さよならを言わない








冷たい手……
いつもいつも一番初めにの思考にやってくるものはそれだった。触れた指先からその体温の低さが伝わってきそうで、自らの熱を吸い取られそうで、それでもその手のひらを包むように両の手でしっかりと触れ続けた。
冷たい手、指先になるにつれてそれよりもさらに温度の低くなる。まるで太陽を受けつけないとでも言うような、不健康な白い肌。

この人は、本当に生きているのだろうか。

そして、二番目に思考へやってくるのはこれだ。
年相応よりも少し多く刻まれた手のひらの皺、血色の悪い爪、独特の薬品のにおいの染み付いた指。
染みこんだこの人のあたりまえの日常を読み取る。だけどそれは過去の、今と言う時よりも昔にあった事実であるから今と言う時を生きている確証には決してならないのだ。

生きてる?

は手のひらをそのままに熱を分け与えながら手首から腕、腕から胸、胸から首筋と視線を這わせていった。
黒に身を包む不健康な白い肌、漆黒の黒髪、黒い瞳、それはまるで闇に生きる異形のものだ。

人間?

の艶やかな、その黒髪とはまったく正反対である金糸がばさりと重力のままに下に垂れる。
手を伸ばしてその頬に這わせれば、やはり冷たく、どんなに覗き込んでもまぶたはしっかり閉じられ、あの恐ろしいほどの闇色の瞳を目にすることは叶わない。

「生きてる?」

ゆっくりと問いかけるの言葉は虚ろに揺らめいて消えた。静寂すぎる部屋、騒がしい世俗を嫌う頑固な、厳しく、狡猾で、卑怯な、誰からも嫌われた彼の人によく似合う。
頬に這わせた手をゆっくりと上下させると、摩擦によって生まれた熱がゆっくりと広がった。そうでなくとも熱を吸い取るこの冷たいいきものはさきほどからずっとの体温を奪っている。いや、奪わさせている。
ぬくもりを嫌うこの人に、冷めたものだけを纏わりつかせるこの人に、自らの体温と言うぬくもりを捧げて。

「生きていますか?」

ひっそりと呟いて、はその胸に頭をもたれかける。音のしない鼓動に耳を寄せ、冷たい冷たいその身体へ自らの体温全てを捧げて、溶け込むようにひそやかにまぶたを閉じる。
不健康な白い肌と、温かな絹の肌。
闇をとかしこんだような黒髪と、太陽の輝きを持った金髪。
ひとつにとけて、吸い込まれて、取り込まれて、私はずっと、この人に抱かれる。






これは、あの人に抱かれた夜に必ず見る夢だ。






夢から覚醒すれば、ああこれは夢だったのだと思える。
覚醒するその瞬間までは、いつもいつも繰り返し見る光景と映像が現実なのだと心に抱えて。
夢に見たように手を触れても、冷たくはない。人が持つべき体温をその手にちゃんと留めてある。私の体温は奪われない。
夢に見たように頬に触れれば、眠りに浅いこの人はぴくりと眉根を寄せて薄っすらと目を開け、私を睨みつける。
夢に見たようにその胸に頭をもたれかければ、とけあうこともなくゆるやかな鼓動を耳にし、この人の腕に優しく抱きとめられる。

「おはよう、……ございます」
「ああ」

簡潔ながらに言葉は返り、いつもの日常を変わらず動き出す。黒を纏って、身だしなみを整えて、この部屋の扉を出る。
私たちを繋ぐ言葉は挨拶だけだ。そして生徒と教師として交わされる言葉のみ。
この扉をくぐりぬければ、私たちは夜の艶事もなかったことにして平静を装って今日を生きる。

繰り返し繰り返し、毎日を生きる。








 

2004/10/21 アラナミ