1 エイト




心臓の音が聞こえる。

と思ったら、ああ、やっぱり、なんて慣れてしまったように寝ぼけた頭でぼんやりとそんなことを考えた。

暑すぎるというほどの気候でもないのに、このままではじっとりと汗をかいてしまいそうになる。

それでも聞こえるゆっくりと穏やかな鼓動に心底安心してしまい、このままでもいいかと、目を閉じる。

ゆっくり、申し訳程度に擦り寄ってもう少し近くに寄れば、伸びた手に包まれてもっと心地よい気持ちになる。

起きているのか、それとも無意識なのか、目を閉じてしまっているエイトにはわからなかった。

けど、それでもいいかとほのかにエイトは微笑んで、それから穏やかなまどろみにすべてを任せていった。

あたたかな人肌のぬくもり、それが彼であればなおさらに。



夜明けまで、もう少し。






2 ヤンガス




「こいつはまた……!!!」

整えていた掛け布団をまっぷたつに引き裂きそうなくらい力を込めて、ヤンガスは隣のベッドを睨んだ。
三つ並んだベッド。ひとつはヤンガス、ひとつは空。もうひとつにはエイトとククールがいて。

「朝でがす、兄貴起きてくださいっ!!」
布団を剥がすついでにククールを落としてやろうとヤンガスは思い切り彼の首根っこをつかまえて後ろに放り投げる。
そうすればベッドに残るのはエイトだけ、兄貴分であるエイトをかいがいしく起こしてそれから奴はほっといて朝食を食べに行こう。なんて思っていたのにベッドはもぬけの殻で、誰もいない。
なんで、どうして、と目を凝らしてベッドを見ているヤンガスの後ろからはドスンというしりもちの擬音の後に「いてて」と聞き覚えのある慕情を抱くその人の声を耳にしたので慌てて振り向くと、そこにはククールに抱きかかえられたエイトがいたっていう寸法で。

「わー、兄貴、すんませんでがす!!!」

ククールだけを放り出すつもりが、ククールに抱きかかえられていたエイトまでも放り投げることになってしまったというわけで、つまり。

「もうちょっと、優しく起こしてくれよ」
それでも苦笑して怒らないエイトに涙を零しそうにな気持ちになったヤンガスは、しゅんとうなだれた後、いまだ眠りこけるククールに一発お見舞いした。
お前はもうちょっといろいろ考えるんでがすよ!!!ていうか起きろでげす!!






3 ゼシカ




いつもの朝食の時間に下りてこないあいつらを、どうしたのかしらなんて心配して見に行くんじゃなかったわ。
覗き込んだ部屋では馬鹿みたいな寸劇をしてみせる仲間たちがいたんだから。
ヤンガスに叩かれたククールはやっとお目覚めで、起きた途端言い争いを始めるし、これじゃあおりてくるのなんかいつになるかわかんないわ。もう、しょうがないわねぇ。

「エイト、エイト」
手招いて呼び寄せる。
あの二人からすでに離れていたエイトはごくごく自然な朝を迎えたように着替え終わっていたから、だったら二人だけで先に食べてしまおうかと思ったのよ。
「おはようゼシカ」
「おはよう。朝食先に食べちゃいましょう」

朝は忙しいけれど、それでもゆっくりとした朝食の時間を過ごせるってとても素敵なことなのよ。
紅茶にスクランブルエッグ、マーマレードを薄くトーストに引き伸ばして小さくかじった。
苦味と甘味が交互に混じる、紅茶ともとてもあってておいしいわ。
エイトとこうして二人きりで朝食を食べるなんて今までなかったわね、なんて思っていたら階段から少しの騒がしさと共にククールとヤンガスがやってきてこのテーブルを囲った。

「置いていくなんてそりゃあねーぜ」
「ひどいでがす」
言いながらふたりは朝食を注文する。
朝からしっかり食べるヤンガスと、対照的なくらい食べないククール。
フルーツだけを頼んだククールを、たしなめるようにエイトは口を開く。

