スタンド バイ ミー









 あれから一巡り、季節が移り変わりました。桜が咲いて散り、照りつける太陽の季節も過ぎ、秋と冬を通り越して一年、日々はいつのまにか年月へとかわり、厚みを増して巡ってきました。もうそろそろ君と出会った季節になります。僕は相変わらずこの国で、変わらない毎日を過ごしていますが、君はどうでしょうか。毎日ちゃんとごはんを食べていますか。夜更かしをしすぎていませんか。風邪をひいたり、体調を崩したりはしていませんか。絶対に無理はしないでください。それからギャンブル好きの君のことです、カジノに入り浸って有り金全部はたいてしまうなんてことはないでしょうか。あくまでほどほどにしておいてください。お酒だって、それに君の大好きなバニーちゃんにしたって。行き着く町々で浮気なんて、しないでください。
 …おかしいですね、毎日あんなに一緒にいて、一緒に旅をしていたのです。同じ時を過ごして、毎日一緒に、生活していたのです。君がちゃんとできる人だということは、わかっているのです。そして君がほんの少し、人よりさみしがり屋だということも。それでも、だからこそ、聞いてしまうのは、君のことが心配だから。元気ですか。僕は元気です、変わりありません。ただ少し、君とあんなに一緒にいたころを思うと、本当に、本当に少しだけ、さみしいのです。約束の日まであと少しですね。約束の日、君と過ごしたあの場所で、待っています。

  * * *

 澄み渡る青い空が清々しくて、とても気持ちのいい朝だった。身体をあたためていく太陽の光と、澄んだ空気の気配にパッチリ目覚めたものだから、珍しく早朝から剣を振るい、軽く汗を流してシャワーを浴び、それから朝食にありついた。軽く焦げ目のついたトーストに、目玉焼きとハム。ついでにサラダ代わりのトマトもひとつ腹に収め、軽くコーヒーもすすった。見ろ、この健康的な食卓を・と、思う。聖職者でありながら、修道院にいた頃はあきれるくらい不摂生な毎日を送っていた。朝食なんて食べることの方が稀だったのに、今、こうして毎日規則正しい食事とその回数を守っている。それもこれも、流れ任せとはいえあいつらと一緒に旅をしてきたせいだよな・なんて、三日に一度くらいククールは思っているのだ。
 くつくつと、こみあげる思い出し笑いは心底楽しいものだった。それを初めのころ、ククールは心底煩わしいと思っていたのだから、呆れる。今はもう、あれはかけがえのないものだったと言える。大切なものを見つけることだってできた。なくしたら生きてゆけないと思うほどに、誰かを愛する気持ちも。

「さて、と」

 まるで恋に落ちたばかりの少年のように、心を弾ませて、少しばかりの緊張すらもして、ククールは日の下にいく。小さく「ルーラ」と呟いて、まだ少しだけ早い朝の空気の中を、かつていばらに覆われた王国へと飛んでいった。

  * * *

「へぇ」

 キレイになっている・と、ククールは思った。城へとかけられた橋、城門をくぐれば歴史ある古風な城が佇む。旅の途中で訪れたトロデーンは、それは言うなればとても非情ではあったけれど、いばらに囲まれたその姿すら、荘厳な風情があったのだ。けれど旅が終わって、人が還って、少しずつ元の美しい姿を取り戻していった。呪いが解けて溶けるように消えたいばら。生気と活気が城のあちこちから溢れて、木も草花も水もきらきら輝いているように見える。ククールは元の美しいトロデーンの姿を知らなかったけれど、以前訪れたその時からの比較は出来る。キレイだ・と思う。旅が終わって何度か立ち寄った、その最後の時よりも、ずっと。
 慈しんでいるんだろうと、ククールはふいに愛しいものを思う気持ちを感じる。きっといちばん心力を注いでいた筈のあいつに会えると。今日は丸一日共に過ごす時間を貰えるのだと。馬鹿みたいに浮き足になる足取りをしずめながら、ククールは兵士詰所へと足を向けた。

「兄貴ならとっくに出かけたでゲス」
 だからもうここにはいないと、訪ねた扉のその場所で告げられ、ククールは正直面を食らった。出かけたって、どこへ。てっきりククールは、自分がエイトを迎えに行くものだと思っていた。けれどそれは間違っていたのだろうか、それともどこか別の場所で会おうと約束をしていた?
 とにかくいないと教えてくれたヤンガスは、ただただふんぞり返って疑問符を頭にいっぱい浮かばせているククールに向き合っているだけだ。
「あー…どこに行ったかとか、聞いてねーの?」
「聞くのも野暮かと思ったんでゲスが…そういや兄貴の机の上にあんた宛の手紙があったぜ。三日くらい前に根無し草のあんたには、渡しようがねえって言ってた…と思うでガスから」
 あそこだと、示された机の上は几帳面なエイトらしく、使い勝手がよさそうに片付けられていた。読みかけの本と、羽ペン。その下に半分隠れていた手紙は、ククールへと綴られた筆記体が白い封筒にのって、ぽつんとたたずんでいる。
「オレ宛…ってことは、オレが貰っていいんだよな?」
「アッシは兄貴じゃないからなにもいえねぇ。自分で考えるんでガスな」
 それじゃあアッシは仕事があるんでな・と、ヤンガスはククールを押しのけてさっさと廊下の先を歩いていった。真面目な奴…と思う。いや、正確には真面目になったというべきなのか、エイトに出会う前のヤンガスに会ったことはなかった、けれど、旅の合間にいくつか聞いた彼の昔話を聞けばわかる。自分と同じように変わっていった人のひとり。エイトと出会ったことで変われた。ふいに口元に笑みが寄って、ククールは口元を押さえてそれからエイトの机に歩み寄った。誰もいない静かな部屋、遠くで聞こえる鍛錬をする兵士の声と、剣と剣が触れ合う音を耳にしながら、白い封筒に包まれたその手紙の封を切ってククールは目を通していった。

