05 困った人







夜中にエイトが本を読んでいるとククールがワインとグラスをふたつ持ってこの部屋を訪れた。「部屋を間違えてるんじゃないのか」とあしらうつもりで目は本に向けたまま言ったのに、ククールは「いやいや、間違えてないって」とアルコールの匂いをぷんぷん漂わせて勝手に向かいのイスに腰をおろした。図々しい、と思いながら身体は享受しているのか、それともあきれてどうでもいいと思っているのか、エイトは読みかけの本を閉じることにした。これは正確な判断なのだと、自分に言い聞かせるように。前にそのまま本を読み続けたら否応なしにいきなり本をつかまれ消し炭にされてしまった。酔っ払いとククールにはとことん譲歩しなければ、という思考を植えつけられた一瞬だった、あの日。

あの日のようにまた?

「酒の肴はないけどさ、まあいいだろ」と、そそくさとグラスにワインを注ぐ手を見ながら"あの日"のことをエイトは思い出していた。今日のようにアルコールの匂いをこれでもかというほど漂わせて…でも全然酔ってなんかいなかった。それはフェイクでエイトと駆け引きをするためのひとつの小道具だった。本当に酔わせてしまいたいのはこっちなんだ、酔ってゆるくなった口からぽつりと求める声が出るのを誘い出そうとしている。(求められることを確認したいのか?)
こうしていつも何度も懲りることなくこうしていろいろなことを仕掛けてエイトのぬくもりを手に入れようとする男といわゆる恋人という関係になったのはずいぶん前の話だった。それはまるで呼吸をするみたく自然に、そして簡潔に「好きだよ」と微笑まれたのに対し、「あー、うん。オレも好き」とやっぱり呼吸をするみたく自然に返してしまったからだ。自然に自然に、まるでそうなることが必然のものであるかのように唇をあわせた。嫌じゃなかった、むしろ心地よかった。キスするのも、手を繋ぐのも、髪に触れたり見つめあったり、ほっとかすかに笑いかけたり肩に寄りかかったりするのは本当に自然にこなす恋人そのものであるのに、抱き合う行為だけ駆け引きに持ち込んで、まったくどういうつもりなんだろうか。目の前のこの男は、酔っ払ったふりをしている獣だ、ほんのり赤らんだ頬とアンコールの匂いにギラギラした本能を包み隠している。

「そんなになみなみ注いだって、全部なんか飲まないからな」
小さく牽制をして、以前のことを完全に忘れているわけではないということをかすかながらに示唆をした。にっこりと笑ったククールは「そうなの?じゃあ今度はめっぽう強いやつか薬とか仕込んでおくべきかな」とグラスを差し出すので、睨みつけることで更に牽制の意志を強めて「お前とはもう二度と酒なんか飲まないぞ」と言えば「酷いなあ」とさらにくすくす笑うので、まったくそんなこと思ってないくせに、本当、賢しい奴だ、なんて思ってしまうんだ。注がれたグラスからワインをくちにつけた。ワイン特有の渋みがアルコールと一緒に口に広がっていくのにエイトは眉をひそめた。正直アルコールの類のものはそんなに好きではないのだ。ゆらり、とグラスの中の赤が揺れた。赤、といえばククールの服に他ならなくそれを思い浮かべてしまうのは、もうずっとこの赤が印象づいて彼の色だと刷り込まれてしまったからなのかもしれない。人の目を惹きつけてやまないのはそれがとても美しいからだろう。赤という色は他のものを誘惑する美しい色だ、強烈な印象と淫らな誘惑に人は我を忘れてしまうかのように引き寄せられる。その美しさゆえに同時に赤は警告色とも成り得ているのだから、不思議なものだ。誘惑と、警告。ああ、でも……ふと、思い出すようにククールを見る。赤という色に意識はなく、そこにいるだけで人はその艶やかさに惹きつけられ誘惑されるのだ。つまり、赤を警告のものとしたのは人、それは甘く美しすぎて毒すら孕んでいるのだと、赤に恐れをなした人が勝手につけたものなのだから。

ククールに対してそういう気持ちを抱く時がいつか、来るのだろうか。自然に好きだと言えた今が繰り返し繰り返し甘さを含み、胸を焦がしてはもうお前がいなければと、そう叫んでしまいそうになるくらい溺れてしまう時がくるのか。変わらず微笑みを与えられるそれを当たり前だと驕ったとき、なにを馬鹿なことをと、そう言われるのだろうか。
呼吸するように言われる愛の言葉に呼吸するように愛の言葉を返すことは、いわばもうそれを当たり前だと思っていることと同じことだ。人は酸素がないと生きてはゆけない、もう溺れているのか、エイトも、ククールも、それとも溺れているのはエイトだけで、こうして駆け引きめいたことばかりするククールはちっとも溺れてなんかいないんじゃないのだろうか。

