02 きみとぼくとあなた







「あれは木、そっちは水、草、花、人、家、橋」
子供はあれこれ目に付くすべてのものに対して指をさし、その名称を言ってのける。
「太陽、風、空、雲」
くるくる世界を見渡し、確認しながら言霊を呟く。
そう、子供にはまるで忘れてしまったものなどまったくないように通常の生活に順応できていた。
「マルチェロ」
最後に目に入った男の名前を呼び、子供はそちらへ歩を進めた。

「いい子だね。そのとおりだ」
駆け寄った子供の頭を撫で、男は笑う。まるで兄かなにかのように。
それを見た騎士団員がどのような話をしようと、それが蒼の目を持つ子供にどのように伝わろうと、この子供には計り知れぬことだった。
初めて子供に笑いかけ、手を差し伸べた男は子供にとって絶対で、安堵であった。
優しく享受されることを許される限り、子供は絶対的に男に駆け寄っていくのは必然である。

「自分のことは思い出せたかい?」
「………」
取り戻しかけている子供の笑顔は、子供の記憶を聞くほどに消えてゆく。
影を落とした表情で子供は首を振り、小さく俯いた。

「気を落とすな。昔のことなんて、覚えていてもよくないことだったかもしれない。それにお前はそのままでも充分生きていけるよ」
肩を優しく叩いた男の手は、子供にとっての救いになる。
見上げたそこに、包むような笑顔があれば、なおさらに。
「…ありがとう、ございます…」

「さて、もうそろそろ昼食の準備の時間だ」
日も半ば高くあがりかけた午前の頃、男は厨房へと向かう。
自給自足の修道院では、日に三度の食事の供給は交代制で行われる。
働かざるもの食うべからずとはよく言ったもの。それは食事にいたらず、すべての時事に対しての見解である。
「まずは食料を運ぶことから始めよう」
子供と男の手は繋がる。
繋がる手、繋がらない手、その間を挟むもの。



配給すべき量の野菜をその足で往復して厨房へと子供は運んだ。
一度で運びきれる量ではなく、またひとりでできる量でもなかった。
複数のものがそうして何度か往復して運ぶ、それが常である。
そしてその間に残りのものは野菜の皮を向き、適度な大きさに切り、スープを作る。
修道院の食事は3度とも質素であった。
野菜の入ったスープとパンとミルク。成長期を生きるものたちへの配慮はなく、自給自足といえどもパンも野菜もその種は買わねばならないのだし、家畜への餌とてダダというわけでもなく、少ない寄付金ないですべてのものに満足な食事を与えていたら修道院は干からびてしまうのだ。
疲れ疲れる毎日の中、神に祈りを捧げるものがそれでも不平不満を言わずにいるのは院長であるオディロ自身がその質素な食事にすら感謝を抱き、口にし、皆平等ととなえる偉大なる神のしもべであるからだ。
この修道院はたしかに幸せであった。
神の子を分け隔てなく愛する神の子が皆を包んでいたから。

それでも、皆を包む神の子が愛する者たちが完全にすべてに対して平等であるかはわからなかったけれど。

運ぶ野菜はこれで最後であった。
最後のひとかごぶんを子供は請け負って厨房へ運ぶ。
しかし足取りは弱々しくふらふらと千鳥となっていた。
入りきらない量ではないと、ひとかごにひとかごぶん以上に野菜を詰めたことがそもそもの間違いだったのかもしれない。

ふらりと、足を取られる。
身体の重心は明らかにかごに取られていて、いったんバランスを崩してしまった身体を元に戻すことは不可能だった。
転ぶか、落とすか、はたまた両方か。

「あぶないっ」
放り投げられそうになった籠ごと支えられる。
光に助けられたと、子供は思った。
目の前は光にキラキラ輝く銀色が目一杯に広がっていたのだから。
腕をとられ、反対側に引っ張られ、転ぶことから免れた子供の手にした籠からは、ひとつだけ根菜が落ちた。それだけですんだ。

「どんくせーなあ」
銀色の蒼い目に、子供は人ではない美しいものを見たような気持ちになる。
「…天使?」
「はぁ?なに言ってんの、お前」
銀の髪の子供は転がった根菜を手に、子供の手を取る。
「はやく行かないと、遅いって怒られる」
繋いだ手に感じるあたたかさは、子供にとって覚えのあるものだった。
けれどどこか乱暴に粗雑に手を引くそれは力強いもの。
子供を捉えた目の色の蒼も、強い。

「ククール?」
「…なんだよ」
子供は直接銀の髪の子供の名前を聞いたことがなかったし、銀と蒼の目を持つ子供が子供に話しかけてくることなどなかった。
お互いを知る術を、少なくとも子供は持ち合わせていなかった。
子供はまだここの生活には慣れることが出来ないし、話をする人間もごくごく限られていた。
この銀の髪の子供が仮に子供を、子供が思う以上に知っていたとしても、子供はそれを知る術を知らない。
他の騎士団員たちが話していた銀の髪の子とククールという固有名詞を憶測によって結び付けただけに過ぎない。

「ありがとう…」
「…………」

子供の笑顔を、銀の髪の子供は蒼の目を細めて冷ややかに見つめた。
あたたかな手と冷たい目。
相反したものがない交ぜになって銀の髪の子供はひどく苦しそうに見えた。
その手も目もすべてむけられているのは、子供に対してのものだというのに。

一呼吸置き、銀の髪の子供は何事もなかったかのように前を向き、厨房へとまた歩きだした。






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あけましておめでとうございます〜!!
今年もどうぞよろしく、です!!!

2005/1/1 ナミコ