朝 ahogirl magic 「信用してたのに!」 はあぐらをかいてベットの上へ座り、枕とシーツで縺れた髪を手ぐしで撫で付けながら、「朝食まであと15分もない」とか「自分の部屋へ帰る時間がない」とか「シャワーをあびる時間はないだろうか」とか、ほとんど無駄な時間の計算をしていた。 「人のせいか」 「いっつもセブルスが先に起きるから、安心して寝てたらこんな時間なんて」 それを半分聞き流しながら、スネイプは裸足のままで絨毯の上に立って下を向いていた。ベットの脇に落ちた二人分の衣服を一枚ずつ拾いあげて、のものはベットの上へ、自分のものはバスルームのランドリーケースへ運んだ。 「我輩が寝過ごしたのも、半分はおまえのせいなのだがな」 と聞こえるか聞こえないかの小さな声でスネイプは呟く。しかしベットの上へ積み上げられていく自分の衣類の一枚一枚についた無数の皺に悪態をついているの耳には届かないようで、言葉は朝の空気へ溶けるように消えた。 はバスタブの縁に腰掛け、鏡越しにスネイプの顔を眺めていた。 「顔あらあらいたい」 「洗えばいいだろう」 水滴の垂れる顔へ白いタオルを押し付け、半分目を閉じているスネイプが平坦な口調で言った。スネイプの顔からは、昨夜のすこし充血したような目も、起きたばかりでまとわりついていた眠気も、すべて拭い去ってしまった平凡な朝の目をしていた。 「洗いっぱなしになんてしたら、顔がひからびるの」 「そうか、大変だな」 「他人事だと思って」 「他人事だからな」 肩をすくめるスネイプに、はおもいきり眉を歪めて眉間にシワを作った。 「呼び寄せの呪文でその……必要な物を自分の部屋から呼び寄せたらどうだ」 「朝からガラスの瓶を飛ばすなんて、人に当たったりでもしたらどうするの」 「この学園は始終何かが飛んでるからな、そんなに気にする人間が多いとは思わん」 「スネイプ教授の部屋に化粧水の瓶が飛んでくるなんて、ホラーだわ」 「なるほど」 スネイプは控えめに息だけで笑って、水分を程よく吸ったタオルを昨日の衣服が積み重なっているカゴの中へ落とした。新しいタオルをのために出してやるが、彼女はあたりを物色しながらぶつぶつと何かつぶやいている。行き場を失ったタオルはとりあえず洗面台の、なるべく雫のない場所へ置いたが、折りたたまれている底辺の方は少し水が染みたかもしれない。 「ねえ、なにか化粧水とか……あるわけないね。むしろ、あったほうが落ち込むわ」 かってに自問自答自己完結しているを鏡越しに目で追いながらスネイプは洗顔料とは違う純石鹸を泡立てた。 髭を剃るたびに「未知との遭遇」という映画を思い出す。主人公のリチャードドレィファスがシェービングクリームでエイリアンと遭遇するデビルズタワーを作っていた。 我輩は泡で山など作ったことはないが、未知の生物と遭遇するどころか関わっている毎日である。たとえば人が肌へ刃物を当てている間も背後で騒々しく動き回れるような無遠慮な女とか。まったく、遺憾な日々である。 洗面所の棚へ視線を戻し、透明な液体の入ったボトルを棚から取り出した。 「……これならあるが」 表情だけで「なに? 」と期待を込めてふり返るへガラスのボトルのラベルまで見えるように手のひらの中で回転させる。 「アフターシェイブローション」 はスネイプの提示に一瞬顔を輝かせたが、そのボトルのラベルの文字を読み取ると、すぐに顔をしかめた。 「意味ないわよ」 「ユーカリ配合だ……アルコールフリーでもあるし、肌には悪くないと思う」 「私の顔がユーカリフレーバーってどう思う?」 「ユーカリは癒しの効果あるとされて、昔から魔術や魔法薬の材料として使われてきたものだし、魔法使いの使うものとしては適当では?」 「そんな無責任な……」 「おまえの顔にまで責任などもたんからな」 「じゃあ、私の体のどの部分になら、責任を取ってくれるの?」 「混ぜっ返すな」 「だいたいユーカリって、どんな匂いだったっけ?」 「たぶん、まったく憶えのないような匂いではないとは思うがな」 声なく笑うを見てスネイプは喉の奥で笑い、透明なボトルの栓をひねり手のひらへ液体を落とし、それを頬へ染み込ませるように手のひらをすべらせ、瓶にまた栓をし、元の位置へラベルすら正面を向いている完璧な状態でもどした。 その無駄のない動作を眺めながらは、この人は毎朝同じ事をしているのだな、とぼんやり考えた。しかし普段の朝は自分も同じようにほとんど無意識に活動していると思い出してすこし笑った。 スネイプは服を着るためにバスルームからベットルームへ出て行った。それでもはバスルームに残り、白いバスタブの内側に昨日の晩から残っている水滴を指でのばしながら、重い木製の箪笥の引出しを片手で開けるスネイプの様を眺める。 白いシャツのボタンをひとつひとつ止めていくスネイプと目が合った。視線だけで咎められたような、なんとなく気まずい気持ちで目をそらし、バスタブの縁からようやく立ち上がる。裸足の足の裏がタイルの床で冷えた。