じわり、と額や掌に嫌な汗が伝ったような気がした。グラスの中身がかすかに波打っているのは、指が震えてるせいなのかもしれない。さきほどから他愛のない話を口にしていくククールを前に、その話すらまともに返事できず濁すように頷くだけのエイトは、妙な焦燥感を胸に生み出していた。そっと小さくため息をつく。こんなにもククールのことを考えさせられているなんて、いつもいつも構って欲しいと言わんばかりに纏わりつき、心を欲したククールの思ったとおりに運ばれていくようでとても悔しい気がした。
とっくにお前のもんだ、この心も、身体も。だから好きにすればいい、そうされることをククールなら許すことが出来るのだから。

「疲れてる?」と、ククールはまるで自然に手を伸ばし額と額をこつんとくっつけた。テーブル越しのせいか少しきつそうで、でもそれをやめることなくククールはうーんとかあーとか意味のなさない呻きのような声を捻出している。さらりと銀の髪が顔にかかったのがくすぐったかったけど、身をよじれば離れていってしまうような気がしたのでそのままじっと目の前目一杯にいるククールの端整な顔を見ていた。睫毛が長いとか、睫毛もやっぱり銀色なんだとか、深いブルーの目。熱があるとでも思ってんのかな、なんて思いながら少しだけ視線をおろしたら薄く開かれた唇が目に入ったので、本当に自然に、そうすることが当たり前みたくくちびるを近づけてていく自分がいることに驚いた。ぎゅ、と唇をおしつけたと思ったら、目の前のブルーの瞳は驚きに大きく見開かれ数回の瞬きをしてみせた。なあに、お前、いきなり と言っているような目だった。なんだろうね、そうだな、あえていうなら「なんとなく」うん、これだ。なんとなく、キスがしたいって気持ちってこんなのなのかな?「不意打ちかよ」まるでこのやろうと非難されるような言い方だったくせに、その顔といったらにやにや嬉しそうで、ああ、なんだ杞憂だったのかとネガティブに胸を支配していた不安は一気に吹き飛ばされていった。そっとテーブルの上に肘をつき手を組んでその上に顎をのせる。待ってるよ、とこのほか言うように視線をくれてやるとククールはバツが悪そうに舌を出し、敵わないと呟いた。そっと唇が触れ合った。そう、待っていたよ。

荒い息遣いの中ククールは執拗にエイトを気持ちよくさせることだけに専念していた。自分のことなどそっちのけでエイトの中心を手や口で嬲ってその身体を弛緩させていく。一体何度そんなことを繰り返すって言うんだ、涙はほろほろ生理的に流れ続け、言葉はもう息をつくためだけの喘ぎとなり非難の声もあげることができない。心臓が自分でもわかるくらいドキドキしていて、早鐘というか、まるで太鼓を叩かれるみたくドクンドクンと波打って心拍数をあげていく。津波のようにダイレクトに身体の中心からはじけ飛んでいくエクスタシーにだらしなく開け放たれたままの口からは唾液が伝っている。それをククールは汲み取るように舌で掬い取っていくのにじりじりと熱を孕んだ疼きを感じたことにぞくりと身体が粟立った。ひくりと後蕾は勝手に収縮し、前だけでは生み出しきれないものを求めて蠢いた。やらしい身体だ、全部そうするように仕込まれたようなものだ、エイトはククールの体温しか知らない。恥ずかしいと思いはそれを見られたくないと言うように下を弄ぶククールの顔を引き寄せて深い口付けをもたらした。離れないで、見たいで、こんな浅ましい姿。くちづけながらその深さに飲み込まれていくうちにほんの一瞬取り返した主導権はすべて明け渡さざるを得なくなった。収縮する後蕾にあてがわれた指を奥へ奥へと飲み込んでいく、それだけじゃたりないというように貪欲な心をありのままに示しているから身体は正直だというんだ。この身すべて隠して顔を覆いたくなるような恥ずかしさだった。その恥ずかしさが少しでも紛れればいいと思ってエイトは口を開いた。喘ぎ喘ぐ言葉の中、そっと語りかけるような睦言を含ませて、ククールがそちらを気にしてくれればいいと思って。

お前のことばっかり考えてる、なんでこんなに好きなの、触ってもらえて嬉しい、好き、好き、大好き。

切ないくらいきゅんと心臓を締め付ける甘美な言葉にくらくら眩暈すらしそうだ。いつもその言葉を言っているのはククールだった。同じように気持ちを返して欲しくて必要以上に執拗に繰り返した言葉に、困らせてるんじゃないかって不安になったりもしたけれど、こんなときに限って、普段鍵をかけている最奥からぽつりと溢れるように言葉を零す。切なすぎて、嬉しすぎて死んでしまいそうだ。そっと抱きしめて、額に汗で張り付いた髪の毛を払ってこめかみにキスを。目元に、キスを。頬に、キスを。そして首筋に唇を這わせて最後にその、薄く開かれた唇に、くちづけを。ひとつになりたいと心から願うための神聖な気持ちを胸に、抱いてから。













普段好き好きって言われてククールのことを困った人って思う。
時々零れるように好き好きって言われてエイトのことを困った人って思う。
好きって言われるたび好きになっていくのか、甘いやつらだ…。

2005/3/3   ナミコ