羊と花歌






 あ、ったかそうだなあ・と、目先を掠めたムートンコートの手触りや感触を想像してみた。皮のマントを羽織っただけの今の自分からしてみればそれは天と地ほども差がある温かさだろうなぁと、かじかんだ指を握った。ぎしり、とまるで音がするのではないかと思うくらいぎこちなく動いた指先に、寒すぎて感覚がないんだなとぼんやり思い、それでも少しばかりは温かいのだ、動き回っているから・と自分を慰めてみた。

 外の寒さも風の冷たさも変わらない、白い息がどれほど空気が冷たいかを知らしめて空をいく。
 あのコート、せめてゼシカだけにでも着させてあげたいな・と名残惜しげに目線をやる。彼女はあまりに寒そうで、あまりに優しくて、あまりに強いから、なによりも弱いのだ。華奢な身体にふわりとかけてやれば、この雪国に入ってからはあまりよくない顔色が、元の血色のよい色に戻ればいい。白い肌にチークを落として誤魔化しているが、彼女には作りものではない体温からくるピンクの頬がとてもよく似合っているから。なんてこれはククールの専売特許だろうか。ああでも本当にそう思うのだ、思ったことをそのまま、と。ついと足は立ち止まりきびすを返す。あたたかそうなムートンコート。「よぉ、兄ちゃん寒そうだね」うん、そりゃあすごく、すごく寒いさ、指先に感覚がないくらいにね。

「それひとつ、頂戴」

 「着てくかい?」と返すそれを首を振って答えた。自分のじゃないからね、と呟いた言葉を亭主はどう取ったのか、ひゅう・と口笛吹いて「じゃあ特別に」とフェルトを重ねたコサージュを一緒に包んで渡してくれた。恋人に贈る何かだと思ったのだろうか、でもそれはあながち的外れな推測ではない。
「ありがとう」
 支払うゴールドを見れば使いすぎてしまったなと、これからを考えれば少しばかり頭が痛くなりそうだったけれど、けれどそれは見ないふり、知らないふり。こっそり貯め続けたへそくりゴールドから出せば支障なんかないから。

 かじかんだ指、でも心は温かく、足取りは軽い。



「遅くなってごめんっ」

 飛び込んだ宿屋の扉。温かい・と思ってそれからじんわりと暑さを感じる。冷たすぎた身体がせっせと熱を吸収しているのか、耳から熱くなって顔、首、背中身体ときてじっとり汗を滲ませようとする。
「ああ、兄貴。お帰りなさいでがす」
 はらりはらりと小さい背丈ながら精一杯腕を伸ばして彼は皮のマントに積もった雪を払っていく。ふるり・と頭と身体を振ればそれで大体は下に落ちていくというのに、甲斐甲斐しい。
「大丈夫だよ」
 それよりこれを、と持っていた手荷物を預ける。買い出してきた保存用の食糧と、入り用のアイテムを少し。頭を振った拍子にずり落ちたフードからべちゃ・ととけかけた雪が落ちた。ぴたぴちゃ雪がマントを伝って下に水滴を落としている。

「ゼシカはどこ?」
 カウンターを通り過ぎ、ぐるり部屋を見回す。燃え盛る暖炉の火の前には宿泊客が他愛無い談笑を、一等の座り心地を誇るソファの上では猫が丸まって、温かな室内観葉植物の向こうに、オレンジの。
「ゼシカ」
 オレンジの髪がふわり・艶やかに漂う。その向こうに星の光の髪色の彼と、かちり・目が合って。
「お帰りエイト。ねぇ、見て」
 くるり・嬉しそうに一回転、スカートの裾を遠心力と一緒に躍らせて見せるそれはブラウンの、あたたかな、ムートンコート。ああ。

「ククールがね、買ってくれたのよ」
 ふふふ、と笑うその顔に、同じよう微笑んだ。がさり・紙が擦れる音に気が付いたのは聡いククールで、にやりと口端を上げて笑った。だから君はすぐに誤解されるんだ、そういう笑い方はやめた方がいい、なんて言ってはやらないけれど。

