12月76日








 ホグズミートへの散策が許可されている朝、外には白い雪が光っていた。ホグワーツの生徒達は中庭で教師に名前をチェックしてもらうために城の前庭に集まっている。スネイプはその一群から少しはなれた所の校舎の壁にもたれかかりながらを待っていた。
 相変わらず彼女は待ち合わせの時間を気にしようとはカケラも思っていないらしい。スネイプは心の中でつぶやいた。暇をつぶすことにはもう慣れている。今日は複雑な魔法反応式や歴史の年号などを黙識する事にしていた。
 そのまましばらく待っていると、校舎の中から数人の女性とじゃれあうように駈けてきた彼女が小さく手を振りやってきた。

「遅かったな」
 しかしからの返事はない。それどころか彼女はスネイプの着ていたセーターを一瞥すると、腹のあたりを手のひらでべたりと触った。スネイプがいつもの調子で「俺の腹に胎児などいない」とわりと真剣な顔で言った。しかし彼女は笑わずに手のひらを反し、手の甲でセーターとシャツ越しに腹をなでて低い少し怒っているような声で言った。
「あんたこれ、ウールのセーター?」

「知らんが、とにかくセーターだ」
 スネイプは灰色のセーターの脇腹あたりのラベルを見ようと裾をひっくり返した。身体をひねって脇腹あたりまでめくってみるが、品質表示のタグを発見することはできなかった。
「最低」
「なんでだ」
 セーターの裾を直しながらスネイプが言う。
「それにだな、いいかよく聞け。“最低”とい言葉はだな、最も悪いという意味だ。だからやたらに“最低”なんて言うもんじゃない。俺のセーターが最低だというなら、このまえ宿題の量におまえが使った“最低”という表現が軽々しくなるぞ」
「うるさいわね」といつものように一瞬笑いかけたは、すぐに頬の筋肉をこわばらせ、無表情をつくる。
「女の子とのデートなのよ?」
 身体の前で腕を組み、高圧的な口調でよくわからないことを言うに、スネイプはうんざりとした表情で問い掛ける。
「だからなんだ」
 の語尾の強さよりも“デート”という単語が気になっていたが、“デートという単語を使用する事に関しての疑問”は今の状況に対して適切ではないだろう。しかたなく疑問を飲み込み、の次の言葉をおとなしく待った。

「こんなちくちくするセーターに抱きつけるわけないじゃない!」
「はあ?」
「100%コットンかシルク混紡じゃなきゃイヤよ」
「はあ」
 むちゃくちゃな理論に納得できないでいるスネイプを気にせずには先を歩き出し、彼もそれに続いた。
「しかし、これは学校指定のセーターだ」
「で?」
「おまえも同じものを着ている」
「それがなによ」
 の横顔に言葉を投げるが、返答はあまり好意的なものではない。それでも一度くちに出してしまった言葉を見逃すほど今のの機嫌は芳しくなく、しかたなくスネイプは先をつづけた。
「自分はいいのか? その、セーターを着ていて」
「あんた、私に抱きつく気?」
「……悪かった。聞かなかったことにしてくれ」
 はおおげさに顔をそむける。その時に揺れた彼女の髪から石鹸の匂いが香ったのと、その表情が笑っているのをスネイプは見逃さずにくくくと笑みをもらした。
「なに笑ってるのよ」
「べつに」

 ハハハとわざとらしくさらに笑うと、が早足で行こうとするので、しょうがなく後を追った。彼女はスネイプの一歩でも先をとさらに足を速める。またそれを追う。そのうち、ふたりともほとんど走っていたので、まわりの生徒にずいぶん変な目で見られただろう。
 いつのまにか全部の生徒を追い抜いていたらしく、誰よりも先にホグズミートへ着いていた。笑いながら走ったのでふたりとも息がきれて肩で息をしていた。
「ハ、ハ。誰もいない」
 いつもならホグワーツの生徒でごった返している大通りに学校指定のローブのかげはまったく見えず、なんだか別の場所に着いててしまったような不思議さを感じる。
「混んでないハニーデュークスなんか、私はじめてかも」
 いつのまにかずいぶん後ろを歩くスネイプを振り返りが笑いかけると、彼の目はもう並ぶ店先にぶらさがっている紅茶のカップ型の看板を見上げていた。やけに小さい歩幅で喫茶店に向かっている。
「……つかれた、とりあえず、どこかで……やすみたい」
 はわざとらしく溜め息をつき、スネイプのあとを追った。





