ぎりぎりまで引き戻された銀の色







 忘れられない恋をした。振り切りたくて忘れたくて過去の恋にしたくて何度もかぶりを振った。忘れられない恋だった。忘れなくてはいけない恋だった。だってそれは一方的に寄せて告げられもしなかった恋だった。告げる前に終わってしまった恋だった。捨てたくて捨てられないこころをいつまでも持ち続けるには辛すぎた・なのになぜかまた、恋は消えずに重なってった。

「結婚?ボクはそんなこと、してないよ」
 にこやかにエイトは笑って紅茶に口つけた。すすめた酒なんて飲みやしない。ザルなんだ、と笑う。いつだって、昔から、酔えやしないのに飲んだってうまくない・と、手をつけない。けどそんなことはどうでもよかった。
 ただオレはその言葉に舞い上がって、真意すら確かめず浮かれて、驚くほど冷静だった目にすら気がつかず「どうして」と問いかけていた。

「どうしてだろう」
 エイトは笑った。屈託なく笑った昔の笑顔ではなく、どこか、諦めにも似たそれ。

「ボクは案外臆病だったのさ」

 素面でもなんでも、どんなときでも聞くことのなかった、それは弱音のようなものだった。百を救うために犠牲になる一すらも手を伸ばす博愛主義者。自分なんてどうでもいい、それで誰かが・と平気で思う正義面に正直吐き気を感じた時期もあった。今はただ、その背中を支えたいと思っている。けれど、そんな神か聖母かなにか尊いことをふつうとする少年は、あの旅路の果てに変わった。変わってしまう要因を、あの旅路でみつけてしまったんだ。きっと。

 あとは傷のなめあいと、慰みあい。だけだった・よ。









「置いてゆかれるのは、怖くて」

 静かな夜、月明かりの下でエイトはぽつんと呟いた。放り出したままの身体は寒くはないだろうか・と、シーツを引っ張ってやったが、鬱陶しげに払われてしまった。けれどその代わりに、促されるように伸びた腕に捕まった。引き寄せられて肌が合わさる。ひやり・と感じる肌の温度が、やっぱり寒いんじゃあないだろうかと危惧させる。

「……………」
「………慰めてはくれないの?」

 妙な気分だった。望まれたならば、望まれたままにしてやりたいと思うほどに好きだった。けれどその気持ちに重なって見え隠れしたものがあった。脆く、触れれば崩れ去ってしまいそうに朧なもの。変わったな・と。そして、少しだけ幻滅した・と。わざと触れて霞に散らしてなくしてしまった。あとはもう、やっと通じ合えたと浮ついた心が忘れてくれるはずだから。

「オレがお前を置いてくわけないだろ…」
 囁くように、ささやかに。頬を包んで言ってやれば、黒いふたつの目に銀の月明かりをうつして、やっと少し顔をほころばせた。
 それを見て、オレは。少しだけ、安堵した。






2006/9/7     ナミコ