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「ねえ、……ライラ」
「………あら、お久しぶりね、レイリー」
授業の終わりの鐘が告げられた後、誰もいなくなるまでライラがそこに座っていたのはなんとなく独りになりたかったからだ。いや、ただトムを避けたかっただけなのかもしれない。他の何にも影響されないライラが、意図的になにかを回避するなんて、プライドが許しがたいと叫んでいたが、でもあのなにもかも見透かしたような目で見られるのはたまらなく嫌だった。
だからだろうか、ひとつを避けたせいでもうひとつの厄介なものを引き寄せてしまった。穏やかに言葉を吐き出したその心の内で、ライラは唇を噛み締めて止まない。
「その……この間は、すまなかったね。…僕、君のことも考えもせず―――好きだ、なんて」
「…………」
言いにくそうにレイリーはぽつぽつと呟き出した。生徒達のいなくなった廊下はとても静かで、どんな小さな声も聞き間違うことなく耳に入ってくる。見咎められないのは今が正午を回った頃のせいだ。よっぽど変わり者な生徒でない限り、この時間はみんな食堂に集まって行っている。
「驚かせてすまなかった」
「―――いいえ、……そうね、私もいきなり飛び出してしまってごめんなさいね」
大丈夫だったかしら、と言葉を続ければ、レイリーは嬉しそうに顔を綻ばせた。これで許されたとでも思ったのだろうか、だとしたら呆れるほどに愚かな男だと、ライラは思う。けれどそんなことも、どうでもいいのだ。
「でもごめんなさい、私貴方のこと好きじゃないの」
気持ち悪いから、とは続けなかった。いくらライラだって、分別というものはある。先程までピンクに上気していたレイリーの頬は、かわって血の気を引かせていく。希望に溢れていた表情が失望に変わっていって、口ごもったレイリーはなにかを喋ろうとするがうまく言葉が出ないらしく、しどろもどろと言葉にならない単語を発音していた。馬鹿みたいだ。レイリーはまさかライラに同じ気持ちを返してもらえるとでも思っていたのだろうか。だとしたらとんだ自信過剰である。
「それではご機嫌よう」
恭しくライラは会釈し、顔をあげた。張り付けた嘘の笑みももう必要などなかった。睨むでもなく冷たい一瞥をくれるでもなくただ無表情で目に留め、けれど留めるほどのものではなかったと思えば急速に関心は失われた。なにも無い、だからライラは教室を後にした。
***
「どこ行ってたの?」
「お手洗い」
ふうん、とシャルロットは目の前に置かれている冷製カボチャのスープを上品に口にした。
「おいしい?それ」
「悪くはないわ」
「じゃあ私も頂こうかしら」
テーブルの真ん中に置かれた大皿に手を伸ばす。するとそれを見計らったかのようにエレノアの手が横から伸びてきて、ライラの手と重なった。
「あ、ごめんなさい。ライラ、大丈夫?」
「………ええ」
誰が見ても明らかで意図的な接触に、ライラの目は冷たく据わる。本当に面倒臭い人達ばかりだ。どうして他人に関心なんて持てるのだろうか。自分以外のなにものも、世の中すべてどうでもいいものばかりなのに。
嗚呼、でも。と、ライラは逡巡する。面倒事は面倒事同士まとまってくれれば丸くおさまるのかもしれない。
「私、ずっと思ってたのよね」
ライラはエレノアの手をそっと取り、優しく包んで真摯な顔つきでじっとエレノアの目を見つめた。予想外のライラの行動にエレノアはほうけているが、気にせずライラは続けた。
「エレノアとレイリーはお似合いだって」
ぴたり、と回りの取り巻き達の空気が静止した気配を感じたが、ライラはそれも、気にはしない。伺う視線もなんのその、まるきり知らない振りをして臆せずにこやかに笑った。
「えっ、…え、え……や、や…、やっぱり?ライラもそう思っててくれたの?」
「ええ勿論、破れ鍋にとじ蓋ってくらいピッタリよ」
「あら、そうよね、ピッタリよね!」
「ええ、ええ。それに今のレイリーはなにか間違えてると思うから、エレノアがちゃんと目を覚まさせてあげなきゃあって」 そして続けてエレノアに耳打ちする。小さく小さく秘め事のように。「教室に、レイリーがいるはずよ」
「……オーケー。分かったわ、ありがとうライラ!私ちょっと行ってくるわ!」
瞳を輝かせ一目散にエレノアは飛び出して行った。これできっと面倒事はきれいに片付くだろう、けれど。
「あの子馬鹿なんじゃないのかしら」
不意に思ったことは呟きになっていたらしい。吹き出した取り巻き達の反応で、うっかり漏らしてしまったことに気が付いた。けれど別に聞かれたって構いやしないと思うのもまた、どうでもいいことなのだ。 食べようとしていた冷製カボチャのスープに口をつける。うん、確かに悪くない。
「エレノアとレイリーの仲なんてもっちゃって、どうしたのよ」
「別に、面倒な人同士仲良くしてれば楽かなって」
「アハハ、なにそれ」