 * * *

「あの場所…?」
 ってどこだ・と考える。そんな、共に過ごした場所を挙げればキリがないと思うのだが、けれどハッキリと書かれているということは、少なくともエイトにとってはその何処かが一番印象強い場所、だとは思うのだけれど。ククールは手紙をもう一度読み返し、隅から隅までなにか言葉を見落としてはいないかと視線を巡らせたが、この手紙のどこにもその場所を窺わせる言葉はかかれていなかった。

(それにしても―――)
 随分と熱烈なラブレターだな・と、ククールは頬が火照っていくのをかんじた。これがエイトの思うところの本音だというなら、どうしよう、嬉しすぎるじゃないかと、溢れる気持ちが持て余される。好きだと思う気持ちが抱えきれないから、早く会いたくてたまらなかった。会って、それをあいだにして抱きしめあいたいと考えて、まるで子供みたいに安易で幼稚で率直なその考えにククールは照れてしまった。

「えーっと…たしか前に会った場所は…」
 恥ずかしくて火照っていくばかりの思考を打ち切り、結局、頼れるのは自分の記憶次第だと、ククールはぐるり・と思考を巡らせる。今日会おう・と、約束を交わしたあの日。いつもいつも仕事ばかりのエイトと、丸一日ずっと一緒に過ごしたいと願って強請って無理をさせて交わした約束だった。たしかあの日は図書室で調べ物をしていたからと、ククールはポケットに手紙を入れ、さっさと図書室に向かった。できれば過ごす時間は1秒だって長く、と思うのは当然の気持ちだったから。けれども。

「いねぇーし…」
 間違っているのか、まだ来ていないのか、それとも隠れてしまっているのか。ふいに頭によぎった不穏な考えにぎくりとするが、まさかそんなわけないか・と、場所を間違えてしまった自分を少し恨めしく思いながら、じゃあどこにいるんだとククールは腕を組んだ。考えてみれば旅が終わったその後、離れがたくてどうしようもなくて、無駄トロデーンに押しかけてエイトの後ろをついて回っていた時期があった。城を立て直すのに大変だっていうのに、だ。よくもまあ邪険にされなかったもんだなあとか、エイトの辛抱強さだとか、自分の身勝手さだとかを改めて思い出すことにもなってしまうけど、でもまあ、邪魔ばかりしていたわけじゃない。
「ったく、どこ行ったんだ、あいつ」
 畜生・と。ククールはまた無性に会いたくなる。勝手ながらに城内を探させて貰う事に決めて、足早にめぼしい場所を巡った。

「まあ、懐かしい顔ね。なにをしているのですか」
 それはバルコニーに続く階段をのぼっていこうとしたときだった。心中は少し、ぎくりとして、けれどその動揺を表に出さないように装って、ククールは後ろを振り向いた。黒い髪と碧の瞳。ククールが愛しいと思っているエイトの、大切な人。白く透き通る肌が美しい、童話に出てくるお姫様そのもののようなトロデーンの姫、ミーティアだった。
「いや…ちょっとエイトを探しているんだけどよ」
「まあ、それではエイトの今日のお休みは、あなたのためでしたのね」
 ずるいわ・と、ミーティアは呟いて、それから困ったように眉根を寄せた。
「エイトはね、それはそれは優秀な臣下なんですのよ。わたくしもお父様も、エイトをとても信頼していますし、とても頼っていますの」
「まあ、そうだろうな…」
 ぽつりと呟いたククールの声にミーティアは笑みを深め、さらに言葉を続ける。困ったような眉根はあくまでも困ったふりの演出のようだった。
「依存している・なんてとうにわかっていますの。わたくしやわたくしの国は、エイトがいなければいけないと思ってしまっているのですから。あなたもまた、そう思っているのでしょう」
 不思議な人ですよね・と、ミーティアは続ける。それをククールは少し複雑な気持ちで聞いていた。同じようにエイトのことを愛しく思っているミーティアの口から、その気持ちを聞く。それは本来であるならまっすぐ受け止められて、幸せになるのは自分ではなく彼女とエイトであったはずだと、そう思うからこそ、余計に。
「本来ならばいっときも離したくない優秀な臣下に、一日も暇を与えたのです。少しくらいわたくしのお願い、聞いて頂いてもよろしいでしょうか」
 にこり・と、笑うミーティアに、ククールは従順に「はい、そうですね」と呟くことしかできなかった。別にそれが有無を言わせない響きを持っていた、というわけではない。それはククールの問題だった。エイトとククールの事に関して、ミーティアはひとことだって恨み言は漏らしたことがない。ただたまに、大切な幼なじみを奪ってしまったククールに対して、ちょっとした悪戯だったり無茶なことを要求したりして、ククールの困った顔を見て楽しんでいるようだった。
「あそこのバラ園のバラを、一等美しいものを選りすぐって百本、わたくしのお部屋に届けてくださってね」
「ひゃ、ひゃく…!?」
「そうです、きっちり百本。届けて頂けたらエイトがトロデーンにいるかいないかだけでも教えてさしあげます」
 極上の笑顔でミーティアは強かにそう言い、上機嫌で城内へと消えた。後に残されたククールはもう一度「ひゃく…」と呟いて途方なくバラ園を見遣った。トロデーンの小さなバラ園の、いったいどこに百本ものバラがあるというのだろうか。いや、探せば百本くらいはあるかもしれないけれども、しかし条件が一等美しい・だ。「クソッ」強く言い含められるわけでもないのに、どうしてかあの姫君に逆らえない自分に小さく悪態をつき、ククールは小さなバラ園のバラ探しを始めた。

