大量消費社会について 買い物は好きではない。 正確に表現すると、買い物をする舞台が嫌いなのだ。 かろうじてノクターン横丁のような、目的のはっきりした人種の集まるような場所ならば、足を運ぶことができる。 しかし、が好むようなショッピングセンターはどうも苦手だ。 香水やら湿った革やら人間の汗と脂の匂いだかが混ざった空間、おおぜいの買い物客でごったがえしている店内を四苦八苦してすすむ。 想像しただけで嫌になる。 しかも、スリに注意して歩かなければいけないので、つねに気をはってなくてはいけない。 雨の日などさらに最悪だ。 自分の傘が人を刺さないか配慮しなくてはいけない上に、他人の持っている濡れた傘の先にまで気をつかわなければならない。 そして”買いたいものを大量の類似商品の中から選びだす”という長い長いクエストが終わると、今度は家に帰らなくてはいけない、地下鉄だ。 我輩は買い物帰りの地下鉄も気にくわない。 イギリスの中心地、マグルという世界の7割を占める人種の住む非魔法的なスペースから、我輩たちの崇高な(すくなくとも多くの人間はそう思っている)、魔法使い達の生活区画へ長い時間をかけて移動しなくてはいけない。 そのためには、いつでも蒸れたような饐えた匂いのこびりついた鉄の乗り物に乗らなくてはいけない。 とくに我輩は電車の中で見かけるハロッズ的なものが好きではない。 深緑と金色の袋を得意げに抱えた観光客が眠たそうに座っていると、もう見るに耐えない。 彼らは”ロンドンに行った”という証明のためだけに小さいマスタードやら小さいチョコレートやらを買いあさる。 何を考えているのかわからないが、同じ物を何個も買い込む。 アメリカ人ですらクリスマスのプレゼントは、それぞれ贈る人へ別々の物を選ぶというのに、それはいったいどういうことなのだろうか? プレゼントを選ぶ価値のない関係の人間に、土産などいらないのではないか。 そんなことは我輩にはまったく関係ないことなのだが、ついそんなことまでぼんやりと考えてしまうのはあまりにも退屈で、暇をもてあましているからである。 だから我輩は彼女が”買いたいものを大量の類似商品の中から選びだす”作業のあいだ、(しかも、はそれが楽しくて仕方がないらしい。迷うことのどこに楽しみがあるというのだ、我輩には理解が出来ない) デパートの中で唯一、(飲食の場をのぞいて)我輩の楽しめる本屋に逃げることにしている。 買い物(無理やりつきあわされているだけだが)の途中で姿を消すことはマナー違反だとは思うが、はフェンディよりはフェンディ・シメ、プラダよりはミュウミュウを買う人種だ。 もちろん彼女は学生であるからそれが当然である。 しかし、高級な店でしか身の回り品を購入しない我輩としては(靴はオーダーメイドのものでないと靴擦れができてしまうし、衣服もオーダー、そうでなければディオール・オム以外のものは肌に合わない)、が試着をしている間の待ち時間がどうにも耐えられない。 それなりの店ならば、連れに飲み物と席くらいはすすめてくれる。 インショップでは待つための場はあるものの、それはほとんどディスプレイのためのソファで、結局ラックや棚に囲まれてしまって落ち着かない。 (とくに、20%オフなどのタグのついたラックをあさる姿など、目を覆いたくなる光景だ。 商品には敬意をはらって、設定された適正の価格で買うべきだ。アメリカの代表、GAPではあるまいし) 最初のころはティールームで暇をつぶすこともしていたのだが、どうやら我輩は茶屋のスペースの中では目立ってしまうらしい。非常にうざったい視線を感じる それにくらべて本屋は非常に安全で安心できるスペースだ。 ただし子供用の絵本や何かのコーナー(テレタビーズの絵本にはなにかベトベトしたものがついている)と、ティーンズ向けの音楽やら服装についての雑誌の棚をのぞけばだが。(立ち読みをすることによって、情報を窃盗している彼らは、セックスとファッションとアクセサリー的なドラッグにしか興味がないように思える) 目の前に広がるマグルの本。 ノンフィクション小説や哲学書などはなかなか楽しめる。 結局マグルの心理も魔法使いの深層も似たようなものだ。 ただ固執しているものと、金儲けの原料が違うだけだ。目的も手段もまったく変わりはない。 児童心理学の書棚の前で足を止める。 