「ちゃんと食べろって言ってるだろ」
「食べてるだろ、ほら」
運ばれたデザートフルーツを指差し、な、と言ってもそれはエイトの眉と口を顰めさせるだけに過ぎないというのに。
「炭水化物も摂れよ」
「じゃあ一口だけな」
ため息をつくエイトの手には、マーマーレードののっかった食べかけのトーストがあるわ。
いつもいつも毎朝、あんたはそうしたいから朝食べられない自分を演じているのかと疑っちゃうわよ。

一口大口がぶりとかむ。咀嚼して飲み込んで「うん、うまい」そして舐めるようにエイトの指先を舌で掠めていくあんたは、当たり前のように笑うのね。
遅れてきたくせに尊大ね。エイトもエイトよ、まるで甲斐甲斐しい新妻を見るようだわ。
自分が食べていた手を止めて、紅茶を注いであげるのね。

「ごちそうさまっ!!」

こんなところにいたらあてられちゃうわ。信じられない。ヤンガスもヤンガスよ、付け入る隙なんてどこにもないわ、わかっているでしょう。
ひどいわ、みんなのエイトだったのよ。あんたなんか大嫌い。

大嫌い、と振り向けばとても嬉しそうに笑うエイトがいるんだからもう、どうしようもないわよね。だってエイトは、あんたを選んだんですもの。






4 ククール




わざわざ手を止めて淹れてくれた紅茶を、幸せな気分ですすった。
うまいメシ、うまい紅茶を入れてくれる好きな子、っていうか恋人。なんつーかほのぼの新婚そのものじゃねーか!!これでヤンガスさえいなくなってくれたらなぁ。
チラリと視線をそちらへむければ、冷かな視線が絡まってそれから鼻で笑われながらそらされる。

あー、こいつ、わかっててやってやがる。
わざとだ。ちくしょう、このやろ。

「ククール、ほら。卵も食べて」
「ん、おう」

フォークに突き刺さったゆで卵の半分を差し出すエイト。
やっぱ新婚だよなあ。ほら、これってあれだぜ、ハイ貴方あ〜んっての。
本当さ、エイトってば甲斐甲斐しくってなんか嬉しいんだよな。
オレ甘えてんのかな、愛してるんだけどな。

「野菜も」
ちょーだいって口開けて、中に野菜が届けられるのを待ってみた。
「しょーがないなあ」
苦笑して、でもそれでも可愛く笑ってくれちゃうんだぜ、エイトは。
オレ、ちょっとだけ今エサを待つ雛鳥の気分。

「サンキュ、エイト」

でもオレってば親鳥を愛しちゃってるから、っていうか恋人だから、雛になんてなんねーけど。


「お前もフルーツ喰う?」

果物用のフォークにリンゴを刺して、差し出してみる。
ちょっとだけ、リンゴみたく赤くなるほっぺたを、オレは見逃さなかったよ。


テーブルに誰がいようといなかろうと、オレはエイトがいればいーんだぜ。
目の毒だから、さっさとどいちゃってくれって、なあ。






5 エイト




それは水のように穏やかで、焔のように熱く激しい。

昼間はそう、とても穏やかに君と毎日を過ごせるのに、夜になるとどうして君が欲しくて欲しくてたまらなくなるんだろうね。
毎日好きだ、と言ってくれる。
毎日愛してる、と言ってもらえる。
好意は完全に明らかに曝け出されて嬉しいくらいなのに、それでもどうしてか、それ以上を求めてしまう心があるよ。
なんでだろう。

「ん、」

差し出されたリンゴを一口だけ齧った。
シャリと音立てて咀嚼したリンゴのかけらはほのかに甘く、おいしかった。

「うまい?」
「うん」

見上げたククールは柔らかな笑顔でこちらを見ていた。
唇を噛み締めたくなるような照れと嬉しさがこみ上げる。そう、オレは今穏やかな幸せに包まれている。
キスがしたいような、手を繋ぎたいような、そんな気持ちになってしまうけれど、ここは食堂だし、なにより目の前にはヤンガスがいる。
なんだろう、ちょっともどかしい。
もどかしい。

手を伸ばして紅茶をすする。
ぬるまった紅茶、もうちょっと熱ければちょうどいいのに。

「ごちそうさま」

ひとりで立ち上がる。
けど、それに続く誰かがいることを、期待してしまっている。

もう君がいないと、ダメになってしまったんだから。








WEB拍手再録其の壱
2005/2/5 ナミコ