06 「まったく夜中に人騒がせよねー」 おいで、と呼ばれてそのままついてって、ドアをくぐったところでつぶやいた。まったく、いくらなんでもちょっと時間くらいは考えて欲しい・と、思って「そうよね」と相槌を打ちながら、はあくびをした。ふあ・と抜ける。そしてそれがあかねにうつって、あかねもふあ・とあくびをした。くすくす・と笑う。やっぱり女の子同士、というのもなかなかいいと思う。 「あれ?」 ふいに、なにかの気配が、して。あかねを見れば、住み慣れた自分のテリトリーの異変に早々に気がついていて、すでに視線を巡らせていた。なにかが、……いる?思えば途端、大きく物音が響いて、そして風を切るようにすばやく黒いなにかが飛び出してきた。 「きゃあ!!」 「あかねっ!?」 ばしん、と叩き落される黒いもの。そして黒いものから発せられるぎゃふん・という鳴き声……鳴き声?は暗闇に目を凝らして下を見る。小さい…ぬいぐるみくらいの大きさの黒い塊が、人ではない威嚇の声をあげてこちらを見ている。 「……子ブタだわ…」 「どこから入ったのかしら」 「うーん………おいでー」 疑問はともかくとしても、目の前の黒い子ブタに害はなさそうだった。少し目つきが悪いような気もするが、それも愛嬌と思ってしまえばかわいいものだと思う。は腰を落とし、子ブタに目線を合わせておいで・と、手を伸ばした。じりじりと疑心しながら、それでも黒い子ブタはのてのひらに近づいてきた。ぴた・とふれれば、その身体が濡れていることがわかる。つめたい、と思いながら、は子ブタを胸に抱いた。 「あは、かわいい」 「迷子かしらね。あら…コブができてる」 「ほんとーだ」 薬を塗ってあげましょ・と、あかねはを手招きする。落ち着きなくきょろきょろと視線を巡らせる子ブタを胸に、たちはまた階下へ逆戻りした。けれど「あれ」と、あかねはつぶやいてすたすたと歩みを進める。もそれに続きながら、あかねのつぶやいた「あれ」を、心で繰り返す。階下の先の、少し奥。さっきまでが寝ていたはずの居間は、どうしてだかあかりがついていた。 「先客?」 「まさか」 消し忘れ、ではないと、は確信していた。だっては居間から出てくるとき、明かりはつけてこなかった。気配をころして、息を潜めて、見つからないように――――慎重に玄関まで歩いていったのだ。だからなんだろうと、そおっとそぉっと忍び足で近づいてみたけれど、居間に近づくにつれて聞こえるぶつぶつとした独り言。この声は・と、思い、もあかねも顔を見合わせて、忍び足などやめてつかつかと居間に向かっていった。だってそれは乱馬だった。ぶつぶつ独り言を喋る乱馬の声。こんな時間になにしてるの・と、半ばあきれて入っていった居間では、乱馬がびしょぬれの身体をがしがしと乱暴にタオルで拭いていた――――犬、と一緒に。 「乱馬、どーしたの。そのイヌ」 「お前らこそなんだよ、…ヘンなブタかかえて」 「あ、コラッ!おとなしくしてなさい。乱馬も、ヘンな、とか言わないでちょーだい」 まったく、かわいいじゃない。と、は腕の中の子ブタを撫でた。ヘンといえばこんな夜中に濡れねずみのイヌにぶつぶつ話しかけてる乱馬のほうじゃない・とも思いながら。 「あ、こら」 「おー、オスだ」 乱馬の隣に腰掛けて、あかねが薬を持ってきてくれるのを待っていたら、子ブタはひょいと、乱馬に奪われた。高い高いされるように抱かれた子ブタは憤慨し、乱馬の腕をひっかく始末。はくすくす笑って「嫌われたもんねー」と、乱馬の手の中の子ブタを取り返した。ついでに乱馬の手の中のタオルも奪って、居間にいた濡れねずみ同様の子ブタもごしごしとふいてあげた。 「けっこう痛そうだけど、だいじょーぶかな?」 「東風先生おすすめだから、効くわよ」 チューブからだした軟膏を、あかねは塗擦していく。手を動かしながらも、器用に視線は真ん中にいるイヌに向けたまま。