないくらい意識はとても心地よく夢の中へと落ちていった。










 けれど次に目を覚ますまでも早かった。大きく、強く、けれど刹那。またたくようになにかをひっぱたく音がして、はおぼろげに目をこする。あかねと、乱馬。乱馬は――――


「………夜這い…?」


 素直に真摯に無意識に、言葉はの口から飛び出て行った。それはたぶん、乱馬にとってひどく暴力的な言葉だったかもしれない。そしてあかねの中の、ある種のスイッチだったのかもしれない。だって次の瞬間、乱馬はバット代わりの竹刀によって勢いよく窓を突き破って飛ばされるハメになったのだから。


「ケンカするほど仲がいいっていうのかな…これでも」
 ぽつんと呟いた、小さな独り言。それに「ぶい」と相槌を打ったのは良牙で、けれどきれいさっぱり否定してくれた。そんなわけない・と、首を振って見せることで。










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2007/2/5 アラナミ