 * * *
 
「エイトは早朝早くにトロデーンを出立したのを、わたくしこの目で見ましてよ」
 ふふふ・と、部屋に届けられた百本のバラの花束に顔を埋め、満足そうにミーティアは言った。それにしてもよくもまあこれだけ見事なバラを百本も見つけられましたね、とも。なるほどやっぱりただの嫌がらせだったかと、ククールは内心底冷えする腹の内を押さえて「そうですか」とにこやかに笑った。
「嫌な言い方ですわ。そりゃあまあわたくしも、ちょっと意地悪をしてしまった自覚はありますのよ」
 楽しそうにミーティアはきれいな指先でつるり・と、そのはなびらを撫で、感触を確かめるようにバラの花を愛でた。色とりどりのバラ。それはきっと、本来ならば一色に揃えてしかるべきだっただろうけれど、そんなことをしていたらいつまで経っても百本なんて見つかりそうになかった。だがそれでもミーティアにとって、それは充分だったらしい。満足そうに笑う顔が、エイトに向ける笑顔と変わりなかった。「でもこれきりにします」と、ミーティアはまっすぐククールに向き合った。百本のバラからたったひとつを選び取って、それを差し出す。
「どうぞよい一日を、過ごせますように」
 面を食らったのはククールだ。あまりに驚いて言葉が出せず、一度瞬きをして、バラを差し出すミーティアをじっと見ていた。「…なんですか」にこやかに笑っていたミーティアの表情が少し崩れて、それからククールはハッと自分を取り戻す。差し出されたバラを一輪受け取って、ミーティアとバラを見比べた。たぶんきっと、ククールは不可解なものを見る気持ちで、今ミーティアを見ている。
「今日という日は刻々と過ぎているのですよ?」
「…そうでした」
 とても不思議なものを目の前にしてしまったから、つい貴重な時間をいくらか無駄にしてしまったと、やっとククールは認識する。
「それではすみませんが、失礼致しますね、姫」
 ぺこり・と、馬鹿丁寧すぎるくらい慇懃無礼に頭を下げて、ククールは踵を返した。

「結構時間食っちまったなー」
 でも、マイナスばかりではなかった・と、手にしたバラを見てククールは嘆息した。一年余り、いばらの魔力を吸い込んだバラのつぼみたちは、それは見事に美しいのだと風の噂で世界に漂っていた。それが嘘かまことか、ククールは別に興味はなかったので知ろうともしなかったが、けれど手の内のそれはたしかに美しいものであった。手に入れたのは、なにもバラだけではない。ククールからすれば、それは激励の意思を貰ったようなものだった。
「さあてと」
気持ちを入れなおしてククールはエイト探しを再開させる。トロデーンでなかったというのなら、初めて会った場所であるドニではと、また、ククールは「ルーラ」を唱えた。

  * * *

 ドニはとても小さな宿場町だったから、エイトがいるかいないかはすぐにわかった。なにしろククールはドニに住む人たちとはほとんど顔見知りだったし、小さな町である以上、人の出入りもすぐに知れ渡ってしまう。だからドニの酒場で「ああ、ククールと一緒に旅をしていた子ね。でも今日は見ていないわ」と、バニーちゃんのひとりから教えてもらえばそれでこの町のエイト探索は終わりになる筈だった。けれどせっかく久しぶりに来たんだから、と引き止める腕が少し強引で、ククールは戸惑ってしまった。思えばベルガラックばかりに立ち寄っていて、まともにドニに足を踏み入れたのは随分久しぶりだった。ついほんの少し前までこの地方で生まれて、この地方で育って、暮らしていたにも関わらず・だ。
「もー、ククールがいなくなってから、あいつらのさばっちゃって!」
 ぐい・と腕を引かれて連れて行かれたのは、季節が巡り出す前、いつもと変わらない退屈な毎日を過ごしていたあの頃にデジャヴュした映像だった。変わることのできるものなんてない・と、思っていたのに。
「こらしめて欲しいって?」
「そーよ、賭け事なんてするつもりのないフツーの人まで巻き上げちゃってくれるから、最近ウチにお客さん寄り付かなくって!ねぇ、ククール!」
 お願いと、言われた頼みを聞いてやるというよりは、もういちどあの日みたいにいれば、もしかしたら姿を現すんじゃないか・という期待感からくるものだった。そりゃあもちろん、かわいい女の子の頼みごとなら、聞いてあげたいと思うのも、ククールならではの性分でもあったのだけれど。