「まったく君って本当に、抜け目がない」
「あのさぁ、どうせならいい男って言ってくんない?」
 しょうがないなあ、なんて取り出した花のコサージュをゼシカの掌に載せ、紙袋をぴたり・もう一度粘着力の弱くなったセロテープで止めた。無駄にお金を使ってしまった、いいや、でもこれは王に使ってもらえばいいだけのことだ、無駄などではなかった。

「あら?もしかしてエイト、私のために?」
 艶やかに笑うゼシカはあたたかな熱に頬をピンクに染め、「奇遇ねぇ」とさも嬉しそうにふわり・とエイトを包んだ。自前のぬくもりの残るムートンコートはつい今しがたまでゼシカが袖を通していたというのに、目の前のゼシカはまた肩を大きく開かせた服一枚でエイトを見ているのだ。
「私にそれを頂戴?」
 寒そうでしょうと、わずかに見上げるゼシカの肌はまだ血色がよかったけれど、それでもぽつりぽつりと粟だって肌に寒さを刻み付けていったので、しょうがないとエイトは笑い返し、いつの間にか跳ね上がっていたセロテープと紙の間に指を差し込んでムートンコートを取り出した。
「ありがとう」
 言いながらふわり・ゼシカの肩にかけてやる。感謝の言葉はゼシカの心遣いにかけたのか、それともゼシカの手を介して与えてくれたククールに対してなのか。
「ではお嬢さん、そちらの花はわたくしが」
 かしこまった色男は恭しくフェルトのコサージュにくちづけ、それからゼシカの羽織ったムートンコートの左胸元にピンをとめた。心臓に近い場所、赤と橙、橙と黄色、黄色と赤、の3つの花が仲睦まじく、そこに。

「あーあ、せっかくゼシカに買ってやったのになあ」
 明らかに不平の色を声に出すくせに、その表情はその陰りすら見せず、飄々と微笑んではエイトの手を取りその指先にくちづけた。
「嘘おっしゃい、あんたはエイトが先に帰ってたらそれをエイトに与えた筈よ。ねぇ」
 でも私とエイトが一緒にいたらどうしたかしらね、ところころ鈴が鳴るようにゼシカは笑い、そっとコサージュを撫でた。柔らかな花弁がふにゃ・と形を変えてよりいっそう近づいた。壊れはしない、色を重ねてみっつでひとつのそれはそれで可愛らしくまとまっているのだから。

「ふたりとも愛してるよ」
「いやあね、この口からでまかせ男!!あんたは私と一緒、エイトを愛してる。そして愛とは言いがたくも割と好きで大切、なのよ」
「おおっとゼシカ、"割と"はいれなくて結構だぜ?」
 お互いにとゼシカは言うけれど、それは君だけさとククールは嘘をつく。なんでもないような顔して平気で嘘を本当のことのようにいうククールは厚顔無恥なのではなく、ただ優しいからなんだと知っている。知っているからこそエイトは黙ってふたりを見ているし、ゼシカはその嘘を嘘だと認めさせてやりたい。
「あんたは結構、私は必須。なの」
 つかず離れずのふたりがいまだこうしてプラトニックなのもここに理由があるんだろう、ゼシカ自身である以前に女性を前にしている態度を取っているククールと、ありのままに立ち居振る舞う毅然なゼシカは煮え切らないと苛立ちを覚えているだろうに。
 きっと、永遠に噛みあわずに過ぎていくはずだった。

「はは、ふたりとも。愛してるよ」

 ふたりの間でふたりに愛を囁く誰かがいなければ。その誰かがふたりが愛したエイトでなかったら。



 それは奇妙な戯れで、きっと冗談にしか見えていない遣り取りだった。欺くにはちょうどいいだろうさ、とククールが笑い、ゼシカも笑い、エイトは微笑んだ。さんにんでちょうどいいのだから・と。








ムートンコートあったかそうだなあ、という気持ちから生まれました。クク主ゼシはこんくらいがちょうどいい。

2005/12/10 ナミコ