universal gravitation 3








「あらやだ、すっごい顔」
 早朝顔をつき合わし、開口一番にマーニャに言われたのがこの一言であった。あれからベッドに戻ったユーリルは、どうにか寝ようと思ったものの思うように寝れず、結局一晩中起きていたのだった。
「ちょっと熱っぽいわね」
 不躾に伸ばされたマーニャの手がユーリルの額にあてられる。マーニャが言う通りそうなのだろうか。確かに寝不足のせいで心なしか身体が火照ってるような気はしないでもないのだけれど。

「朝食持ってってあげるから寝てなさいよ。あんたが元気じゃないと、みんな旅なんかしてらんないわよ。ほら、回れ右して、ベッドに入るのよ」
 有無を言わさずユーリルの背中をぐいぐい押して、部屋に押し込める。でももだっても、今となってはマーニャには聞き入れそうにもない強引さだった。
 しょうがないか、と言われるがままにベッドに潜り込んでいると、ドアをノックする音が聞こえた。マーニャが朝食を持ってきてくれたのかな、とユーリルは特に何も考えずに「どうぞー」と呟いた。
 その扉を開けて入ってきた男の姿を見て、顔を引きつらせたけれど。

「なんで、あんたが」
「…皆、手が離せないそうでな」
 パンとスープが乗ったトレーをユーリルに渡し、ピサロはベッド脇の椅子に座った。なぜ、と睨みつけるユーリルの心の内を悟ったのか、「食べ終わるのを見届けるまで戻ってくるなと言われている」と呟いた。大方マーニャが押し付けたのだろう。余計な事して、とユーリルはさっさとピサロを退散させるべく渡された朝食に手を付けた。それも一気にだ。ものの五分足らずで平らげたトレーをピサロに押し返すと、ピサロは本当に少しだけ傷ついたような顔をして、小さく笑ったのだった。

「本当に嫌われたものだな。…私のしたことを思えば当然だろうが」
「………」
 沈黙のまま、なにも返さずユーリルはベッドの中に潜り込んだ。ピサロの動く気配はせず、そのまままだそこに留まっているのはなぜか、ユーリルはわからない。わかりたくもない。
「許してほしいなどとおこがましいことは言わない。だが、感謝している。それゆえにお前がしたことに罪悪感を覚えていることをすまないと思っている」
「…わかったような口を聞くな」
「そうだな」
 何をいまさら、とユーリルは唇を噛んだ。
「すべてを私のせいにして構わない。それが事実なのだから。それでもお前が苦しいのなら、いつでもいい、私を殺せ。お前が助けた私の命は、お前のものだと思っている」
 何を言っているのだろうこいつは。今さらそんなこと言って、取り繕うがなにしようが起きたことは変わらない、心に植わった気持ちも、罪悪感も、なにもかも変わりはしないのに。
「お前のせいだろ、全部。なにもかも」
 嗚咽をかみ殺しながらユーリルはピサロを睨みつけた。本当は知っている。ピサロだって被害者なんだって。でも、シンシアたちを手にかけたピサロを許すことなんかできない。できるはずがない。
 あのとき、あのすべてのはじまりのあの瞬間に戻れるならなんだってするのに。
(あのとき、あのすべてのはじめりのあの時だったら、ピサロの言葉をどう受け止めていた―――?)
 はじめて見る外の世界の、男の人。感じ得たことのない胸の高まり、鼓動。あの日あのとき分かり合えてたなら、ピサロの優しさに素直に耳を傾けていられたかもしれない。
 けれどそんなの、机上の空論だ。ユーリルは手を伸ばし、ピサロの首を掴んだ。人ならざる者の白い肌、だがその下は血潮が流れ、生きる証として脈打っている。
 ぐぐ、と指に力を込めても、ピサロは表情一つ変えない。

「お前が死んだら、ロザリーが悲しむ…」
「お前の心がそれで救われるなら、私はそれを望むだけだ」
 躊躇することなく言い切るピサロの言葉が、熱く胸を打つ。どうしてこんなにも憎いのに、ユーリルの心は喜んでいるのだろうか。
 これ以上指に力を籠めることができなくて、ユーリルはそっと瞼を閉じた。もうなにも考えたくない、と。

 そっと伸びた手がユーリルの頬をなで、瞼にくちづけを落とした。それはあまりにやさしい仕草で、かつての大好きな友や村の人達を思い起こさせるようだった。
 なぜピサロが、とも思う。でも、決して口には出せない柔らかくあたたかい心によって想われているのだと思うと、涙がこぼれた。
 それはユーリルも同じものをピサロに抱いているから。

「ねえ、もう一度」
 お願い、という言葉はピサロの唇で塞がれた。恭しく、遠慮がちで、でも触れたらすべてを奪い尽くしたくて、できなくて。
 …そんな、切ない口づけだった。


 救いたい壊したい無くしたい手に入れたい。
 ―――でも、できない。

 好きだから。






2017/7/22 ナミコ