恋と喧嘩はマイエラの華 7






 溢れてとどまりを見せないと思っていた涙が止まった。見つめるククールの瞳の奥に灯る炎を見たからかもしれない。エイトはそっと頭を胸に預けるようにして寄りかかってみる。このまま肩を抱いて欲しい、抱きしめて欲しい、なにか言葉を欲しい。するとククールはそっとエイトの肩に腕を回し、抱きしめる。口にしない願いを次々と叶えてゆくククールにどうしようもなく心を跳ねさせられた。

 ククールは強く、エイトを抱きしめる。





 憎かった。憎くて憎くて仕方がなかった。
 ないもの強請りをしているわけではない、ただ、そこにあるものがあるはずなのに手に届かなかった。届いていたのに、振り払われて拒絶された。それでもただ、欲しかった。手を伸ばして伸ばしても届かないそれに、後から来た痩せっぽっちの年下のガキに容易くとられたのが気に食わなかった。それが例えオレに対する、あの男がしてみせたあてつけだとわかっていても。

「…なぁ、抱いてもいいか?」
 小さく胸の中でエイトは頷いた。喉はカラカラに渇き、掌にさえ汗が滲んでいた。ぎこちなく動かない腕は震えそうになるのを叱咤するようにゆっくり確実にエイトをベッドの中へと沈ませていく。青い聖堂騎士団の制服を肌蹴させ、肌を露にさせる。日の光にあてられずにすごしてきた肌は驚くほど白く、そして情事の痕をくっきりと残していた。
 身体中そこかしこと散っている鬱血の痕を見ると正直気分がいいはずもなく、それでもそれは多分――――きっと、自らが招いたゆえの結果なのだろうからこの吐き気がしそうなくらい内蔵からこみあげてくる嫉妬をただ黙殺しせざるを得ないんだ。
 目に止まるそれをないものと押し込めてククールは肌に指を滑らせていった。艶やかで、滑らかな肌。滑らかなだけだったはずの肌は隔てていた時間を挟み、艶を加えた。ギリ、と歯を食いしばるほどの悔しさを飲み込んでまたキスをする。くちづけはひどく甘く、背負い込んだ罪悪を溶かしていくような気がしてはそれに夢中になった。唇を合わせながらすべて取り払い、愛撫して、エイトの体温が熱くあがっていくに比例してククールも熱をあげる。抱きしめてキスをして触れては欲望をたぎらせた。

 たしかにククールは手の届かぬ兄を欲していたけれど、それ以上に欲しいものがあった。決して手に入らないと思っているものを手に入れたエイト、無垢に笑いながらも奥底に悲しみを秘めては毎日を過ごしていたっけ。
 自分にとって最上のものが他の誰かにとっても同じではないように、エイトもまた、ククールやマルチェロのことを、決して手に入れることのできないものを手にしているのだと思っていたはずだ。
 胸を占める充足感に、涙さえ滲みそうになってククールは強くエイトを抱きしめた。
「ククール…?」
 そっと伸ばされた腕に背中を撫ぜられた。強く抱きしめているのは自分のはずなのに、抱きしめられているのはまるで自分のような錯覚に陥った。
 そう、エイトが欲しかった。
 映し鏡のようでまったく相反する気持ちと志をもったエイトの心が欲しくて、思う心を返して欲しくて。

 あいつのものになっちまうお前が、憎かった
 呻くようにククールは言い、エイトを抱くための腕を伸ばす。

 間違いを取り戻すために抱きたいと乞うたわけではない。でもまあそうか、完全に違うのかと聞かれたら躊躇いながらも首を横に振るだろう。そう、間違いを取り戻すためということも確かに少しばかりなりこの行為の意味に存在していた。
 けれどなにより、とククールは、エイトの年の割には薄く男にしてはやわらかい胸のうえに指を滑らした。熱い呼吸に上下する肺の上は尖って上向く乳首が乗っかっていた。爪弾くと身体はびくりと強張り緊張する。あわ立つ肌にむず痒いような刺激に眉を寄せる顔。欲しいのか、つらいのか、どちらなんだと考える間もなくククールは舌を這わせ、それに吸い付いた。乳輪をなぞり、乳首に軽く歯を立て攻めあげた。
「……アッ、」
 信じられないくらい甘い声をあげるエイトにぞくぞくと興奮は背筋をはい上がり、行為を執拗にさせていった。身悶え、快楽に溺れて――――……。それでもエイトは拒絶の言葉を口にしない。あのときのように。ひっきりなしに口から漏れるのは甘ったるい快楽に溺れゆくものの嬌声だ。嫌と口にしてもそれはやんわり相手をたしなめるための自己表現にすぎなく、他愛無い戯れのようなものだった。あんまりに無知すぎて拒絶することしかできなかったから、あの時の痛みを払拭できるほどに、ただ、求められていると感じることができる声と腕を目の当たりにしたかった。

「なあ、欲しいって言えよ」
「して欲しいって言ってくれよ」
「オレがいいって、」
 情欲に潤んだ目が戸惑いがちにククールをうつした。赤くなった目元が涙にしみて痛いだろうに、エイトは薄く微笑んでククールに手を伸ばす。首に腕を回し、引き寄せて首元に顔をうずめさせるその耳元で、囁くようにエイトは小さく"好き"と言った。それがたまらなく、涙が零れそうなくらいに胸を打つものだからククールは口元を震えさせながらもはにかんで笑い、今度こそ慈しむようにただ、あの日伝えることのできなかったものすべて込めてエイトを抱いた。












 事後の気だるさか疲れていたのか行為が終わると共に意識を失わせるように眠り込んだエイトの身体を拭き、エイトのベッドから自分のベッドへと運びシーツをかぶせた。精液でベトベトに汚れたエイトのベッドシーツは丸めてバスルームに放り込んだ。そのついでに自分もシャワーを浴びようかと思ったが、ククールはなんとなくそのままタオルで身体を拭くことにして、エイトが眠る自分のベッドへと潜り込んだ。ふたりで眠るには少し狭いけれど、抱き合って眠るにはちょうどいい。
 ふあ、と大きくあくびをしてククールは目を瞑った。抱きしめたエイトの体温が温かく、急激にククールに睡魔をもたらしていった。隣に誰かを眠らせるなんてこと、何度となくやってきたのにどうしてこれほどまでにくすぐったく感じるのかなんていう疑問はとめどない睡魔にどろどろに溶かされて、白濁とした夢現の淵の川べりに流れた。



 しあわせにつつみこまれたゆめを。
 それが瞬きの時をさまよっていたとしても、今は。










恋と喧嘩はマイエラの華、第二部終了。
第三部へ続く

2005/6/20 ナミコ
2005/9/25 加筆修正