C l a r a






「只今戻りました」
 お帰りなさいと聞こえる声、すでに食事の仕度を万全にした部屋で父様と兄様は椅子に腰をかけてそこにいた。きっと待っていたんだろう、そうとも考えずエイトを送っていったオレはみんなを随分待たせてしまっていたのだと思う。母様はにこにこ笑ってオレを迎えてくれた、それは父様も兄様も変わりなかったけれど、胸に立った申し訳なさ。
「お待たせてすみませんでした」
 面食らったような父様と兄様の顔、まるでオレがそんなことを言うとは思っていなかったとでも言わんばかりの顔だ。子供はいつまでも子供だと思っていたんだけどな、なんて失礼だなあ、父様。
「兄様だってちゃんと言うでしょう?それと同じです」
 成る程子供は親の背中を見て育つというけれど、兄の背中も見ているらしいと、父様は満足気に笑った。笑ったところでパンプキンスープの注がれた器がテーブルに並んでいった。つやつや黄金のいろをしたカボチャのスープを前に父様が十字を切る。父よ、我が主よ、その恵みと大いなる愛に感謝を。父様の祈りの言葉は一度として同じだったことがないけれど、それでいいのだと母様は笑う。根っからの信心者というのは父様には似合わない、日々の感謝や嬉しかったことを祈りに乗せてやるだけなんだ。自由で奔放な父様の性格は、修道院のマイエラが近いというにもかかわらずそれに染まらない独立した色をこの街にも影響させている。
「そういえば、コーニッシュパスティってなんですか?」
 パンプキンスープを一口、ほのかな甘味と滑らかさに口元を綻ばせながら聞く。コーニッシュパスティとは、ひき肉と野菜をパイで包んで焼いたものでサザンビーク地方でよく作られる料理。そして母様は輿入れ前まではサザンビークに住んでいたのだという。初めて聞く話に目を瞬かせたのはオレだけではなかった。兄様も一緒にそうでしたか、と呟いたのだ。ああそういえば、母様は父様のことばかりで、自分のことはあまり話さない人だった。それは母様が自分のことを話したがらないのではなく、自分よりも好きで大切な人の話をしていたい人だったからだ。無関心でいられた自分を、今さらに叱咤したい気持ちになって、けれどどうせならもっとこれからは聞くことでその気持ちをなくしてしまえばいいのだと思った。
「兄様にこれを作ってさしあげたんですね」
 昔、それは昔のことだった。好き嫌いが激しいわけじゃなくて、なんでも食べる、嫌いなものすら平気で食べてしまう兄様のために母様は色々な料理を作ったのだという。おいしいです、おいしいですってなにを作ってもそう言う兄様が、にこりと笑ってお菓子かと思いました、と照れたようにおいしいと言ったそれがコーニッシュパスティで、兄様のその顔が嬉しくてオレを身篭って動けなくなるまでずっと作っていたと、母様は思い出すように兄様を見つめながら言った。兄様は普段の涼しげな顔を少し朱に染めながらコーニッシュパスティを口に運んでいた。ふ、と。ほころぶように笑いが咲いて、なんだ、と思う。一線を引いていたのはなにも伝えようとしなかったオレの方だったんだと。漠然としたいた世界が明瞭になっていく様をここに見た気がする。父様が好きな母様はサザンビークに住んでいて、兄様はサザンビークの地方料理のコーニッシュパスティが好きだった、オレはコーニッシュパスティよりもブイヤベースの方が好きだし今日友達に出会ってたくさんのことを教えてもらいひとつの約束をした。

「父様」
 父様と母様と兄様が顔を上げてオレを見る。オレは満面の笑顔、目は少し潤んでいたけれど苦しさはさっきよりよっぽどマシになった。
「母様も兄様もオレも、父様のこと好きなんだから、わかってる?」
 父様もオレ達のこと、好きでしょう?と思いを込めてそれはまたの機会、苦しさを堪えるためのバネとしてまた今度、代わりにそう、これがいい。
「控えてよ」
 なにが、とは言わない。けれどわかったのだろう、父様はひととおり狼狽してから苦笑した。ククール、とたしなめる母様の声は、形式ばっていて本当にたしなめようと思っている気配はない。あまつさえ兄様すら母様に味方して発した、いつか捨てられてしまう、という一言はひどく父様の心に突き刺さったらしい。結局父様も母様が好きなのだ。好きなら好きと母様だけを大切にしていればいいのに、と思うのにうできない父様の心境は、子供のオレには分からない。