教師としては一度、読んでおいても無駄ではないだろうが、そこまで時間を割くほど我輩はこの職業を愛していない。 なりゆきでホグワーツに席をおいているだけだ。 たぶん我輩はいろいろな人間に利用されている。 しかし我輩は本来、主体性のない無責任な人間だから流される浮き草のように、液体のように楽なほうへ流れていくだけだ。 (・・・・・・できれば逆説的な皮肉としてとらえていただきたい。うまく身動きが取れないゆえ、気分だけでも放浪していたいのだ) ちなみにの趣味はマグルの書いたファンタジー小説(おもに剣と魔法の物語、もしくは愛と魔法の物語)を読みながら笑い飛ばすことだ。非常に悪趣味だと我輩は思う。 彼らの理想はそのままほおって置いてやればいい。 (マグルのイギリスの悪いところを凝縮したような)地位と差別と古い慣習に縛られた魔法会の真実の姿を知ったら彼らはさぞ落胆することだろう。 児童文学の棚を通り過ぎたところでそんな考えが頭をよぎる。 小説のコーナーに立ち寄ると、クラシックな小説のフェアをやっているらしい。 そのうちの一冊に目を奪われる。 『狼男の苦悩』 ほとんど無意識に眉根を寄せながら手に取る。 ぱらぱらとめくると、狼男であるがゆえに苦悩する主人公の話らしい。 まったく、タイトルだけであらすじのわかってしまう、うすっぺらな小説だ。 ティムバートンのシザーハンズの焼き直ししたかと思えるような単純なストーリーだ。 映像美のないぶん、小説のほうが不利だな。 そこで我輩はこのフェアが古典小説に焦点をあてたものだと思い出す。 そして心の中で、盗作あつかいしたことを著者にわびた。 狼男の苦悩。再度、苦々しげに頭の中で小説のタイトルを反芻する。 どうやら狼男というマテリアルはドラキュラ、フランケンシュタインとならんでマグルに人気の題材のようだ。 我輩は鼻で笑う。 この作者に本物の”狼男”の生活を見せてやりたい。 獰猛魔法動物に蹂躙された被害者である彼らは魔法省から薬代を税金で工面してもらい、多額の生活補助金を受けとり優遊と生活している。 趣味程度に、ひまつぶしに、とあたえられた仕事を無責任にこなし、月に一度の特別休暇をもらう。 ほとんどの狼男は吟遊詩人のごとく哀れっぽく、満月時の事をかたるが、その話しはかなり脚色されてドラマチックになっていると言っていい。 彼らは魔法省、社会からさらなる庇護をうけようと必死なのだ。 そんな事を考えていると、本屋の入り口のところからは戦利品を抱えてあらわれた。 本棚から薄い一冊の本を抜き出していた我輩を見つけると、すこし怒ったような顔でこちらの方へ歩いてきた。 「やっぱり、ここにいたんですね」 我輩は少し肩をすくめ、彼女の荷物を受け取る、重い。 そして本の会計を済まそうと、レジのほうへ移動した。 彼女は有害な雑誌の棚の前で立ち止まり、一冊ぬきとると我輩の手の中に押し込んだ。 日々、マナーの悪い客になやまされている小売店に対して優良な消費者の我輩としては、すこしでも表紙の折れてしまった商品は買い取らなければならないので(たとえ薄くて安い雑誌でも)、しぶしぶそれも一緒に金を払う。 本の入った手提げのビニール袋を彼女へてわたす。 「先生が好きそうなものを見つけました」 「我輩も君へ本を買った、読むといい」 「ふたりとも、なんの代償もなく買い物できてよかったですね」 はくすりとわらった。 たぶんO・ヘンリー短編集のクリスマスの物語をおもいだしたのだろう。 そのようなことを唐突に引用する彼女のセンスが我輩は嫌いではない。 このあとで我々は、見栄っ張りの人間のふきだまりのようなティーサロンで休憩する。 一人で居ると場違いに感じる場所も、と居るとなぜかしっくりと落ち着く。 (厳密に言うと、やはり我輩は好まない場所なのだか、彼女と居ると、いてやってもいいか、という気分になるのである。) それはたぶんが、ねっからのショッピングピープルだからだろう。 そして今日も上品ぶったハーブサンドウィッチをつまみながら、の今日の探索の結果を自慢されるのだ。 もしかすると”ウォッカの入ったトマトジュース”や”ジンの入ったジンジャエール”を出すような場所に寄るかもしれない。 そのあとの予定はまだわからない。 -------------------------------------- 暇人エッセイスト・スネイプ先生。 トラ 2004/8/3 |