じぐざぐの音







 ああ、まったくお前はそんなひらひらした服着て・と。小さく笑う。長い服の裾が風に揺られてまるでそこには女がいるみたいだった。戯れに、ほんの少しの悪戯心、それは小さな冗談を言うつもりで、「女みたいだ」とつぶやいた。いつもは怒るその言葉、表情を固めることもなく彼はにこやかに笑って口を開いた。
「なにいってんの、ぼくは女だよ」
 ガツンと殴られたような衝撃を頭に感じて、くらくら・眩暈がした。う・そ・だぁ。
 嘘じゃない、本当だよ・と笑う声に嬉しくなって、なんだ、だったらこの秘めた想いも、言葉も、口にしていいのだと。お前を抱きしめることも許されるのかもしれないと、思って。もう、性に合わないがまんなんてすることはないのだと、しあわせの広がる胸のうちに感極まった丑三つ時、ガツンと本当の衝撃を頭に、目が覚めた。

 オヒメサマの婚礼前夜、発破をかけたそのすぐあと。いつもいつも後悔ばかりしている自分の馬鹿らしさを、痛烈に感じた。そんな夜だった。



 ふと、考える。オレはしあわせだったか、不幸ではなかったか。何の変哲もない、しかしロマンに富んだ人にとってはとても哲学的な自らへの問いかけだった。きっと、昔のオレだったならば、不幸だ・と。つぶやいていた。世界の何もかもが憎くて仕方なかった。目に映るすべてが気に食わなかった。本当に欲しいものを取り違えて、いらない・と思う。その心を知っていながら、目先の楽しいものに寄りかかって生きていた。それがどんなに愚かだったか、今では、少しはわかったつもりでいる・けれど。
 余裕がなかったんだ・と、思い返すあの頃、出会ったばかりのみんな。馴れ合う気なんてないと、遠巻きにして、遠巻きにして欲しくて、勝手ばかりをした。それでもじっと、辛抱強く目を背けなかった根気強さに、ほんとうは泣きそうだった。嫌だったのか、それとも怖かったのか。ただ胸にあったのは、人の優しさが神経を逆撫でていく奇妙な感覚。それを嬉しいと、感じることのできないこころ。

 嬉しいことを嬉しいと、言える。今ならば。そうしてくれたのは誰だ。あいつだ。あいつらだ。かけがえのないものを失って、また、かけがえのないものを手に入れた。こころを、がんじがらめになったこころを少し解けば、するする紐はとかれ浸透していく。大切なものを大切だと思えるようになった、よ。そんな単純で当たり前なことすら目を背けていたんだ、想う思いの分、想いを返して貰えなければ嫌だと、自分も大切だと思っているよう大切に思ってくれなければ嫌なのだと、傲慢なこころがあったから・だ。

 だがそれ以上に傲慢に、こころは思う。奪ってしまいたい・と。背中を押しておきながら、そんなことしなければよかった・と。

 つぅ・と、額を伝う汗をぬぐい、ククールは立ち上がった。冷たい空気を肺に入れたかった、見てはいけないものを見てしまったこころを、諌めるために。こぎれいな宿の一人部屋、それにこまってしまった温度は思いのほか暑い。窓を開ければ夜明け前の冷たい空気がさすように入って部屋の温度を奪っていった。心地いい、目が・覚める。ふぅ・と息をつけばほのかに息は白く色づき、霧散した。この季節にそぐわないものを見て、それからここは遠く、高く気高い島にあるのだと気付く。光に満ち満ちた巡礼の旅路、そのすえに訪れる最後の場所。きっと一生縁がないと、思っていた。こんな場所、場違いすぎて。祝福されたわけでも、祈りにきたわけではないけど、ただ、めぐりの果てに、来て。
 めぐりの果てに、悔やんでいた。

「きっと昔のオレだったら、オレのカミサマはそんな細かいこと気にせずオッケー…なんだろなぁ」
 ハハハ、と声は消え、白はまた霧散して少しだけ上って消えた。月明かりだけの世界に。昔の自分だったら、なんて随分なものいいだ、昔の自分のように振る舞う気などないし、そもそももうあんな愚かなことはできない。それでもただ、そうして考えてしまうほどに悔やむのはきっと、自分より想う相手の方が大切だから・だ。これはまた、ずいぶんと成長したもんだな・と、ククールは今度こそ笑うことなく、ただ眉をしかめて苦々しく海を双眸にうつした。
 あの海も、空も、この大地も、異世界ですら。行ってない場所なんて、どこにもない。どこへ行っても共に旅した仲間を、あいつを、想い馳せ、思い出し、残像をみつけてしまう、きっと。

 いつからだったろうか、いつの間にかだったんだろうか、しとしと、降り積もる雪のように少しずつ重なっていった。大切におもってきたこころ、少しずつかわっていったじぶん。目の光がやわらかくなったね・といわれた。それは、だれかを、想うがゆえに。

 ためらわず思うがままに移す行動は荒く、いつも誰かを振り回していたんだな・と、わかる。そこでじっと立ち止まり、まわりを見れば自分だけでない誰かがいるって、気付けたはずなのに・だ。
 オレは今、立ち止まっている。行く末永くまわりを見て、自分が立ち止まるべきだと、歩き出すべきは自分ではないと、考えた。

 迷ってないで、行け・と背中を押した。それでよかったん、だ。よかったんだ。そうだろうククール。

「………風邪、ひくよ?」

 カタン・と、ちいさくドアの閉まる音と、近づく歩みに古い床がギシリと音を立てた。瞬間はじいたように身体は反応した。しまった、考えすぎた。扉の前に帰ってきた気配を感じなかった、それどころかいないことにも気付いてなかった。目が覚めてから動揺しすぎ・だ。

「…こ行ってたんだ?こんな夜中に…、眠れなかったのかよ」
「なんとなく、目が冴えちゃって」

 静かな部屋に言葉が木霊するよう、やけに言葉は大きく聞こえる。ひそめたつもりの声も、音のない夜の世界には無意味だった。月明かりだけの夜も、下手をすればランプの光より明るいかもしれないように。
 ふわり・と。程よい体温がてのひらに重なって驚いた。平静を装いながら、かける言葉を必死に探す。"なに"、それとも"どうした?"言葉をかけなくてはおかしいような気がした、けれどまるで恋をした子供みたく苦しく言葉は浮かばなかった。不思議そうに、ただエイトの顔を見て、口端をあげる。なに・と言う合図をするみたいにつとめて。

「ククールの手、冷たくなってる」
 窓を開けてから随分経ってるんでしょ・と、心地いい熱は外気を通す入り口に差し向けられる。ぱたん・と閉められればもう外気は遮断され、入らない。わずかに残った冷たい空気の残りがまだ、窓辺でふわふわと漂っていたが、しばらくすると室温に溶け込んで消えてしまった。
「もう寝よ?」
「……あー…」

 促されままに床につく、従順さに驚いた、けれど抗いはしなかった。どうしていいのか、まだ、わからなかった。ただ、ゆっくりと眠りに落ちるその中でぼんやり、その時がきたらその時になるべく、身体は動いているはずだろうと、ただ安穏として考えて、いた。




 あれから成るように成してオレはエイトの後姿を見送って、心半分置いてきたような気持ちになったけれど。ひとりじゃないから、よかったんだって、思った。

 よかったんだって、おもった。







2006/9/6     ナミコ