「ま、仕方ねえか」
 困った人を見捨てて行ったら、それこそエイトに怒られそうだと、そうしてカードゲームを始めてしまったのが、無為な時間を過ごすことになったはじまりのひとつだった。百本のバラ探しにしたってそう。二度あることは三度、というように、ずるずる引きずるように同じようなことが続いてうまくいかなかった。惰性にも似た、だらだら続くだらしないものの延長かと、ククールは溜め息をついた。ドニでバニーちゃんの望みを叶えてやって、次に着いたマイエラでは、昔ご贔屓にして下さっていた貴族のご夫人にとっ捕まって祈りを奉げさせられた。得るもののなにもない、ただ消費するだけの時間は、ただ焦りを生んで、手当たり次第にルーラを唱えさせ、探す足取りを常に逸らせた。どれくらい世界を巡っただろうか。川辺の協会、アスカンタ、願いの丘、入れば過剰にじんましんがでそうになるパルミドや、ダンジョンすらも立ち寄って探した。もどかしい、うまくいかない、苛々する。それからはしらみつぶしに世界中の街とダンジョンをめぐった。高く昇った日はいつの間にか傾き、時間が経つにつれて焦燥感に焦り、自ら引き寄せてしまっていたのかもしれない。少なくとも今、こうして月が真上に来る頃になってやっと、少し落ち着いた頭は今日の自分自身を振り返ることが出来た。探したところは一緒に巡った場所ばかり、どこもかしこも世界中、一緒にいなかった場所なんてなかった・と。そう気がついて。

 そうして気がついたとき、決して冷静になれなかった自分に対してククールは舌打ちをするのだった。言われたじゃあないか、リーザス像の塔で会ったゼシカに、「そんなに焦っているようじゃ、見つけられるものも見つからなくなるわよ」と。本当だった。もう既に焦って冷静さはなくなってしまっていたから、ゼシカの言葉がやっとちゃんとした意味で届いたのは、今となってだ。一日をかけてぐるりと回った世界、その終着点は結局、朝一番に訪れた彼の愛する王国のお膝元。丘にそびえる城のその下の草原で、ククールは諦めたフリをして、大地にそのまま寝転がった。眼前に広がる空はもう暗く、星と月がきらきら輝いている。今日は一日を通して気持ちのよい快晴だった、久しぶりの逢瀬は最高の条件だった筈なのに。ああ・と、ひとつ嘆息して、もう一度、どうして気がつかなかったんだろう・と、また嘆息する。きっと、あまりにも躍起になりすぎていた。かすかに、大きくもなく、けれど小さくもない。姿は見せないけれど、たしかに気配を近くに残して――――いる、のに。

 ほう・と、息をつく気配がした。疲れているんだなと思って、でもそれはお互い様だろとも思って、ククールはぐっと気配を殺して潜む影に近づいた。幸いなことにそよぐ風が助けてくれて、立ち上がって近づいて行っても、思うほかうまく気配をかき消してくれた。探して探して、結局ここまで視界に入ることのなかった姿が今、目に、映る。

「捕まえた」
 やっと・と、安堵した気持ちで後ろから腕の中に閉じ込めれば、エイトはびくりと身体を疎ませて身をよじる。腑に落ちない気持ちを生み出されて、ククールは少し眉根を寄せた。やっと捕まえたんだからもう逃がさないと、力を込める。後ろから抱きしめてるせいで、エイトの表情はククールから窺うことは出来なかったが、ただなんとなく、少し困ったような嬉しいような、複雑な顔をしているんだろうな・と思った。厄介な恋人を持ったと、舌打ちしたい気分になるけれど、そうさせてしまうような自分の愛し方も恨めしく思のだ。小さく小さい存在主張、それを決して口に出すような性格ではなかったけど、聡く気付いてすくいあげてやることはできたはずなのに。すくいあげてやれていたと、思っていたのは自分ばかりで不甲斐ないと、そう思った。
「なんで隠れてたんだ、……ずっと」
「、えっと……」
「オレが思うほど、お前はオレに会いたくなかったって?」
「そんなこと…ない」
「じゃあ、どうして」
 せっかく今日一日ずっと一緒にすごせると思っていたのに。ぽつんと口から出た言葉は思ったより冷たくて硬かった。今日一日、朝からずっと求めて探していたものをやっと腕の中に捕まえたというのに、安堵よりもまだ少し、苛立ちが勝っている。その証拠に、どうして・と問いかけた瞬間、エイトの身体がさっきよりもっと強張った。こんなふうに、ふたりでいる時間を冷たいものにしたいわけじゃあないのに。
「クソ」
 ちいさく吐いて、ククールはエイトの肩口に顔を埋める。ずっと・と、カマかけた言葉を否定して欲しかった。朝からずっと窺っていただけだと言うのなら、焦るククールの姿もちゃんと見ていたのだろうに、どうして出てこない。ひどく冷たい気持ちになって、ククールは月明かりに照らされた青白い首筋が、太陽の似合うこの少年には似つかわしくない色だと感じ、噛み付いた。「痛い!」また、びくりと身体が強張って、それから非難をするように、エイトがこちらを振り向いた。
「なにすんだ、」
 言葉尻を奪って、唇ごと噛み付いて喰らいついた。言葉にならない声が苦しそうにあがるのが聞こえて、でもそれを止めるつもりはなかった。腹の奥から逆撫でるように這い上がる不快な感情をこれで流してしまいと考え、ククールは自分が思う以上にエイトに対して怒っているのだと知った。