 カフェの店員が持ってきた、冴えた緑色のソーサーの上にはチョコレートが乗っていた。気が早いのか、去年の残り物なのか。それのビニールの小さな袋状のパッケージは赤いテントウムシを模していて、どうやらイースターの時期のための物のようだ。
「やる」
 スネイプはその菓子をの方へ押しやるが、彼女は「ココア飲みながらチョコなんか食べたら、ココアにもチョコレートにも失礼よ」と黄色いマグを少し持ち上げて見せ、チョコを彼のカップの脇へもどした。
「それに、そっちのソーサーの上のほうがにあうよ。緑色で、草の上っぽい」
「カップが熱いんだ。溶ける」
「溶けたら、こっちにまぜるから」
 はホットチョコの中でゆっくり溶けていくマシュマロをスプーンでつついた。
「このチョコの中に、ゼリーとかジャムとか入ってたらどうするんだ? ココアに混ぜて平気なのか」
「平気よ、どうせ甘いんだし」
「そんなものか?」
 スネイプが怪訝な顔をする。
「だって、チョコの中に入ってるようなゼリーだったら、チョコと一緒に食べておいしい物でしょ?」
「まあ、そうだな」
「ホットチョコだってチョコなんだし、別に平気じゃない?」
「たしかにゼリーはチョコに合うかもしれない」
 こつこつと人差し指でテーブルを叩きながらスネイプが言った。
「しかしな、牛乳にゼリーが合うと思うか?牛乳にジャムを入れて飲めるか?」
「……いちごミルクとか美味しいし」
「まあ、入れた時が楽しみだな」
 スネイプは口の端を上げて笑った。

 ドアの開く音がして、外の冷気が店の中に吹き込んだ。は無意識に音のしたほうへ目をむけ「あ、」と小さな声を上げる。すこし送れてスネイプは低くうめいた。
 静かだった店内に入ってきた数人の新しい客をは楽しそうに談笑していたが、その声が不自然に途切れた。雪まみれの靴を遠慮なく床に押し付けて、木を敷き詰めた床が軋ませる音が店内に響いた。二人の黒い髪の男がスネイプの背後に立ち止まると濡れたゴムが擦れる耳障りな音をたてた。

「やあ、スニベリー。元気か?」
 スネイプの肩に手が置かれる。スネイプは迷惑そうにその手を横目で確認するように見たが、とくに振り払うようなそぶりは見せなかった。
「その手をどけろ、シリウスブラック」
 振り払えばどうなるかスネイプは知っていた。シリウスは彼に自然なやりかたで暴力をふるう機会を失ったので小さく舌打ちをした。
「元気だよなぁ、だってマラソンしてただろ? おまえ」 
 もう片方の黒髪が笑うが、内容とは裏腹にその言葉はスネイプに向けられているものではなく、シリウスが応えて高い声で笑った。
「ああ、ジェームズ、その通りだ! 顔なんか赤くして必死に走ってさ、気味悪くてしょうがなかった」
「しかもあの足の遅さ! カタツムリだって追い越せそうだったな」
 頭の上ではスネイプを揶揄する言葉が飛び交っていたが、彼は顔を下に向けて眉だけを険しく、ポケットに入れた手を握り締めてじっとしていた。その様子は問題が過ぎ去ることをただ待っているだけのようにも見えたが、口の中で密かに呪文を詠唱しているようにも見えた。
 は何かを待つように、黙ってそれを観察していた。

 スネイプは顔を下に向けたままポケットから素早い動作で腕を抜いた。ローブの襞の隙間から、丹念にニスを塗られた細い杖が見える。
 しかし、それよりも早くの杖が握られた腕が伸び、スネイプの手の甲を突いた。スネイプの杖の先から出ていた閃光がかき消される。
「なぜ止めた」
 が杖をしまうより早く、スネイプは声を荒げた。それを見てシリウスとジェームズはニヤニヤとした表情で、それは明らかにゲラゲラとした笑いへの前兆だった。スネイプは居たたまれないのか、それとも単純に怒っているのか、顔をこわばらせていた。
 が口をあけようとしたその時、不機嫌そうな店員の声がそれをさえぎった。店内に響いた声に一同が動きを止めた。
「テーブルへご案内しましょうか?」
 うんざりとした顔の店員がシリウスとジェームズにメニューをつきつける。二人は愛想よく笑うと「せっかくだけど遠慮します」とか「あの陰気なやつが帰ったころにまた来ますよ」とか曖昧な事を述べて店を出た。
 


