さよならを言わない 2







繰り返し変わらない毎日に冷めていく自分を感じる。いや、冷めていくと言うよりは虚ろになっていくと言った方が正しい。
私は私であり、彼は彼であるのか。夢を見ているのか、醒めているのか、それとも、生きているのか。

手折った薔薇の棘に指を刺し、一層の紅が流れ伝うのを感じてはじめて今現実にいることを実感した。
私は少しおかしいのかもしれない。
今こうして現実を実感したというにもかかわらず未だ夢を見てるような虚ろな自分の存在を感じ取っている。
もう一度薔薇の花を手折った。手に2本の紅の薔薇。手のひらにいくつもの傷痕。

「ミス!!!」
大きな、驚きの入り混じった、そして咎めるような声だった。
弾かれるように地上に落ち去った2本の薔薇はライラの脚を傷つけて砂にまみれた。
ああ、落ちてしまった。
「……ごめんなさい」思いのほかすらりと口を滑った謝罪の言葉はなにに対してのものだったのだろうか。
美しい薔薇を手折ってしまったこと?咎められたことに対して?それともその薔薇を落として穢してしまったこと?
ぐらり、と身体が揺れる。手首をつかまれて引っ張られるように連れて行かれた。
「謝るくらいなら怪我なんてしないで頂戴!!」
ああ、薔薇の雫を取りに来たマダムポンフリーは、怪我をしたことを咎めたのか。

心に安堵のぬくもりがおとずれた。



手のひらに包帯を巻きつけて現われたライラを見てあの人はひどく狼狽したようだった。
幸いにも私生活に支障はでないと言っても、細かい作業はひどく時間がかかるためにあの人はライラに見学を言い渡した。
もしもライラがスリザリンではなくグリフィンドールだったのならば、いの一番に指名されてあの教卓で薬を作らされていただろうと思うとまたライラの心が冷えた。
ライラは右左とあたりを見回して回り、クラスメイトたちの薬を作る手順を眺めたり口を挟んだりした。
相している間に授業も終わりに近づき、それぞれが出来上がった薬を提出しだすと、あの人はライラに声をかけた。
「今日の薬についてのレポートを1メートル書いて提出せよ」
「……はい、わかりました。……先生」
淡々とした用件を言い伝え、それが終わるとあの人は黒いマントを翻して教卓へと戻っていった。授業終了を告げるチャイムが重く鳴り響く。
生徒は席を立ち、この部屋に唯一あるドアから廊下へとそぞろと出て行った。

「持ってあげようか?」
声をかけてきたのはひとつ前の席に座っていたスリザリンの男だった。ライラはこの男がよく私を見ていたことを知っている。
結構よ、と言おうとする前に彼は机の上から教科書を取り上げ、ドアへ向かって歩き出した。にっこりと好意の笑顔でもってライラを待つ。
ちらり、とライラは後ろを見た。あの人は提出された課題を魔法で転送していた。こちらなどなにも気にかけてなどいない。
ライラは小さく唇を食んで彼に振り返った。「ありがとう」感謝の礼を心から込めた笑顔だ。彼の頬がほんのりと赤く染まる。
今日の授業はこれでもうおしまいだ。「ねぇ、この後時間は空いてる?」「ええ」と答えると彼ははにかみながら「君と話がしたいんだ」と言った。
ライラはにっこりと笑い、「いいわよ」と肯定して彼の後についていった。


「その手、どうしたの?」
禁じられた森を高く見渡せる芝生の広場で私たちは座っていた。左に湖が見え、右には薔薇園へ続く道となっている。
「薔薇を取ろうとしたら、ちょっとね」
小さく苦笑して手のひらをゆっくりと合わせようとすれば、片方の手を優しく取られる。
「きれいな手なのに」とまるで自分が傷つけられたように眉を寄せ、「痛くない?」と彼は聞いた。
ライラは「大丈夫」と答え、マダムに傷によく効く塗り薬を塗ってもらったことを告げると、彼は安心したようにすこしだけ微笑んだ。
ふわり、と温かな風が心に舞い込むような気持ちがわいた。
その気持ちが少しだけくすぐったくって膝を抱いた。

「僕、君の事をずっと見てたんだ」
にっこりと赤くなった頬のままで彼はライラを見た。ライラはそれを視界の真ん中に映していながらも、その端々では黒い影はないかと無意識に探し、そして見つけていた。
「それって、つまり―――」「君が好きだ」
目はしっかりと彼を捉え、覗き込んでいた。意識だけは渡り廊下の向こうから歩いてくるあの人だけに集中させて。

あの人は、今、なにを考えているだろうか。
それとも、なにも考えていないのだろうか。

虚ろな今に魔と色がさした。
ライラはにっこりと微笑み返して「嬉しい」と彼に告げた。
ふたりの唇が重なったそのとき、たしかにあの人はライラを見ていた。







 

2001/10/22 アラナミ