まあでも確かにそうかもねと、悪意のこもった笑みで彼女達は笑いあった。とめどない悪意の流出を右から左へ聞き流しながら、ちぎったくるみパンを口に運ぶ。そろそろエレノアはレイリーを慰めているところだろうか。ご苦労なことね、と手についたパン屑を払っていると、奇妙な視線を感じたのでライラは訝しげに振り返った。
「ここ、座ってもいいかい?」
「どうぞ」
奇妙な視線の持ち主は、トム・リドルだった。トムはぽっかりと空いていたライラの隣りの席へ座り、「ありがとう」と軽く会釈すると、くるみパンへ手を伸ばした。座るなりテーブルの一部に溶け込んだトムは飄々としているが、妙な居心地の悪さをライラは感じた。けれどそれを意識するのもなぜだか癪に障るので、とりあえず無視を決め込むことにした。トムはといえば、そんなライラを承知しているらしく、その上で今度はもの言いたげな視線をぶつけてきた。
ふう、と一息ついたライラは、食べかけのスープもくるみパンも放りだし、ナプキンで上品に口を拭ってから満面の笑みでこう言った。
「ごちそうさま」
「え、もう食べないの?」
「ええ」
すぐさま立ち上がって出口へと歩き始める。シャルロット達はそんなライラに驚いて声をかけてくるが、それすら適当に相槌を打って食堂を後にした。生徒達の合間を縫って中庭の池の前に立ち、深いため息を落とすと、それと重なって聞こえたもうひとつのため息。振り返ればそこにはトムがいた。追いかけてきたのかと思えば、ライラの苛立ちは大きく募った。
「なにか御用?」
ライラの口から出た言葉の温度は思った以上に冷たかった。些か感情的になってしまっている自分の態度に、ライラはらしくないと笑顔を取り繕うとするが、それもまたぎこちないような気がしてやめた。どうせなにもかもトムにはお見通しなんだろう。ホグワーツの教師達の好まれるべく優等生の笑みを貼り付けたトムは、ライラの表情から笑顔が取り払われても何の反応も示さなかったのがいい証拠だ。
「ぞくぞくするね」
にやり、と口端を上げて笑うトムの顔から、優等生の仮面が剥がれ落ちる。冷たく暗い瞳がライラを捉えると、背筋がぞっと凍るような気分になった。
「その、お前の中のもやもやとしたどす黒いもの。…憎悪に似ているなにか」
「…なんのことかしら?」
「とぼけなくたっていいさ、誰だって腹に、人には言えない暗きものを飼っているだろ」
「…それならあんたも同じよね?」
皺の寄った眉根、細められたライラの目はトムをいまだ睨みつけている。ライラの中に飼っているものが憎悪のようなものだというなら、トムの腹には何がいるというのだろうか。鬼か悪魔か、はたまた魔王か。くつくつと声を潜めて尚、笑い声の上げるトムは狂気じみている。
「僕とお前は違う」
ぴたりと笑い声は止まって、真剣な目でトムはライラを見た。伸びてきた手がライラの首筋を辿っていくと、言いようのない恐怖心がライラの身体中を駆け巡る。殺されてしまうかもしれない、と。
喉元にぴたりと手が止まったとき、ライラは目をぎゅっと瞑った。
「っ…………」
「ライラの方が、キレイだろ」
言葉は優しく降りかかり、喉元にあったはずの手はライラの頬に添えられていた。そして、くちびるに柔らかな感触が触れてくる。
わけが分からない、けれど、頭の後ろの方から先程話していたエレノアの声が耳に入ってきた。「ライラってば、リドルと付き合ってたのね」違うわ、付き合ってなんかない。けれど。
一層深くなるくちづけが、エレノアの言葉に真実味を帯びさせていく。「泣かないで、レイリー」嗚呼、憎悪が膨らんでいく。レイリーなんて大嫌いだった、エレノアも、チェルーザも、シャルロットもリアも、みんな嫌いだ。
くちびるが、離れていく。優しい言葉も、目も、仕草も、それが本当のものであるかなんて、ライラには検討もつかない。ただただトムを睨みつけ、口を引き結んだ。
「お前のその気高さに、どうしようもなく惹かれるんだ」
「私は誰にも惹かれない、誰も愛さない、私は私しか信じないから」
ライラは誰にも心なんか許さない。
「知っているさ」
だからこそ、すべてが欲しいのだとトムは笑った。
「これから長い時間をかけて、世界はゆっくりと僕の手の中へ転がり落ちるだろう。世界中の全てが僕に平伏しても、ライラ、お前だけはこうして僕を睨んでいるんだろうな」
ぽつりと零したトムの一言に、悪意も憎悪も飲み込んで、いつか強大になる闇のしずくを垣間見た。けれどライラが口を噤んで見なかったことにしたのは、それすらどうでもいいことだったから。けれどこん選択はいつしかライラの首を絞めることになるだろう。今日さっき、この男がライラの首に手を回したときのように、あっさりと命を奪われる。
「酔狂な戯言ね」
それがトムが紡いだ言葉に対するものなのか、ライラ自身の思考に対するものなのか、はたまたどちらでもあるのか、未来を覗いて見なければ、分からない言葉であった。
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2011/1/10 ナミコ