…そういえばどーしてイヌがこにいるんだろーか。いちばん最初にうまくかわされてしまったような気が…しないでもないんだけどな。 「ねー、乱馬。そのイヌ…」 ぱたぱたと尻尾をふる、その姿。…見たことがあるような、ないような。はて、どこで見たんだっけと思考を巡らせば「山田さんちのベス」という言葉があかねの口から聞こえて、なるほどぽん、と手を打って思い出した。山田さんちのベス、か。がこっちに居候してから間もなく習慣となったあかねと一緒に走る朝のロードワークに、必ずといってもいいほど現れるベスを連れた山田さん。大学浪人生、受験中、朝勉強の前のウォーミングアップ・だそうだ。というのも口実で、実はあかねにご執心ゆえに、というのは火を見るよりも明らかだったのだけれど。でもまー、当のあかねは気がついてないというか、山田さんに気がつかせるそぶりがまったくないというか、百年の恋も絶対に叶いそうのない消極的な山田さんなのである。そっかそっかベス…毎日会ってるんだもんねぇ、見覚えがあるわけだわー。あはは、とは笑ってベスを撫でた。こうしてベスを撫でてみたのもはじめてかもしれない。 「ちぇー、バッカみてぇ」 「どこ行くのよ」 「風呂」 良牙のせいで雨の中走りまわされたから・と、乱馬は言った。お風呂、か。私も入ろうかなあ・と、も一緒に立ち上がる。「あんたも入ってくる?」と聞けば、腕の中の子ブタは、くしゅんとくしゃみをすることで返事をした。イエスかノーか、ではない。入らなければ風邪をひいてしまう・と、が判断しただけなのでもあるけれど。 「じゃー3人ではいろっか」 「え、ちょ、ちょっと!!なにいってんの!?」 猛反論したのはあかねと、意外にも腕の中の子ブタだった。なにいってんのって、それはこっちの台詞じゃない・と、はあくまで冷静にひとりと1匹を見た。 「ついでだから私も一緒にはいろーかなって思ったんだけど、ダメなの?」 「ダメなのって…そりゃあ…」 高校生にもなって、兄弟一緒にお風呂なんて入るのかしら・と、あかねは呟く。おねーちゃんとだったら、たまには入るかもしれないけれど、とも。だからは「私は別に気にしないわ」と、言ってみたけれど、あかねはやっぱりどこか釈然としない様子でと乱馬を交互に見た。うーん・と、は心の中で唸ってみる。別に兄弟だし、お互いに特殊な感情はないわけだし、そもそも間にあるのはもともとひとつだったという兄弟愛のようなものなのだ。は乱馬の裸を見てなにも感じないように、乱馬だってなにも感じない。そりゃあ、乱馬とあかねが一緒にお風呂に入る、というのは少し問題があるとは思うけれど――――。 「あんまり…よくないんじゃーないかなあ…」 ぽつりと呟いたあかねの言葉に、はハッとする。もしかして、もしかして・だ。あかねは自分に嫉妬しているんじゃあないだろうかと、そう思って。 そう考えたなら辻褄が合うと、は急になにもかもを納得して、にこやかに笑って「そうだよねぇ」と、言ったのだ。まるで霧がかった場所が急に開けたように、納得した。それはたぶんあかねの思うところとは180度違うところなのだろうけれど。 「ごめん、そうだよねぇ、気がつかなかった!!」 えへへ、と笑ったは、これからはあかねのためにも乱馬と必要以上に仲のいい兄弟というところを見せないようにしなければ・と。私だって、兄弟とはいえ、好きな人の兄弟が好きな人にべったりだったら少なからず嫉妬はすると思うもん。うんうん、と頷くように納得して、ははい・と、機嫌よく乱馬に子ブタを手渡した。いやいや・と、子ブタはかぶりを振って嫌がっているが、いかんせん小動物のわがままなんて、正当な人間の理論には到底かなうはずがなくて。あれよあれよというまにとあかねに送り出されるかたちで、乱馬と子ブタはお風呂場へと向かった。 → 2006/9/19 アラナミ |