その優しさをすべての人に与えるなら  2







「ふう」
すべて滞りなく終わっていった一週間に、リーマスルーピンは敢闘の息をついた。
初めての授業にしては、なかなかよくできていた――――と思う。
少なくとも教壇から立って生徒を見た限り、期待を裏切るようなことはなかったように見えた。
実際、裏切ってなどいないということは生徒たち自身が証明してれた―――帰り際、楽しかったと口々に笑う生徒を見ればわかる。
「昔から授業というものは、そんなに楽しいものではなかったけど……」
こんな風に学べたら楽しかったであろう、そう思ったことを実施した、それがよかったのかもしれない。
おかげで生徒ともずいぶん親しくなったし、彼らも親しみをこめて笑いかけてくれるようになった。

「先生、次の授業はなにをやるんですか?」「とってもわかりやすかったです」「僕、闇の魔術に対する防衛術は苦手だったんですけど、好きになれそうです」などと廊下で話すこともあったし、聞いたこともあった。この部屋のドアをノックする生徒も少なくない。
ルーピンは時おり冗談を交えて子供たちと話をし、去り際には頭を撫で、チョコレートを与えた。
無邪気で純粋でとても可愛い子供たちはそうするとにっこりと、そうそれは天使のような笑顔を見せてくれるからだ。
手を振って子供たちの背中に注意を促す、「次の授業に遅れないように」とてもありきたりな文句だ。

食堂でも子供たちは落ち着きがなく、くすくす笑いとおしゃべりを繰り返し、昔から変わらず厳格なマクゴナガル先生に見回されている。
隣でセブルスは眉間に皺を寄せた苦々しい――――恐らくあれがデフォルトの無表情なのだろう――――顔をして子供たちを見たり、無視したり、皿の中のオートミールをかきまぜていたりする。
ときどきルーピンが彼をじっと見ていることに気付くと、忌々しげに眉間の皺をさらに深く刻ませて睨みつける。
ひどいね、昔馴染みとしてなにを話そうか考えていただけなのに、といえば貴様と話すことなど何もないと嘆息し、さっさと食堂から引き上げてしまう。
オートミールは大半が皿に残り、ブレッドはほんの一口ちぎられただけなんていう有り様を見ると、彼の肌があんなにも白いわけを聞かずとも知ってしまったような気になってルーピンはやれやれと肩をすくめた。
そんなやりとりを生徒はいったいどんなふうに見ているのだろうか。
目をぱちぱちと瞬きしている子供たちを見て、ルーピンはおかしそうに笑いをお腹の底に押し付けた。

「ごちそうさまです」とルーピンも小さく呟き、テーブルを後にする。次の授業の準備をしなくてはならない―――、「先生」
食堂を出て扉を曲がってすぐに話しかけられる。振り向くと――――確かこの子達はハッフルパフの4年生だ――――女の子が3人ほど連れ立ってもじもじと口を開いたり閉じたりしていた。
「なんだい?」
いつもの笑顔で彼女たちに聞いてみる――――もし昔馴染みの親友が隣にいたならば、わかってるくせに、と嘆息しただろう。
「あの、さっきの授業がお休みだったから、私たち、そのう…」
「お菓子を作ったんです…厨房で」
真ん中に立っていた女の子がすっと手のひらに乗っかったピンクの包みをさし出した。「よかったら食べてください」その子の両サイドにいた女の子ふたりも包みを出した――――ブルーとイエローの包み紙に丁寧にラッピングされている。
「……ありがとう、食べさせてもらうよ」
ルーピンは女の子たちの手のひらから包みを受け取り、にっこりと笑う。向けられた好意をやんわりと包むように、無下になどしないように、努めて優しくふるまった。
女の子たちは嬉しそうに頬を染めてきゃあきゃあ言いながら手を振り、廊下を小走りして去っていった。





日が暮れて宵が来る。今日という日が終わりに近づき明日という日の始まりに近づく。一日一日はとてもゆっくりと、だが確実に時を刻んで過ぎて行く。毎日毎日が違うけれど、積み重なる月日年月に埋もれた日々は、まるですべて同じように楽しく、つまらなく、嬉しく、悲しく、穏やかで、突然であったと錯覚してしまう。
机の上に重なった羊皮紙に赤いインクを滑らせながら、ルーピンは窓の外を見た。この宵の口の空も、昔と変わらぬ色を保っている――――この窓から空を見る自分も、昔のまま変わらないでいるのか。それとも、少しは変わっているのだろうか。自分の昔を知る人はここにあまりにも多く存在するけれど、どうなのだろうか。
この間通りがかったニックに立派になったと言われた。だけど、それは教職についた自分に対する言葉なのか、内面的なものなのか、だたたんに成長したことに対する言葉なのか、それはわからない。
人……と言っても彼はゴーストだが……の思惑など知ることなどできない。だからわからないのだとひとり納得し、ルーピンは昼間貰ったピンクの包みからクッキーを一枚取り出した。
口に含めばやわらかく生地がくずれ、ほのかな甘みが口中に広がった。