「ふ…ぅ、…んぁ……、」
 苦しいと、抱きしめる腕を何度も叩かれ、何度も訴えられた。けれどそれを無視して、ただひたすらくちづける。くちづけるというよりは、喰らいつくすように唇を貪った。ずるずると力なく地面へ横になる形で崩れていくエイトに追い討ちをかけて、逃がさない。すとん・と、ついにエイトはククールの膝に頭が乗っかり、まるで膝の上で眠るようになったけれど、それでもククールは貪るようなキスをやめなかった。気持ちいい・と思う。唇と唇をあわせることが心地よくて、とめどなく唇をあわせ、舌をさしこみ、絡めては唾液のやり取りをしていた。
「ん、んんぅ……」
 不思議と唇をあわすことに飽きがこなかったけれど、ただ息も吐かないそれが苦しいなと思い、長いくちづけの果てにやっと離れた。エイトはなかば泣きかけた顔でククールの顔を見上げた。ぷっくりとあかく唇がはれている。卑猥だな・と、ククールはその唇を今度は舌でなぞっていった。エイトの身体はもう強張ったりはしなかった。けれど息苦しさゆえに肩で息をして、まばたきのときにぽつんと目じりに溜まった涙を零した。
「……ごめんなさい…」
 目を伏せたエイトは、項垂れるようにククールの膝に擦り寄る。
「別に…」
 怒ってない・と、ククールは黒いエイトの髪を梳いた。短い髪はすぐに指をすり抜けてぱさぱさと落ちていく。そう、怒っていない、今はもう。さっきまでどうしようもなく苛々していたものは、今はもうぱったりと収まりがついていた。
「……ごめんなさい」
「怒ってねーって、言ってんだろが…」
 ぶっきらぼうに言い放ち、膝に頭を寄せていたエイトを抱き起こす。力なく、おぼつかない動作でおずおずとこちらを窺うエイトの目はまだ「本当に?」と疑っていたから、正面から強く抱きしめて、ついばむように唇をあわせて誤魔化した。正直に言えば、誤魔化されてくれと願った。もう本当に、ククールにとって怒ったか怒っていないかなんて、どうでもよかった。
「も…いーから…気持ちいいことしよう、な?」
「………ん、」
 少しの逡巡の後に、エイトは薄くまぶたを伏せていじらしく浅く頷いた。

