平穏なる世界と、健やかなる毎日に心からの喜びを刻み、来る上弦の月からはじまり満月の時まで眠らぬ夜の舞踏会を致します。

 滑らかなアルファベットのつづりは上品なカードに添えられ、出会った世界中の人々に送られた。それは漏れることなく主賓であるエイトと、その仲間達にも届けられた。





To be






「エイト」
 エイト、エイトさん、エイト君…とにかくここ何日かの間はよく呼ばれた。すべてにカタをつけ平和が訪れてそれから、ささやかに開かれたささやかなる舞踏会はこの穏やかな平和を祝うためのもの。王を筆頭とし、平和を導いた英雄と称されたエイト達はどこにいてもひっきりなしに声をかけられ、1曲と、その軽やかなるダンスのパートナーにと手を差し伸べられていた。
 それももう疲れたというから、外の空気を吸いに行くという口実でもって抜け出してきたというのに。一体誰だろうかと、呼ばれた声に振り返る。ほんの少しの疲れは物憂げにそちらを見させたはずなのに、そこにいる人、いつもの赤い服に身を包んでいるククールではない、黒のフォーマルスーツを纏っている彼だと気付いたとき、エイトはそれを微かな笑いにかえて目を細めた。

「久しぶり。
って言ってもみんなほど会ってなかったわけじゃないけどな」
 社交辞令の微笑みから、今までいつだってそうしていたように親しげにエイトはにやりと笑った。
「まめに来る誰かさんは、ヤンガスみたいにトロデーンに兵士志願したわけでもなく、ゼシカみたく故郷に帰ったけわけでもなく、放浪の旅を続けているって言うのにな」
「オレだって本当はお前と一緒にいたかったさ」
 でもオレはお前みたいに真面目じゃないし、ヤンガスみたく忠実にもなれないんでな。と、ククールは肩をすくめた。
「こっちの方が性にあってる」
 エイトはククールを倣い、肩をすくめ、それから苦笑さえした。
 なんでもないようなふりをして、街と街の間を行き、世界中を回りながらそれでもその視界の端にあの人をとらえることはできないかと考えているのだろう、恐らく。
「でも、君が会いに来てくれるおかげで、こうして今日君はここにいるわけだし」
 チラと視線を大広間に向ける。テラスのほのかな証明は、窓から漏れる煌びやかな光の数々に押されている。それを一身に受けながらエイトは手すりにもたれかかり、大広間で踊る煌びやかな人たちに目を細めた。

「なあ、エイト。お前は気付いていたかもしれないけど」
 ククールはやや逡巡しながら言葉をつむぐ。それを思考の中で辿りながらエイトはああ、と嘆息した。
「オレは…」
 ゆっくり言葉をつむぎ、それを真摯に伝えようとするククールを制し、エイトは首を振るかわりに「少し歩かないか?酔いがまわってきたみたいなんだ」と言った。
 それは場所を変えるための小さな口実だ。このテラスの入り口の向こう、そこには衛兵がふたり立っている。この舞踏会からあぶれた一部の衛兵達はせめてもの退屈しのぎと、周りに起きるすべてのことに異様なまでの関心を示し、そして近衛兵でもあるエイトの私情込み入った話を何食わぬ顔で聞き耳を立てているはずだろうから。

 階段を下りて行き噴水の前を通って庭園まで行く間、ククールはぴたりと口を閉じ一言も言葉を喋らなかった。きっとさまざまな思索を巡らせているのだろう、今までのこと、今起きていること、それらを組み合わせてこれからの推測を手繰り寄せようとして。
「明かりをもってくればよかったかな?…夜の庭園は森みたいになるから」
 ふりかえってとらえたククールの目は、迷いに揺れていた。「そうだな」と苦笑するククールに、エイトは先ほどの言葉を早々に催促する。
「で、"気付いていたかもしれないけど"、なに?」
 迷いに溢れていた目が、今度は困惑と戸惑いに揺れた。うまくスーツを着こなしているククールは、それだけではどこからどうみても紳士で、大人な男に見えるのに、今このエイトの前で迷い溢れさせては、年相応もしくはそれ以下の未熟さの中で戸惑いがちにうろたえている。
 ククールの口はすでに開かれている、ただ言葉が喉の奥で絡まっているのだろう。切り捨て諦めるか、いまだ縋りつくか、その選択に迷い迷わせているのはエイト自身なのだけれど。
 だからエイトはみずから提示し、選ばせようと思った。

「もう諦めてって言われるのと、諦めないでって言われるの、どっちがいい?」
 それはもうとっくから気付いていたと知らしめる言葉でもあったけれど、エイトは躊躇はしなかった。黙っていただけ、気付かないふりをしていただけ、そうして自分を自粛していたのだと、聡いククールは考えをめぐらせるだろうか。
 一層顔を顰めさせたククールは「えぇ?」と消え入りそうな声でエイトを見た。苦しめているのだと胸は痛んだが、それでもエイトは表情を変えなかった。

 水中に引き込まれもがく人のようにクールは手を伸ばす。縋りつかれるように手は伸びたのに、抱きすくめられるエイトはまるで、そうして自分も水中に沈められていくような気さえして、いっそう苦しくなる。
 エイトはククールの腕の中、小さく頭を振った。苦しいのは着慣れないスーツなんかを着たせいだと。喉を窮屈にしめつけるタイが自分を苦しめているのだと。

 それなのに、なぜ。

「あきらめないで」
 と、小さく微かに絞るような声だったけれど、苦しさに紛れてエイトは呟いていた。
 エイトを抱きしめる腕は一層に力を込められ、悲しくさえも思えた。縛っている。縛りたいと思っている。

 鼻腔をくすぐるククールの香水のにおいと、真新しいスーツのにおいがアンバランスに入り込み、思考を狂わせていく。
「エイト…」
 熱におののくように喉を震わせたククールの声が、首筋に吐き出される。
 スーツが黒くてよかった。
 こうして抱きしめられている姿も、夜の帳に隠され誰にも見咎められることはない。だからそっとククールにまわした腕を知るのは、エイトとククールふたり、それだけでよかった。






世にも素敵なスーツ祭に参加できたことを心より嬉しく思います。
どうもありがとうございました!
2005/7/10   ナミコ