さよならを言わない 3







真夜中の地下の一室では、蝋燭の光に影が淫猥に揺らめいていた。
夜の帳が落ちたなら、それはきっとこの人の時間なのだから、邪魔なんてしないで望むがままにさせてあげればいい。
太陽は月に喰われて姿を見せない夜だから、それでも太陽の恩恵を受けた月が夜を支配している時だから。

「…っ、たい、 痛っ、いたいっ」
痛みに涙を滲ませながら、は今日この部屋に入ってからは痛いという言葉しか言ってないのではないかと錯覚した。
そんなことはない、たしかにはこの人と言葉を交わしたはずだ、はじめのうちは。
だけど艶事に押し入ってからは獣じみた体位に張った手が体重を支えなくてはならないのがいけなかった。
ぬめりもすべりもないままに突き立てられながらも初めてではないがゆえに次第に濡れそぼる淫猥さに少しの羞恥心を覚えた。
体重を支える手のひらは激しい動きに悲鳴を上げ、閉じかけた傷痕は白い包帯を赤く滲ませた。
罰を与えてるとでも言いたいのだろうか。
だとしたらとんだお門違いではないか、とは嘲笑した。

痛い、手が痛い。血が滲む。
その反面痺れるような疼きとオルガスムが繰り返し擦り上げられる膣から溢れ出した。
痛みを訴えているのに、声は高く甘ったるく無機質で静寂な部屋に響き続ける。
意識は朦朧と夢と現を彷徨っている……痛みとオルガスムに気が遠くなりそうだった。

なんなのだろう。
私は一体なんなのだろう。

痛み青ざめ、それにも関わらず膣を押し広げピストン運動を繰り返すそれに嫌悪を抱いた。
疼きは不快感に変わり、オルガスムはこみ上げる吐き気に変わった。

「………の、」

じわりと滲んだ包帯の血が白いシーツにその赤をわけて掠れていた、その上にぽとりと落ちたのは涙なのか、体液なのか、なんなのか。

「……っく、私、……なんなの?……私は、……先生の、………なに?」



シーツについた血のように、この掠れた声はこの人の耳に届いたのでしょうか。
いつも見るあの夢は、ほんのすこしかわって涙を流すが。添えられた手に気がつかないが。
まぶたを閉じたは、この人の瞳に気がつかないから。





優しく頬に触れる手も、知らないから。










変わらぬ日常を繰り返す中で新たにその日常に加わった当たり前は、あの広場で彼と放課後を過ごすことだった。
その日に起きたことや感じたことを話し、笑いあってキスをして手を繋いだ。
とてもとても穏やかな時間であるとは思っていた。
言葉すらなくても風の囁きに微笑み、花の香りに顔を見合す。雰囲気がふたりをかたどっていた。
地下室の冷たい空気のように、無機質な部屋のように、のなにもかもを虚ろにさせるようななにかが……あの人ではないからなのだろうか。
繋いだ手は温かく、熱はわけあうように同等のものだった。決して奪うものでもわけるものでもなかった。

「手、なかなか治らないね」
繋いだ手から手のひらを優しく労わるようになぞり、彼はされに小さく口付けた。包帯を巻かれたままに過ごした日々はこれで1週間になった。
「もうほとんど塞がっているわ。マダムが大事を取ってって」
嘘だった、けれど彼を不安にさせないようにっこりと笑顔を作った。
繰り返し繰り返される痛めつけるためだけの艶事は塞がろうとしている傷から血を滲ませて引き裂いている。
包帯は外れない、多分、きっと。

「包帯が外れたら、ホグズミードに行こうか」
手を繋いで歩こうと、彼は笑った。
私は……うまく笑えただろうか。

包帯は外れない、きっと。
闇色をとかした黒の目が、こちらを睨んでいる。










その日はとみに酷かった。
獣の体位の次は正常位だったが、繋ぎ合わせた冷たい手が傷をかきむしっていった。
この人は一体なにがしたいのだろうか。
この人の一体なんなのだろうか。
痛ましい痛みに顔を顰めながらもは虚ろに白い肌に血が映えるのをうっとりと見つめた。
は自分をおかしいと思った。温かなぬくもりを得た癖に、未だこうしてこの人と愛し合う。背徳を得ながら、彼に笑いかける。

「せんせい……」
ほろりと、無意識に自然に、の口から零れた言葉だった。
すると深淵の静寂が部屋を支配した。無音の世界、ひっきりなしに響いていた水温も、痛みに歪んだ嬌声も、衣擦れの音も、なにも聞こえない。
あの人はぴくりとも微動だにせず手のひらをあわせたままだ。
まるで闇にとけてしまいそうな黒を持ったこの人は、忌々しそうに眉根を寄せて吐き出すようにひとつひとつの言葉を区切ってはつむいだ。

「我輩は、貴様を、生徒などと、思ったことは、ない」




冷たい白い手は、今は優しく合わさっていた。










 

2004/10/23  アラナミ