(本当はもっと…ゆっくりすごしたかった、な)
 これじゃあいつもとあまり変わんねぇ・と、ブルーのシャツの小さなボタンを外しながらククールは思った。身体をあわせることは少ない時間で愛や恋を語らうのにいちばん手っ取り早くて簡単だったし、快楽にふたりして溺れてしまう感覚はいいものだった。ふたりしてお互いに溺れていく、それは肉体的に満たされるものよりも、なにより精神的に充実していく何かがいつもあった。
「寒くないか?」
「ん…へいき…」
 ボタンをすべて外してしまえば、青いシャツの隙間からすらりと肌が覗いた。細いながらに鍛えられている身体は、適度にさわり心地がよく、気持ちがよくてククールは好きだった。はむ・と、手袋の指先を噛んで取り払い、滑らかに素肌に手を這わせれば、くすぐったいのかエイトは少しだけ身をよじって、それからあとはされるがままになった。かわいい・と、ククールはもう片方の手袋も同様に取り払い、また肌に触れる。今度は脇腹から撫で上げるようにしてゆっくり上へすりあげて。
「ん、」
 わずかに反応したあたりから手を遠のかせ、もういちど近づいて、また遠のかせる。直接与えるわけではない緩慢した動きが、もどかしそうにエイトのまつげを震えさせている。
「…本当はさ、オレちょっと怒ってたんだぜ」
 思いがけない言葉に、エイトのまっくろな目は大きく開かれ、不安そうに揺れてククールを見た。別に責めるわけじゃあない・と、自分に言い訳してククールは言葉を続ける。「言い訳をしてくれよ」ただ、どうして隠れていたのか、その真意を知りたかった。それだけなんだ、と。
「ひゃ、うぅん!」
 ちゅう・と、乳首に吸い付けば、はじけるように背中がしなって、のけぞる。反射的に突き出されるかたちとなった胸に舌を這わせ、引いていこうとする背中に手を添えることで押しとどめた。
「やっ…、」
 後ろへ引いていく力がさっきよりも強くなったけれど、ククールも同じように腕の力を強めて押し返す。ぺたりと額を寄せ、舌先で突起物をなぞる。つぶしたりはじいたりをくりかえせば、エイトもびくびくと発作のように痙攣を繰り返した。やがてくたりと力なくククールにもたれかかり、わずかな抵抗の力はすべて消えた。それを見て満足そうにククールは笑み、胸元から腹へと舌で線を描くように辿った。わずかにみじろぐものの、エイトはされるがまま大人しく、ククールはさらにことを進めようとベルトに手をかけ、スラックスをずらした。夜の外気に触れたエイトの肌が少しずつ粟立っていくのを見て、やっぱり寒いんだろうかと、ククールは横抱きにするかたちでエイトを引き寄せて抱きこんだ。急に暗転した世界に、エイトは戸惑いまるで酔っ払ったかのように視線を泳がせたけれど、その視界の先にククールをうつすと安堵したかのように破顔した。くらり・と、眩暈がするほどのなにかを感じて、ククールはエイトにキスを施す。ちゅう・と、吸い付いて、舌を差し込む。さっきみたいに一方的に奪うものではなく、今度はちゃんとエイトも応えてくれた。それでもどんどん深く沈んでいくのは、むさぼるような貪欲な気持ちがたぶん、ククールのほうが強いからなのかもしれない・と、くちびるをあわせる気持ちよさにぼんやりしながらなんとなく思った。かわいい、かわいい、もっと優しくしたい。もっとめちゃくちゃにしたい。いつもエイトに向かっている気持ちのベクトルは、ククールの中では矛盾している。このままずっと、キスに酔いしれてるエイトを見たいと思う頭の片隅で、身体はもっと直情的なものを求めてる。だってほら、キスをしながらいつの間にかエイトのスラックスは下着ごと脱がしてしまったし、掌はまだ硬くなり始めたばかりのエイトの性器をやんわり握って上下にしごいていた。必死にしがみつくエイトがかわいいと思う。その手を引き剥がしてもっと激しくひどいことをしてやりたいと思う。矛盾した気持ちの片方を、いつもククールは持て余してくすぶらせていた。けれど今日は、くすぶらせ続けてきたものが熱を持って動き始めてしまった。

「ぃ、……ったいぃ」
 びくりと疎んだ身体が苦しそうに声を上げて震えた。それもそうだ、と思う。なんの湿り気もぬめりもない場所に、早急にククールは指を押し込めた。快楽とは別の息苦しさに疎む身体をじっと押さえつけて我慢するエイトに、非道かな・と思いながら、指の付け根までぐっと押し込み、一本、二本、と増やしていく。けれど思うほかすんなりと指を飲み込んでいくものだから、ほんの少しエイトに酷いことをしたいと思った心はぽつんと取り残されて満たされない。痛い、やめて・と、請いながら流す涙を優しく拭ってやりたかったなんて、なんてひどく矛盾した行為を望んでいるのか。アイロニーに自嘲をのせて、ククールは笑った。今はもういい・と、結局エイトと抱き合いたいだけの雄の心は、今している行為に集中した。

「………怒ってる?」
 まだ・と、付け加えそうな間を充分にとって、エイトはゆっくり身を起こす。引きずられるように後腔に入れたままだった指は途中まで追いかけていったけれど、ククールは自分の意思でそれを引き抜いた。
「うぅ…ん、」
 小さく息を吐くようにエイトは呻き、それからククールの肩に手をかけ跨った。情欲に濡れた目で、まっすぐ、見られている。くらくらと、ゆらめく理性を繋ぎとめて必死にククールは笑う。
「怒ってない」
 ゆっくり近づいてくるエイトの顔が、たぶんキスを強請っているのだと思った。ゆるゆると、緩慢に、その動きは自分からしたいのではなくて、して欲しいのだと。だからククールはその唇をぺろりと舐めてやるだけで離れることにした。また、エイトのまっくろな目は揺れている。小動物みたいだ、と思いながらククールはジッパーを下げてみずからの性器を取り出す。ならば自分は捕食者だろうか。エイトが欲しい、エイトだけが欲しい、できることならずっとふたりでいられればいいと、そう思っている。いつか喰らい尽くしてしまうかもしれないと、男のものにしては細いエイトの腰を引き寄せ、硬くそそり立つ性器をぴたりとエイトの後腔にあてがった。