「疲れたときには甘いものがいいんだ」
小さくひとりごちてそれからもう一度羽根ペンを持ち、今度はすべて終わらせるまではと意気込んでルーピンは羊皮紙の上にインクを滑らせ始めた。

「ずいぶんおモテになるのねぇ」
からかうような声が上から降った。「、」振り返るとはリーマスのすぐ後ろに立ち手土産を持参して、やっぱりからかうような顔をしていた。
「ノックぐらいして欲しいんだけどな」
「ごめんごめん、つい癖で……それよりお茶の用意しなさいよ、せっかく奮発してきたって言うのに」
ちらちらとリーマスの目の前に金の手提げ袋をちらつかせた。
「ああ、ゴディバ!!」「新任祝いよ、大奮発――――まあどーせすぐにお腹におさまってしまうんでしょうけど」
「そうとも」
ルーピンは上機嫌で杖を振り、カップふたつとヤカンにとっておきの紅茶の葉をテーブルに出した。「相変わらずねえ」はくすくす笑いながらヤカンをあたため始める。杖を振れば一瞬で淹れたての紅茶を出現させることも可能なのに、彼女はそれをしない。紅茶だけはいちからすべて手間をかけて紅茶を入れる。

「まさかまたあんたとこうして紅茶を飲めるとは思ってなかったわ」
「そうだね」
が紅茶の支度をする横でルーピンはチョコレートを包みから開放し、取り分ける。
「懐かしいね」
「やあねぇ、昔のことを懐かしむのは年をとった証拠よ」
昔から変わらないくすくす笑いのは茶葉を丁寧にポットの中へと落としていく。
「年を取ったもなにも、私たちは実際年を取ってしまったじゃないか」
「私はまだ若いつもりよ」
蒸らした紅茶をじれたようにルーピンはカップをつつく――――そう、昔もこうして待っていた。そうしてがこの手をたしなめ、他愛無いおしゃべりを少しして、それからちょうどよく淹れられた紅茶がカップに注がれる。紅茶は香りのわきたち素晴らしくおいしい――――私は昔から彼女が入れた紅茶だけは、砂糖もミルクもなにもいれずにのむ。

「おいしいね」
「それはどういたしまして」
「こっちも」
間を入れずして紅茶の次に手を伸ばしたチョコはもう既にひとつルーピンの口の中にあった。さすがに上等といえるチョコの舌触りにルーピンは幸せそうに微笑む。
「まあ激励と思って味わいなさいよ、これから大変なんだから」
は自分に取り分けられたチョコをひとつだけ口にほおりこみ、あとはすべてルーピンへと皿を寄せた。
口の中でなめらかにほどけていくそれに痺れるような甘さを感じながら、建前で「いいの?」と聞くルーピンにひとつ頷いて見せて。

「アルバスダンブルドアのお膝元とはいえ、誰も彼もが校長先生みたく誰かを信じられる人ではないからね」
ルーピンは苦笑してそれからもうひとつチョコを口の中にほおりこむ。
「セブルスは――――まあ、棘はあるだろうけどあんたならまだ平気かもしれないわね」
「今度お茶にでも誘うかい?」
ここで三人で――――といたずらっ子のようにルーピンは笑う。もちろん冗談だ。笑顔の中に変わりなく子供の頃の無邪気さをいまだ持ち合わす友を見ては少しだけ胸が熱くなるのを感じた。
「まあ、リーマスは優しいから」
はふわりと微笑んでルーピンを見る。


 やさしくしないで


「きっと大丈夫――――って、どうしたのリーマス?」
一瞬意識が飛んだように呆けたルーピンの目の前で手を振ってみせる。一瞬残像のようにセピアの映像が流れた――――昔の。
「あ――――、うん。なんでもないよ」
「疲れてる?だったら早く休んだ方がいいわよ」
「いや、だいじょうぶ。だいじょうぶだ」
まるで言い聞かせるようにルーピンは言い、紅茶に口をつける。「そうだね」
まだどこか納得していないへ向ける言葉だ。
「きっとやっていけると思うよ」

たぶん、ぎこちなく笑ってなんか、いないと思う。きっと。
「そう」
はぽつりと呟き、紅茶を飲み干した。
皿に残ったチョコが少し、滑稽に見えた。








 
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2004/12/8   アラナミ