アップルキャンディ






「これ、エイトにやるよ」と言ってククールは色とりどりのキャンディをエイトの掌に降らせた。「バレンタインのお返し」と笑うククールはいたってご機嫌だった。少しばかり口をぽかんとあけたくなるような一瞬が訪れたけど、エイトはすぐに微笑んだ。「ありがとう」と。
しかしそれは条件反射のようなもので、子供の頃から染み付いた"なにか人に親切にされたらお礼を言うのよ"とか、"なにか貰ったらお礼を言うのよ"とかいう当たり前のことだったから、それからエイトはふっと気がついて、バレンタインのお返し?と疑問符をろいっぱい頭に浮かび上がらせる羽目になるのだ。
「…オレ、バレンタインお前になんかやったっけ?」
やってないよなあと、頭は確かに答えを出しているというのに、それでも拭い去れぬ疑問。もしも万が一ということがあったとしたら、と思うのだ…いやいやまさか、たった一ヶ月前のことだぞ、健忘症じゃあるまいし。

「さあな」
そんなことを考えているエイトのことを知ってか知らずか、ククールはにやと、女の子であるならば大抵ほとんどの者が頬を染めるであろう極上の笑みでもって言葉を封じる。「自分の胸に聞いてみるこった」
きびすを返したククールはマントと銀の紙を翻し、いつもと変わらぬように歩いていく。
「えぇー?」
その背中が妙に機嫌よく見えているのははたして見間違い…でもないような、でもそれにしたって本当に覚えがないっていうか、絶対にあげてるはずがないんだけど。
掌に乗るキャンディの、微かながらの確かな重みに眉をしかめながら、エイトはひとつだけそれを手にとり後はすべてカバンの中にしまいこんだ。

ころり、と口の中を転がっていくキャンディは甘く、フルーツの味がした。おいしいと思う。けど、エイトは絶対にあげてない、いくらバレンタインが一ヶ月前のことだってちゃんと覚えてる、だからこれはククールの勘違いだ。と、確信は確固に胸に築き上げられるくせに端からほろほろと砂のように崩れ落ち、自信を持たない。
カチン、と口の中のキャンディーが歯に当たる。舌の上を転がるキャンディーは赤い包みと同じ、リンゴの。小さくとけていった塊に歯を立て噛み下す。ガリガリ音がして、リンゴは濃厚に口の中に広がっていった。
覚えてない。

「ねえ、ゼシカ!」
馬車の右隣を歩くゼシカに声をかけ、ちょっとと手招きしてこちらに呼び寄せた。「なあに」と駆け寄ってくるその後ろにククールの姿を見つける。チリと焼けるように視線が交わったのは一瞬。「甘い香り」とやわらかく口端をあげたゼシカに視線を戻したことでそれは途切れた。
「アメだよ。食べる?」
ククールから貰ったんだとカバンを探ろうとしたら、ゼシカは慌ててその手を制し「いい、いい、いらない」と首を振った。
「バレンタインのお返し?なんでもないような顔してエイトってばあいつにあげてたのね」
くすくす楽しそうに笑うゼシカにエイトは首をかしげる。なんでもないような顔して?…というか、
「オレ、本当にククールになんかあげたのか…?」
「はあ?」
ぽつりとつぶやいた言葉にゼシカは目をぱちくり瞬きさせてエイトをみた。
「ねえ、そうだよ、バレンタインってどんな行事だったっけ!?」
絶句、閉口なんだろう、とにかくそんな感じだ。ぽっかり開いた口、エイトを見るゼシカの目、動揺に揺らめく胸の内を隠しながら「えーっと…」とゼシカは耳に下がるピアスを弄んだ。
「リーザスの方では、赤い花とかお菓子とかを男の人が大切な女性に贈るんだけど…」
「それ、トロデーンと一緒だ」
パルミドの方はそういうのはないみたいよ、とゼシカは言った。いいものを見つけたときにあげたい人にあげるのだそうだ。そういえばヤンガスも割とそういうところがあるなあとも思う。そういうイベントがなくてもさらりとそういうことができる人たちが多いとでもいうのだろうか、あそこの周辺に暮らしている人たちは確かに毅然としていて確固たる自分を持っている。心に嘘をつけない自由な人たちがたくさんいるからだろう。

「マイエラの方ってどうだかわかる?」
「…………さあ」
肩をすくめて申し訳なさそうにゼシカは首を振った。あそこを通ったときは季節が季節だったし、いろいろと慌しかった。新しく加わった仲間、マルチェロさんに対して憤慨するゼシカ、噂話や世間話に耳を傾ける暇もなかったし。
「そんなに気になるなら聞けばいいのに」
嫌いじゃないんでしょ、と小さくゼシカは笑う。まあね、そうなんだけど、むしろ結構好きなんだけどさ。という言葉は胸に飲み込んでおくことにする。
多分、心の根底にある気持ちは二人とも一緒のはずだ。決して言葉で言わないそれを、遠回り、遠回りに相手の口から聞き出そうとするくらいなら、正直に言えばいいと思うのに、自分はそれをしない。
意地になってるだけなんだろうとわかってはいるけど、素直になれない。はじめはこんなじゃなかった、親しんで打ち解けて少しずつ心を曝していくたびに心は頑なになっていった。
なぜだろう。心を曝しても、他の仲間たちには素直でいられるのに。