「あっ、…う、うぅん……」
 ゆっくり、ゆっくりとエイトは腰を落としていく。本来排泄物を廃棄するだけの場所に、なにかを、ましてや性器を受け入れる感覚とはどういうものだろうか。じっとりと、エイトの肌に汗がにじむのを見たことがある。今もまた、息を詰め、くぐもった声をあげて、手を震わせながら少しずつ腰をすすめる。さすがにローションの類をなにも使わなかったのは辛いのか、いちばん太い部分を飲み込むかというところでぴたりとエイトの腰は止まった。
「どうした?」
 わかっているくせに、それでも意地悪くそう聞く。中腰になって、立ち上がることもきつく、このまま腰を落とすのも辛いだろうに、ククールは腰をゆらしてかき回そうとする。ぎちり・と嫌な音が聞こえて、その瞬間エイトはまた呻く。肩にしがみつく掌に、ぎゅう・と力がこもった。

「やっ…ぱり、…怒ってんだ―――あんな手紙、君に渡すはずじゃなかった」
 浅ましい、恥ずかしい。自分が嫌になる。口の中で小さく呟いた言葉はククールには聞こえなくて、ただ眉をひそめてエイトを見る。どうした・と、聞くように。
「エイト?」
「本当は、君に渡るはずじゃなかった……!僕はあそこに置いていただけだった、なのに、いつのまにか君は手紙を開けて読んでるし、あんな…恥ずかしい……。僕、君が好きだ。君が好きなんだ。僕以外の人なんて見て欲しくない、喋って欲しくない、ずっと……一緒にいたい…。あんな一方的に思いを連ねた手紙なんて、渡すつもりなんてなかった…!捨てるはずだったのに!」
 どうして・と、ひとしきりエイトは泣き喚いてうなだれた。
「―――すぐに声をかけなくてごめん…」
 嬉しかったんだ・と、エイトは言う。自分を探してくれる姿が、自分を探して世界中回ってくれているククールを見るのが。
「別に…怒ってねーって。な?ちょっと、言ってみただけだろ」
 こみあげるこの気持ちはなんだ・と、ククールは自然と微笑むように、笑みのかたちをとった口元に手を当てた。ヤバイ、抑えがきかない。そう思えば、火照ったように顔が熱を持った。たまらない、たまらなく嬉しいのかとそう思い、ククールはエイトを抱きしめた。
「あぅ…ッ!」
「あ、ワリィ」
 痛いよな・と、ククールは突き刺さったままの性器を抜こうと、エイトの腰に手を回した。けれどそれを制止するように手が伸び、そしてエイトは首を振って拒絶するのだ。それは嫌だ・と。
「このまま……」
 その後の言葉をくみとって、ククールはエイトの唇を塞ぐ。いつも強く思っていた、エイトが口にしたことと同様のことを、いつも、いつも、今だって。
「浅ましいのは、お前だけじゃねーよ…オレだって、」
 目を塞いで自分以外の何にも見えなくなればいいと思っている。ずっと自分の腕の中に閉じ込めておければいいと思う。そんな、ひとつ間違えれば凶器に成り得る気持ちを抱いて、そんなふうに強く強く思うのは自分ばかりだと、やるせない気持ちにだってなる。思った分以上に想いを返してもらいたいと思って、そんなふうに思う自分に自己嫌悪する間もなく、うまく伝わらない意思にもどかしさを感じて。想う思いの深い分だけ、みっともなくなってるなんて、なにより自分がわかっている。
「腹の中でなにを思ってる?なあ、エイト」
「あっ、やっ、ぁあああ――――っ!」
 言えよ・と、力のまま引きずり落とす。ぴったりと隙間なく差し込まれていた性器をムリヤリ埋め込んだから、きっと相当痛いはずだ。強張ったエイトの顔が白く血の気を失い、唇を震わせているのを見ればそれは明白にわかった、けれどしてしまったことを取り返すことなんかできないから、ククールはエイトを抱きしめてあやすようにその背中を撫でて名前を呼んでやるのだ。
「エイト、エイト。好きだ、あいしてる」
「ひ、う…、ク、クール……ククー、ル」
 エイトの目に涙がたまり、まばたきをするたびはらはらと涙は零れる。痛みのせいで、気持ちいいものなんてどこかへ消えてしまったようで、硬くなっていた筈のエイトの性器も今はくたりと萎えてしまっていた。
「名前を呼んで」
「ク、クールゥ…」
 まるで泣き疲れた子供みたいな言い方をするエイトに、あやすようなキスを与えた。軽く、ちゅう・と、触れるように合わさって離れる。それを何度も繰り返しながら、萎えてしまったエイトの性器に手を添え、刺激を与えていく。
「ふ…ぅうん、んっ…」
「なあ、エイト。お前はだれのもの?」
「…ククールのっ…、」
 また少しずつ硬さを取り戻してくると、白くなっていたエイトの顔もだんだんと熱を取り戻して上気してきた。はぁ・と、甘ったるい息を何度も吐いてくるようになれば、ゆらゆらと腰が揺れ始める。
「好きだ、傍にいたい。ずっと、こうしていたいっ、」
「あ、あ、あ…!ぼ、く……もぉ!」
 ゆらゆら、エイトの腰が揺れ、ククールもまた腰を揺らす。そうなればふたりして連動し、いっそう動きは激しくなって、お互いに生み出す快楽を夢中になってむさぼりあうばかりだった。
「あ、アアッ!や、もッ…」
「じゃあ、エイトッ、オレは、だれのものだ?」
「ァンッ、ぼ、ぼく…の……ッ、ククールッ!アッ」
 短く声を上げて、一足先にククールの掌の中でエイトは弾けた。びくびく弛緩するエイトの快楽を追い上げて、限界を通り越した性器をさらに握りこめば、あからさまなほどに反応する。膝の上でがくがく揺れるエイトは、終わりなく続いては波のように襲う大きすぎる快楽に、悲鳴に近い嬌声をあげた。
「もー…ちょっと…な。付き合って、くれ」
「アッ、アァ、ふ…ンン!」
 息が上がる。じっとりと、汗をかきながら夢中で痺れるような感覚を手繰り寄せて早急に揺らす中で、頭は思うほか冷静に目の前を見ているような気がした。目の前でエイトが嗚咽のような嬌声をあげて乱れている・と、かすみがかりそうな頭が認識している。
「ク、……ール………す、き……好き…」
 うわごとのように繰り返す、エイトの言葉が痛いくらい頭に響く。かわいいことを言っている・と、言葉をそのまま喰らうようにククールはエイトの薄く開いた口に舌を差し込んだ。舌と舌をすりあわす水音がいやらしく耳に残り、くぐもったエイトの声がそれごとククールの中に吸い込まれていった。びくん・と身体を揺らしてエイトはククールの腕から逃れようとする。それ以上は、もう・と、ことほかに言っている。けれどククールはそれを無視し、ひときわ大きくかき回した。大きくしなる身体、きゅう・とククールの性器が締め付けられて、それからすぐククールも達した。

