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 朝食にはすこし遅れたが、授業などの職務にまで影響することはなかった。午前の予定を終え、温室から薬草を採取した。今日は良い天気で温室の中は熱がこもり薄く汗がうかぶくらいだった。
 その帰り、中庭に面している渡り廊下でと会った。他の教師は授業に出ているのか、授業中の廊下は2人分の足音だけが控えめに鳴るだけで静かだった。もこの時間は空き時間だったらしい。
「どうしたの、その花束」
 正面から歩いてきたは足を止め、小さな白い花をつけている薬草の束を指して笑った。
「花束ではない、ただの薬草だ」
「花が束になってればみんな花束よ」
「リボンがついてなくてもか?」
「リボンがついてなくてもよ、紳士」
 はそう楽しげに言うと、「スネイプ、あなたたまにかわいいこと言うわね」と小さく付け加えた。
「紳士?」
 スネイプはいぶかしげな表情をうかべる。
「紳士なら、花は無条件にレディーに献上するものよ」
「しかし……この花を君へ贈ると、我輩は温室へもう一度行く手間ができてしまうのだが」
「イギリス人でしょ?」
「……これは恐喝か?」
「紳士はレディーへの手間を惜しまないのよ」
「自分から催促するなど、淑女としての行いから外れているのでは?」
 は腕を組みスネイプを見あげる。スネイプはをしばらを眺めていたが、観念したように雑なしぐさで花を突き出した。不機嫌な様子を隠さずに顔をしかめているスネイプをみて、は満足そうに笑う。しかし花を受け取ろうとはしなかった。
「せっかくですけど紳士」は楽しそうに片目を細めた。「私、花は薔薇しかいただかない主義ですの」
「だったら、最初から欲しがらなければいいだろう」
 宙にういた厚意を引っ込めながら、腑に落ちない表情でスネイプは言った。
「大切なのは花じゃなくて、花を贈られる事が大事なのよ」
「そういうものか」
「そういうものよ」
 は静かに微笑んだ。 

 不満ながらもつい納得してしまったので、もう何も言うことはなかった。それでもなんとなくこの場を離れることが惜しく、しばらくお互いに出方をを窺っていた。しかし「あ」という小さな声とともにが突然横を向く。不審に思ったスネイプがその視線を追って見ると、そこには白いネコが居た。
「ネコ!」
 うれしそうには芝生の上まで進むとしゃがみこみ、片手を前に出してそれの気を引こうと口を鳴らした。ネコは静かにこちらを窺うようにそろりそろりと忍び寄ってきた。

 そのネコはしばらく前から学園内に住み着いたようで度々目にしていた。大勢の生徒がネコの気をひこうと様々な物を用意して近寄っていったが、ネコはいつも臆病そうに人を避けていた。
 もネコに構う人間の一人だったが、ネコは彼女のことも怯えて避けた。ネコ好きを自認し、どんなネコでも懐かせてみせると自慢していた彼女はいたくプライドを傷つけられたようで、それからは手を変え品を変えそのネコに近づいていった。
 どんなネコでも人間でも、愛情と忍耐を持って接すれば落せる。と彼女は言った。そのとおり、そうやってゆるゆるとネコは彼女に篭絡された。ネコを手懐けてからも、彼女はネコのことをぞんざいに“ネコ”と呼んだ。所有していないネコにまで名前をつける権利はないそうだ。
 そのあたりの奥ゆかしさが、ネコを手懐ける秘訣なのかもしれない。しかし、それは慣れすぎることを避けているようにも見えた。結局は人間もネコも臆病なことにはかわりないのだ。
 
 ネコは陽だまりのなかでに撫でられ、気持ちよさそうに喉を鳴らしていた。も陽のなかで、しゃがみこむというよりは座り込んでいるような形で楽しそうにネコと向き合っていた。屋根のついている渡り廊下の影は濃く、光の落差に目がくらむほどだった。
「おヽ、チルシスとアマントが庭に出てきて遊んでいる」
 どこで読んだのかもわからない古い詩が頭に浮かび、つい口から滑り出ていた。あれはどういう意味だったか、なんの名前だったか。と、スネイプはぼんやりと考えた。
 が振り返る。
「そんな、縁起でもない詩」
「ネコの詩ではなかったか?」
「違うわよ」はまた目を下に向けてネコの背を撫でる。「ネコの詩だとしても、ここには1匹しかいないけど」
「そうだな」
「それとも、私もネコだって言うの?」
「ネコじゃなかったら、こっちまで戻って来い」
 は笑うと、屋根の下の日陰に帰ってきた。ネコは名残惜しげにを目で追った。彼女のローブの裾には芝生の破片が付いていた。陽の下でみるよりも目の色が深く見える。の後をついてこようとしたネコは、スネイプを見てひるんでいた。簡単には人に慣れないネコなのだ。

 スネイプはネコを横目で見ながら、壁にを押し付けてキスをした。顔の角度をすこしずらし、さらに口の中へ侵入していく。は一瞬身構えたが、とくに抵抗する様子はなくすんなりと受け入れた。ネコはまだこちらを見ていた。
 スネイプがさらに強い力でを壁に押し付ける。
「苦しい」とは呟こうとするが、口がふさがれていて言うことができない。
 苦しいのは抱きしめられて肺がつぶれたのか、それとも口が塞がれているからなのか。は無意識に体をずらそうとするが、あまりにも強い力で押さえつけられているので、耳が壁と頭の間でひしゃげた形に折れてしまっている。
 キスをすることに飽きたのか、の気がいつもよりも逸れていることに気付いたのか。ようやくスネイプがを解放する。は自分のつぶれていたほうの耳に手を伸ばし、恐る恐る触れた。大丈夫、耳は壊れていない。はほっと息を吐いた。
「どうした、耳がとがってきたか?」
「ネコみたく? バカ言わないでよ」
 赤くなった耳をさすっていた
「白いネコは他のネコよりも頭が悪いそうだ」
「バカなネコほど可愛いもんよ」
 はネコを探そうと、中庭に目を走らせる。その顎をつかんで、スネイプはもう一度顔をよせた。
「おまえの髪は白くないがな」
「私も可愛い?」
「バカ言うな」
「そんなことよりスネイプ。あんたの行儀が悪いせいで痛いのよ」
 は赤くなった耳をいたわるように撫でて言った。
「もっと紳士らしくできないの?」
「それならば」
 スネイプはを見下ろす。
「もっと淑女らしくふるまうんだな」
「淑女じゃないもの」
「だろうな」
 スネイプは薄ら笑いを浮かべ、の腰からそっけなく手を離した。中庭に目をやると、ネコはいなくなっていた。はスネイプに恨みがましい視線を送ったが、不満を飲み込んで、服についた花粉を指で静かに落とした。
「私達、庭にもいないのにじゃれてるわ」
「ネコじゃない」
 スネイプはそっけなく答えて、落ちてしまった2、3本の薬草をかがんで拾った。膝のあたりについたホコリを叩いて払う。
「それもそうね」
 は中庭の空を見あげ、目を細めた。我々にとって太陽はいささかまぶしすぎる。
















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おゝチルシスとアマントが
庭に出て来て遊んでる


チルシスとアマントは中原中也の「月の光」という詩の一節です。
昔に読んだものなので、すっかり2匹のネコだと思い込んでいましたが、
今回さがして読み直してみると死んだ子二人だったようです。
アイヤー、びっくり。


2005/5/2   トラ