鏡で自分の顔を映しながら、とりあえず蛇口をひねると温い湯が手を濡らす。 スネイプの洗面台は整理されていて、欲しいものにはすぐに手が届いた。石鹸を手のひらの中でなでるように擦って泡を立て、濡らした顔へ白い泡を滑らせせた。そして茹でた卵の殻のように眠りが剥がれていく様を想像して口の形だけで笑った。 泡を洗い流しタオルで顔の水気をふき取ってぺたぺたと裸足でベットルームへ移動する。スネイプはほとんど身支度を終えていて、ベットの端へ腰掛け室内履きから革の靴へ履き替えているところだった。その傍らにはの昨夜の衣服が皺を魔法によって完璧に伸ばされて、きちんと折りたたまれていた。 「甲斐甲斐しいね、いい父親になれそう」 「急ぐんじゃなかったのか? 」 スネイプは顔を上げると、まだ顔を洗っただけのへ怪訝な顔をむけた。 「これでもじゅうぶん急いでるんだけどねえ」 は語尾をだらしなく延ばして笑い、サイドテーブルの上に置いてある自分の杖を取ると小声で呪文を唱えた。そしてゆっくり歩いて部屋を横断し、廊下に面するドアの前に立って細く扉を開け腕を出すと、その手にはガラスの瓶が握られていた。 「手品師みたいだな」 スネイプはベットから立ち上がりの服をまとめて持って彼女へ近づく。 「魔法使いですから」 は首をのけぞらせて背後のスネイプの胸に頭をつける。うしろに体重をかけたままボトルの栓をひねり、肌への栄養を手のひらにだした。 「そうだったな」 スネイプは服に皺ができないように気を使いながらの腰を支えた。袖に腕を通して笑うの喉が震える。 完全に服を着て部屋から出る準備を整えたはドアの内側で立ち止まっていた。スネイプは部屋から出てこないを廊下からいぶかしげに見る。 「なにか?」 外へ出るよう促がすようにスネイプは一歩身を引き、彼女が足を踏み出すためのスペースを必要以上に空けてみせる。そこではようやく部屋をでた。 スネイプが靴の底を石の床にたたきつけるような足音を立てて歩いていくときも、はスネイプの横顔を見ていた。すこし前まで半分眠っていたような男が顔を洗って部屋を出ただけで眠りとは対極の位置にあるような昼間のような顔をするので、不思議な気分になっていた。 注意深く観察していれば変化というものはかならず捉えられるものなのかもしれない、とは思った。あんなに表情の乏しい人にも、それなりに変化というものはあるようだ。 前よりもスネイプの表情が豊かになったようにも思えるが、それは彼が変わったのではなく、自分が彼の感情の表し方に慣れたのだのだろう。 疲れていっそう沈んだように見える目や、気分が猛って充血した目や、そのあとの気だるげな目も眠そうな目など、彼の目のそれは紅茶にレモンを入れたときに起こる色彩の変化のようにかすかなものだが、そのようなスネイプの目の変化に気付けるということは、なかなか良い気分である。 そして長い廊下を進んでいくうちに、生徒の朝の騒がしい声が石の壁に反響してかすかに耳に届くようになった。スネイプの表情がまた一段と硬くなる。 は教師としてのスネイプの、この一種特殊な目が最も彼にふさわしいと思った。常に何かを咎めているような視線。教室の中で動き回る生徒の行動を見逃さず捉えようと始終見回している目とはこのようなものなのだろう。 自分もこのまま教師を続けていればそんな目をするようになるのかと、心の中で思った。 そんなことをぼんやりと考えながらスネイプの顔を眺めていると、そこに夜の破片のようなものを発見して、手を伸ばし微笑んだ。 「セブルス、剃り残しがあるわよ」 「どこにだ」 頬の下の顎の裏を指で触るを見下ろし、スネイプは立ち止まってそこへ手をやり探ろうとする。しかしはその手を払いのけて首元へ顔を寄せ、残った髭を前歯で噛んで器用に引き抜き笑った。 「……痛い」 首へ添えられているの手の上に手を添えてスネイプは顔をしかめた。の唇の上に乗った赤い舌と硬く黒い髭の色に落差がありすぎて目に痛いほどだった。 スネイプは無言で苦く笑って、また歩きだした。 誰かに見られてはいないだろうかと、たぶんスネイプは心配しているんだろうな、とは舌の上に乗った短い毛を爪でこそげとるようにして指でつまんで捨てた。そしてこの覚えのある木のような葉のようなにおいはユーカリだったのかとまた笑った。 「ユーカリの匂いも悪くないわね」 はスネイプの背中へ言葉を投げかけた。 そうだろう、というようにスネイプは正面を向いたまま、かすかに口の端をゆがめた。はそれを見逃さず満足そうに微笑んで、スネイプの後をすこしだけ早足で追った。 ---------------------------------- アホガールマジック。とくにコイガールマジックが好きなわけではないけど、言葉の響きはすばらしいと思う。そして化粧はどうした。化粧が必要無い人の顔はうらやましいですね、フン。……物語のなかの人に怒ってどうする。しかも自分で書いたのに。 2005/3/28 トラ |