 子供っぽさを演じてそれでも見ているのだと知らしめたそれ以来、オレは大人になった。大人になったというか、ふてぶてしさを手に入れたというか、それは兄貴に言わせれば「我儘」の一言に尽きるらしい。「どうして似なくていいところばっかり父様に似るの!?」とおふくろに泣かれたこともあったし、「私はここまで酷くなかった」と親父から顔を背けられたことも一度や二度じゃない。けれどまあそう、子供のオレにはわからなかったことは今はよくわかるっていうか。なんだろうか。ただひとりを心に決めているから、上辺だけのキレイなものに囲まれて楽しんでいられる。それに怒った顔とか嫉妬してる顔とか、見たいと思うのはそいつとずっと恋をしていたいと思うからだ。ホラ、だれだったかが言っていた。恋に止めを刺すあらゆる手段の中で、最も確かなのはその恋を満足させることである、とかなんとか。その言葉に忠実になっているわけじゃないけど、例え満足したってそいつを離す気なんてないけど、それでもそいつが満足してしまってもういらないと言われたら嫌だったから。それでも度重なる行為に悲しませていたとしたら、それはもう即座に止める気だってあるけれど。

 あのハロウィンの後、また明日と言って会った。会ったら会ったでもう行くのだというエイトに行くなとは言わなかった。かわりに絶対また来いとふたつ目の約束をして、街を発ったその後姿を見送った。約束は叶えられて毎年毎年決まってハロウィンに会いにくるエイトに5回目のハロウィンで5悶々とした思いを抱き、6回目7回目は5回目のハロウィンが終わったと同時に思いを自覚したせいで問答無用でエイトについてまわり、ひたすら口説いて後ろをひっついてまわって2年も一緒に旅してしまっていた。友を思う心情は焦がれるうちに恋に変わっていたというわけだ。そして8回目のハロウィンを迎えようとした直前にオレは遂にエイトを手に入れた。そして今エイトは、常にオレの傍らにいる。…どちらかといえばエイトの傍らにオレがいるのかもしれない。

「君のおかあさん泣いてたね」
 隣に腰かけているエイトの唇にちゅう、と吸い付いて、肩を抱き寄せた。そう、そうだ。おふくろは泣いて、兄貴は溜め息をついて、親父は泣いたおふくろの肩を抱いてやっていた。そりゃあそうだ、帰るたびに山ほどの見合い写真やらいい話やらを持ってくるおふくろに「ごめん、オレもう決まった人がいるんだ」とぬか喜びさせておきながら実は男でしたって言って、さっき紹介して来たばかりだった。
「ま、自分の息子が恋人ですって男連れてきたらどこの母親もああいう反応すると思うけどな」
 ちっとも後悔してないし、欲しいものは欲しいし、手放す気なんてこれっぽっちもないし、逃げたら追いかけるし、死んだら後追うし、引き離したら死んでやる、となかば脅して勝ち取った了承を、エイトは快く思っていないらしい。
「それにもうしばらくしたらさ、結局おふくろも親父も兄貴もオレ達のこと認めると思うけどな」
 だってみんなオレのこと愛しちゃってるからさ、合わせた唇を深く深く沈ませていった。静かに息も合わせて舌を重ねて唾液のやり取りをして、それを気持ちいいと思う。肉体的な感覚だけでなくて、精神的にも、だ。ふぅ、と息をついて離れた唇、「そうだね」とエイトは呟く。
「僕の両親も、僕のこと愛してるからきっといつかは許してくれるとおもうけど」
 けど、と続く言葉は怖いくらいの逡巡のようなもの。これから会いに行こうと思っているエイトの両親に会ったのは、あの最初のハロウィンの日にエイトを見送ったほんのちょっとの間のことだった。優しそうに笑っていた人達を覚えている。
「………二人とも過保護だから、君を殴るとかそういうのじゃすまないと思うけど―――――………、頑張って」
 やおら蒼白ぎみにうつむいたエイトを見て、冷や汗がたらりと落ちた。一筋縄じゃいかなさそうな気配がしたけれど、だいじょーぶだいじょーぶと持ち前の気楽さとふてぶてしさでそんな気配に蓋をする。大丈夫、絶対、きっと、多分、恐らく、その筈。

「…あ、おじいちゃんとか。叔父さんとかもなあ……」
 ぽつり、と呟いたその言葉、またひやりと汗が伝っていく。大丈夫…多分、恐らく、その筈、お願いします。











 旅中で話してくれた地上に残る数少ないドラゴンを倒して成人の儀式をすませる一族の話とか、地上から姿を消した竜の一族の話とか、異世界へ続く桁外れに強い魔物の巣食う洞窟がある話だとか、なんでそんなこと知ってるんだろうと言う疑問はエイトの両親に会ったとき、すべて結びついてひとつの答えになるんだけどさ、とりあえずまだ――――悲惨で壮絶で阿鼻叫喚って感じの未来は伏せておきたい。




END


あー、長かった、長かったよ!!自己満足企画でしたが如何でしょうか。
ちびククもちびエイトもマルチェロも書けたし父も母もそこはかとなくエルトリオもウィニアも書けたし満足です!!(さすが自己満足企画…
ええといろいろ設定勝手に作っちゃったりしましたが、ごめん!!!で全部済まさせてください!!!!ごめん!!!!!

2005/10/31 ナミコ