「なぜ止めた」
「だって私まだ、ココア飲み終わってないもの」
 グリフィンドールの二人組みは去り際まで騒々しく迷惑だった。先ほどまでは喫茶店に居合わせた数人の客が聞き耳を立てたりちらちら窺うように控えめに振り返っていたが、もう興味はないらしい。
「おまえは見てないふりくらい出来ないのか。あれで満足か? 魔法が使えるって事を誇示したかったのか? だとしたら成功だな。おまえが魔法を使えるって事はみんな知った。しかし、発表の場所をわきまえろ」
 スネイプは一息で低く言いきると自嘲気味に鼻で笑った。自分自身でも卑屈で不快だと思って窺うようにを見ると、彼女はじっとスネイプの目を見ていた。言ってしまった事を後悔しているのか、スネイプは目をそらし、紅茶のソーサーに乗せられている小さなチョコの包みを袋の上から爪で砕き始めた。
 は彼が恨みを込めてつぶしている赤いテントウムシを救出すると、封をきって端のほうが欠けているチョコをホットチョコレートのマグの中に落し、スプーンでかき混ぜる。
「べつに、私はやさしいから、やつ当たりされたくらいじゃ怒らないけどね」
 フン、とスネイプはの発言を鼻で笑うが、かまわずに彼女は言葉を続けた。
「私はね、あなたがあの人達に馬鹿にされてても、打ち負かしてても、そういうところを見ることはまったくかまわないのね。だって私がスネイプの価値を諮るのに、あの人達の意見を参考にすることなんかないんだから。でも、私のココアを冷めさせたりだめにしたり、お店に居られなくなるようになるのは嫌」
 は溶けていくチョコレートの渦を眺めながら、ひとつずつ言葉を選ぶようにゆっくりとそれだけしゃべると顔を上げてスネイプを見た。
「別に、馬鹿にされてなんかない」
 スネイプはテーブルにかけられているレース編みのテーブルクロスを睨みながらぼそりとつぶやいた。
「うん、それはそれでいいよ」と彼女は一人で納得したようで、マグの中から緑色のスライム状になってしまっているゼリーをスプーンですくい上げる。それを舌の先で舐めると、顔をしかめた。
「あーあ、メロン味のゼリーだったよ」



「……まずいか」
 長い沈黙の後、スネイプは顔を下へ向けたまま呟く。まったく気分のきりかえの遅い人だとは思った。しかし黙ったままうつむいていたり、帰る様子を見せたりはしないので、彼なりにがんばっているんだろうなと心の中で笑う。
「別に、最悪ってほど悪くないわ」
 そうは両の口の端を上げた。そして「でも、あたらしいホットチョコが欲しいわね」と呟いて店員を呼んだ。
「食べものを粗末にする奴には罰が当たるんだからな」
 スネイプの言葉を聞き流し、はカウンターの向こう側へホットチョコレートの追加を頼む。店員の持ってきた片手には湯気の立つマグが今度はホットチョコレートにまでテントウムシが付いてきたので、ふたりで顔をみあわせて笑った。

「こんどのチョコは、あんたのよ」
「おまえが食べればいい」
「チョコ嫌い?」
「おまえの好きなものは、なんでも嫌いだ」
「へぇ、そうなんだ」
 は目を細めて笑う。
「ほら、あんたの嫌いなチョコが、まだまだたくさんあるのよ」
 はローブのポケットの中からぼろぼろと小さいチョコレートを取り出し、テーブルの上に散乱させる。喫茶店の店員は目ざとくそれを見つけて迷惑そうに眉を歪めたが、スネイプと視線があったことに気付くと肩をすくめて見せた。
 はばら撒かれた小さな粒を端から一つずつ任意の形に整列させていた。いびつなハート型を作り上げると、満足そうに笑った。
「今日、何の日か知ってる?」
「さあ、年を越した記憶もないな」
「うそつき」
「べつに嘘なんか」
「知らなくても、とにかく食べなさいよ」
「おまえがどうしても食べてほしいというなら、食べてやらないこともないかもしれない」
 が笑って、スネイプへチョコを押しやった。なんとなく曖昧に口を歪めて、スネイプはそのチョコを手元に置いた。彼女は今までちょっとした出来事をすべて忘れたかのように、多くの生徒で混雑しているホグズミートの攻略法を組み立てはじめていた。
 それでも目はチョコレートを見ていて、スネイプがそれに手を伸ばすことを期待していた。

 スネイプは彼女に見られていることを意識しながら、テーブルに置かれたチョコレートの包みに指先で触れた。喫茶店のチョコレートのように季節違いのものではなく、きちんと今日のために製造されたチョコレートだ。
 雪はもうすぐ溶けるだろうか。イースターはまだ先で、いまは2月だ。そして今日は何の日か、もうしばらくわからないふりをしていようと思う。
 それまでに、ローブの中に隠した一輪の花が萎れてしまわないようにと、スネイプは目を伏せて熱い紅茶を口に運んだ。



















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イースターなんか先月に終わりましたよ。
4月(しかも後半)になってもまだバレンタインドリを書きつづけていた私の忍耐に花束を。トラに花束を。トラジャーノンに花束を。語呂はいいけど、あまり気分は良くないかもしれない。そして忍耐って言うよりはだらだら書いていたと言ったほうが正しい。いつから書いてたんだ。4ヶ月くらい前からか。それでこれか、とは言わないように。拗ねるから。

2005/4/19  トラ