夜と影は優しく触れながら薔薇を踏み潰す







永らく拒み続けても、求めなくとも、気付かぬふりをしても、見なくとも、一度流れるように流されてしまえばこの性分だ。
愚行にこめかみを痛め厳しく眉根を寄せて、それでも思うことは正当化するがゆえの弁解。
終わりを告げなくとも、初めから始まりなど存在しなかったのだから。

シーツに残った血の薔薇も、ぬくもりも、残り香も、杖を振って清めて消し去っても記憶からは消えない。



目に映るものの大半に対して抱くものは忌まわしさだ。
先天的なものか、後天的なものか、恐らく――――後者の。
人は生まれながらに悪ではなく、善でもない。初めは無であってそれから人を形成していく。我輩とて、生まれたときは決してこのようではなかったのだと理解している。誰もがそうであったのだから。
だがしかし決して現状に対して僻心を持っているわけではない。それはそれで構わなく、不都合でもない。むしろまったくの好都合。
我輩は我輩であることを心から望み、実に満足している。

実に朝とは思い難く日も差し込まぬ地下で浅い眠りから目を覚ますと必要最低限素早く身支度をし、寝乱れたベッドを素早く直し自室を後にする。
そのまままっすぐ研究室に向かい、定時の朝食まで鍋をかき回したり小難しい本を読み通したり薬品棚の薬品の補充をする。
実に無駄なく我輩は朝を過ごす。
そして朝ゆえに少量の糧しか必要しない我輩はオートミールをゆっくりと胃に流し込んで教授方や生徒たちと朝食を共にする。
愚かで忌まわしい子供の寝ぼけた顔を嘲笑と侮蔑でもって見渡して半分もそれを皿に残して席を立つ。
そして我輩はまた有意義な朝の時間の続きを堪能する。

授業は最低限教授すべきことを無邪気で愚かな者たちに示唆し、促させる。
優秀なものは実に円滑に鍋をかき回し素晴らしい薬を作り上げる、それでいい。
悲しくも才のないものはまったく的外れな材料を無駄に鍋に入れては全く効果の違うものを作り上げる。(ええい、黒板のどこにお前が手にした材料が書かれているというのだ!!)
我輩は優秀なものに対して嘆息しながらまったく才のないものに対して冷ややかに嘲笑と侮蔑を送る。
初めから努力しないものには努力などという言葉は期待しない。優秀なものは初めから努力しているのだ。
あの……ハーマイオニーグレンジャーのように。
我輩は勉学を前にすれば公正かつ公平であるから彼女が忌々しい部類に入るものであったとしてもその努力だけを認めている。
ああ、なぜパンジーパーキンソンにあの小娘のかけらほどの努力が備わってないのだろうか。マルフォイを引っ張りまわす努力だけは絶えず積んでいるというのに。
薬の入った小瓶を提出した子供はチャイムと共に部屋を出て行く。しばらくしてまた子供が入ってくる。
そして我輩はまた授業を繰り返し始めるのである。

なんと周期的で寸分違いのない素晴らしい日常であるのか。
規則的に規律された毎日は我輩をひどく安堵させる。
授業がすべて終わると我輩は薬品の原材料の補充のために温室を訪ね、ふくろうの足に注文書をくくりつけ、稀に禁じられた森へ赴く。
そして持ち帰った材料を保存し、鍋をかき混ぜ、小難しい小説に目を通す。
ときおり廊下を徘徊し、愚行に走る子供を叱りつけ思い知らせるのだ。
いい薬になるだろう。間違っても英雄気取りのこ憎たらしいハリーポッターなどのようにならないように目を光らせていなければならない。
子供は無邪気で愚かで――――そして好奇心が強いからこそ余計に。

ホグワーツに宵が訪れても、研究室の明暗は変わらずそのままである。
地下であるそれは常に蝋燭の光だけが揺らめいて部屋を映し出しているのだから当たり前であろう。
夕食も間近だというのにドラコマルフォイは本を片手に研究室を訪ねてきた。
熱心な授業の復習ぶりに我輩は快く頷いて質問に答えてやった。
まったく、優秀なものはこうでなくてはいけない。質問の答えに満足した彼は厳しくしつけられた礼儀でもって静かに研究室から退室していった。
再び研究室に満ちた脆弱な静寂の中で我輩は夕食までの時間を小説を読み更けることに費やした。

朝も昼も夜も変わらず少量の糧を摂ると今度はそのまま自室へと戻った。
机に積まれたレポートを厳正に目を通し、見極め、添削していく。
いっさいの贔屓目もなく厳正に、構成に、赤のインクをレポートに書き連ねる。
夜半遅くまで続く添削が終わりを告げると共に我輩の一日も終了する。
浅い眠りゆえに生まれてこの方見たことのない夢に対して少しばかりの思考を巡らせて眠りにつく。


闇と影が部屋中に満ちた中で人は眠りにつく。
我輩は夢を見ない。

そして変わらぬ朝を迎える。



繰り返し繰り返す毎日を過ごしてゆくのであるから、我輩はドアの前のある薔薇を踏み潰したことも知らないのである。

















薔薇の雫がない、と気がついたときはもうすでに瓶の中身は一滴すらも残っていなかった。雫であるがゆえに揮発してしまったのかもしれない。
朝露の潤っているうちに調達せねばなるまい。
瓶を手に我輩はバラ園へと足を運び、至極潤滑にすばやく目的のものを手に入れる。
東の空にはまだ明けの明星が上がったばかりだった。
誰もが起床する前の外界は、まるで気高き孤高の静寂に包まれていた。
朝日がバラ園に差し込み雫にその光をあてては煌びやかに反射した。

なんとも忌々しく似つかわしくない場所であることか。

深く深く眉間に皺を寄せ、我輩は乱暴に薔薇を一輪手折った。
開きかけた花弁から霧の雨が甘やかに散る。
てのひらには当然のように棘に傷つけられ血の雫を滴らせていた。
血の雫ごと打ち捨てて、大輪は馨りだけを残して無残な姿へと変わった。

その日は授業を於いて他には一切自室のドアを開かずに篭り続けた。







ひときわ大きな薔薇の大輪が、一晩開けると惨たらしく散りかけて地面に横たわっていた。
地面には小さな血痕がふたつ、花びらに溶け込むように血はこびりついて。
はそれを優しく手のひらですくいあげてくちづけた。いとおしむように、なぐさめるように。
ときおりかすかな鉄の味がして、はひそやかに眉をひそめた。

「……せんせい?」

一枚だけ口に含んだ赤の花びらを食み、は目を瞑った。
思い出すように頭をよぎったのは優しく触れるあの人。

手にした薔薇を、またあのドアの前へ置いてみよう。そしてそれを見ていようと。そう、思って。



繰り返し繰り返す毎日を過ごしてゆくのであるから、あの人はドアの前のある薔薇を踏み潰したことも気付かないはずなのである。
きっと。









 
2004/10/25  アラナミ