「は……、ハァ…」
 溜め息を吐くような深呼吸。頂を越えてからやっと、エイト以外のものに気が回る。そら寒い夜の空気だとか、風の気配だとか、波の音、ドクドク波打つ自分の鼓動がいっせいに聞こえてくるのに、ひどく澄んでいて騒がしくはない。
 ふいにククールは、なにかあたたかく満たされる何かを感じる。口元に自然と笑みのかたちがかたどられ、満たされたものを共有しよう・と、言葉をつむぐのだ。

「世界中のどこだって、一緒にいなかった場所なんてなかったな」

 じっとり汗ばんで湿ったエイトの髪の先を払いながら、その下に隠れた顔を探し出す。ぴく・と、震えたまぶたが薄く目を開けようとしている。否、目を伏せて、いる。そのまま、たぶんエイトはククールと同じものを噛み締めている。じわじわと、この気持ちは浸透していくのだ。それをしあわせと呼ぶのだろうかなどと柄にもなくククールは思った。そうしたらまた、柄にもなく大きくはにかんで笑ってしまったよ。

「そうだね」

 出会ったのはいちばん遅かったのに、いつの間にかいちばん好きだったと、思い出すようにエイトは言う。「そしておそらく、いちばん印象も悪かった」かえりみた昔を思い浮かばせれば、ククールは苦笑しかできない。けれどたぶん、昔の自分だったら、あんな自分はあやまちだと否定して、思い出すことも厭わしかっただろう。それでも今、そんな自分を認められるのは、こうして受け入れてくれる人がいたからだと、思う。

 ふんわり世界が明るく白み、日の出を引き寄せる。どうしても言葉にしたいことがあった、少し照れくさくて、それでもどうしても伝えたい・と、唇はわなわなと震えるくせに喉元までやってくると小さくすぼむ、臆病な心の言葉。

「君と出会えてよかった」

 先に飛び出したのはククールではなくエイトの言葉だ。よかった。言葉尻を掴んでククールは口の中で反芻する。チカチカ降り注ぐ朝日が凶悪的にまぶしい、だから目が痛い・と涙がにじんだのをそのせいにして笑った。それは少し、引きつっていたかもしれない。

「―ぉ前と、出会えてよかった」

 いつもいつも恋を囁くのはククールだった気がする。けれどいざとなって心の底から愛を囁くのはエイトだ。今やっと、ククールは愛を囁いてエイトの顔をほころばした。

「さ、もう帰んなくちゃ」
 きらきらまぶしく太陽は世界を照らし、朝の気配に人も魔物も動き始めた。もうとっくに約束の日は終わり、過ぎていたのだから、もうおしまいだと、エイトはククールから離れようとした。「また、会おうね」にこりと笑い、乱れた着衣をおぼつかない指先で直していく。その腕を引き寄せて、ククールはエイトを抱きしめた。
「あと…少しだけ、な」
「……しょうがないククール」

 近く、上のほうで王宮音楽がかすかに流れ始めた。しょうがない、と繰り返す。ククールもエイトも、こみあげるしあわせを抱きしめることに精一杯だった。だから忘れたまま放りっぱなしの一輪のバラも、ポケットからはみ出した手紙も、動き出した世界と一緒に風に舞い上がって、ふたりを残して消えた。昨日と変わらない、青空のどこかへ。






END






もう時効かな、と思ったのでサイト掲載。
クク主アンンソロジー2に寄稿しました小説「スタンドバイミー」です。
執筆した正確な年月は忘れてしまいました。ごめんなさい。



2017/6/23     ナミコ