かわりに先陣を切って歩くゼシカに背中を押され、後方にまわされた。ジリジリ焼けるようなむずがゆさを感じるくせに目をあわせられない。
「なに話してたんだよ」
少しばかりのつっけんどんさと突き放しきれない生ぬるく歯切れの悪い言葉はゆっくりと近づいた。
「えーっと…」バレンタインのこととか、いろいろ。言葉を濁すようにくしゃくしゃにして、そこからくる羞恥心を逃していった。聞こえなければいいと思いながら、それでも伝わってほしいと思うことはとても我儘なのだろうとわかりつつも、思いを止めることはできない。俯いて逃していく恥じらいを、知られているのだろうか。
「ああ、なにか思い当たることあったか?」
つっけんどんな物言いはものの見事に崩れ去った。わかりやすい、と思う。いいや、もしかしたらわかりやすくしているのかもしれない。

「…わかんないって」
ごめんオレが悪かった、すみません、降参、とまあとにかくそんな感じの意味合いの言葉とか全部含んで頭を振って手を上げる。そのまんま、お手上げって理解したらしいククールは苦笑して少しかがみ、かさついた唇をエイトの唇におしあてた。ほんの一瞬だった、誰も見ていない、気付いてもいない。けど、確実にエイトの胸に多大なる衝撃を与えて。
「あー、やっぱ乾燥してると色気がねえよなあ」と、乾燥した唇をひとなめしていくククールは得意げに笑った。銀糸が太陽の光に輝き、美しく風にたゆたう。
「お前なあ、」
続ける言葉はたしなめるためのものと必然のように思っていたはずなのに、言葉は美しさに目を奪われた一瞬にして掻き消えてしまった。「…………」そしてため息。
その先にあるまるで水掛け論のような途方のないやりとにも予想がついて閉口する。まあいいか、別に嫌っていうわけじゃあないのだから。
「あれ?そんだけ?」
なんだもっとなにか反応するとでも思っていたのか。だったら残念だったな。「いいからさっさと教えろ」
「ああ」
気がついたようにククールは顔を上げ、ゆるゆかに笑った。それはとても嬉しそうに。
「そうだった」
エイトは遠まわし遠まわしに核心をつかない言葉は好きではなかった。内心をこみあげる一瞬の不快感に口を尖らせるのもしょうがないだろう。
「バレンタインっつーか、なんつーの?」
ふと囁きかけるように、それは甘美に、優しく。
「いつも好きって思ってくれてありがとう、みたいな…」

心臓を鷲掴みにされるような感覚で電気が走っていった。痺れる、甘い、痛い、心地いい。心がめちゃくちゃにされるようなイメージの癖に触れていったものは優しく、その矛盾に耐え切れないとばかりに身体はそわそわ落ち着かず体温が上がっていく。なんだ、これは。
それはまるで、心が奪われたような。

ハッと気がついてエイトは慌てて頭を振った。
「オレ、そんなこと言ってない!!」
そう、そうなのだ。そんなこと一言も言ってないのにどうして伝わるというのだろうか。おかしい、おかしいだろう、それにエイトだってまだ一度もそんなことを聞いたことはないのだから。
「え、そうだったっけ?」でもまあいーじゃん、とククールは続け、そして極上の笑顔でこういうのだ。
「お前オレのこと好きだろ?」
ちくしょう。
「…お前だって」
知っていた、わかっていた、それを遠ざけていたのは自分だった。きっと。

「つーかさ、オレはお前と恋人という関係なんだと思ってたんですが」
「…自意識過剰」
なーに勝手に思い込んじゃってるのと非難しがちにねめつけるけど、でもそれってあれだよなあ、そう思ってるほど自然に恋人のように振る舞えてたってことでもあるんだよなあと思って、顔の温度が上がっていくのを感じた。目の前にあった顔はもういつもどおりへらへら笑っていたのに。
まんざらでもなかっただろというククールの一歩先を歩いてゆくのは火照った頬を悟られないため。

「まー後はあれだ、もしもオレさまの推測が間違ってたときのためにちょっと思わせぶりに言ってたみたりとかさあ」
そうしたらオレのこと考えるだろ、ずっと。
それは少し照れくさそうに聞こえた。なるほど、だから自分の胸に聞いてみろって。ふうん…。

「素直に好きだって言えばよかったのに」
「バッ…カ、だってそりゃ…、お前なあ」と苦笑するククールは案外繊細にできているらしい。こっそり横目で振り返ると、頬の赤いククールがいて。色が白いからそういうの隠しづらいもんなあなんてのんきなことを考えながら、エイトはふと気がついたことを口にする。
「"いつも好きって思ってくれてありがとう"って、欲しいか?」
「そりゃあ…」欲しい、と拳を作って宣言する男に微笑みを。

頭ひとつ分上にいるククールを引き寄せて、馬車の裏、誰も見ていないところで一瞬。かさついた唇は素早く舌で湿らされ、艶をひとつ含んで重なった。
驚きに白く弾けて一瞬とんだ思考、そしてその後口から伝わるリンゴの、
(甘い…)

…甘さは言葉を誘い出し、きっともっと濃厚に甘く、なる。









リンゴの花言葉は「誘惑」だそうですよ。


2005/3/15   ナミコ