07










「さってとー、じゃ乱馬と子ブタちゃんの為にタオルでも用意してあげようかしら」


 いそいそとはバスタオルとスポーツタオルを一枚ずつ用意した。真夜中の居間、日常をすごすそこはまた、昼間とは違った雰囲気であった。静かな夜に雨音だけが響いて、いつもと違う。…新聞紙の上には山田さんちのベスが大人しくももう順応して丸まっているし、今夜突然にも黒い子ブタにも出会ったのだし。


「それとも、乱馬のタオルはあかねが持っていってあげる?」
「なんであたしがっ」
「なんででしょー」


 それは自分の胸のうちに聞いてみてよ・と言えば、素直に胸に手を当てて考えるあかね。それは例えのようなものなのに、本当にやってのけるあかねがなんだかとてもかわいらしく思えたので、はちょっと笑った。ふふ・と、本当にかすかに。けれどそのかすかなものさえあかねは気付いて「なによぅ」と、少しばかり口を尖らせて見たものだから、今度こそは笑ってあかねの唇をますます尖らせた。


「なによ、もう」
「あはは、だって。あかねってば、かわいーんだもの」


 私が男だったらほっとかないわー、とこぼれてもない涙を拭うふり。笑いすぎた、とみせてみる。そうすれば、あかねは驚きと照れと拗ねたような感情みっつが混ざり合った不思議な顔をした。
 けらけらと、笑う。止まらないから、まだ笑う。真夜中の今で、堪えなければ今にも大声で笑い出しそうなのを、ぐっと堪えては細い肩を震わす。もうだめ・と。


「笑いすぎよ」
「あっは、そう…よね。でも、ごめん、だって…」


 ツボにはまってしまったと。は震える肩を逸らし逸らし、縁側に向かう。すぅ・すう・と、ままならない深呼吸をして、けれども数をこなすうちにそれは至極まともな深呼吸に変わっていく。
 あかねはそんなの呼吸が落ち着くのを待って、足元に落としてしまっていたタオルを「はい」と、手渡した。真っ赤な顔と、今度こそ本当に堪えきれず生理的な流した涙。あかねはなかば呆れながらも「早く持っていってあげなよ」と、言ってくれた。その唇はもう、尖ってはいなかった。


 残念、かわいかったのに・と、は思いながら受け取ったタオルを、脱衣所へ届けに居間を後にした。






「良牙、おまえ…」
「!!!」


 我ながら耳聡い・と、は思った。思ったけれどそこに飛び込む勇気はなく、ましてや確証もなく、ならば様子を窺うべし・と、頭は勝手に選択をし、身体は無意識に脱衣所の影に身を潜めた。
 乱馬は気付いていない、こんなに近くにいるのに。けれど、ということは・だ。よっぽど動揺しているんだな・と推測し、は身を潜めるばかりか念のために気配を殺すこともやってのけた。すべては無意識のうちに、けれど意識してしまって尚行動を維持し続けているのは興味本位と野次馬根性が芽生えてしまっているからだった。
 良牙って言った。良牙って聞こえた。まさか乱馬が湯船につかりながら良牙君の名前を呼ぶほどなにかを思いつめてるわけではあるまいし、ましてや名前だけではなく「おまえ」と言ったんだ。そこにいるんじゃないかと考えたほうが妥当だ。だけどどうして良牙君がお風呂場に?一緒に湯船に浸かってる?まさか。


「殺してやる!!」


 あ、良牙君の声だ。ということはまさかのまさかなのか。浴室の中の気配は、決して良好なものではなかったれど、は嬉々として行くべきかを考えた。ふつうに考えたのなら行かない方がいいに決まってる。けれどこの間のこともあってか、いつの間にか良牙とは別れ別れになってしまっていたのだ。だからほんのちょっとくらいならいいじゃないか、というか私は今すぐにでも会いたい・と、は気配を殺すことも忘れて脱衣所でぐるぐる回っていた。


「おまえ、やっぱり呪泉郷に…」


 入ろう・と決起して、浴室に繋がる扉に手をかけたそのとき、の耳に乱馬の声が聞こえた。ぴたり、と動きは止まる。もういちど気配を殺して、耳をそばだてそっと身を潜める。


 おまえ・やっぱり・呪泉郷


 乱馬の言葉がの頭でぐるぐるまわる。呪泉郷という言葉には、にとっては忌々しい思い出しかない。水に濡れればたちまち姿を変えてしまう呪われた身体になってしまった。落ちた泉が泉なだけに、は迂闊に水に触れられない。いくら自制はできるとはいえ、見るものにとってはそれだけで充分恐ろしいし、人の姿から虎――――しかも伝説上の生き物である白虎――――に変わってしまえば、攻撃力もスピードもぐんとあがって思った以上のちからを手にしてしまうし。それに、―――泳げない。
 はふつうの女の子でいたかった。ついてしまった力はともかく、それでもしごくまともに。水に濡れると白虎に、なんてそんなファンタジーな要素はいらなかったんだ。中国語も読めないくせにふらふらとあんなとこ連れて行ったクソ親父が、心底憎い。


 苛々・と、は指を噛む。やっぱり・と、乱馬は言った。乱馬は良牙君を疑っていたのだ、もしかしたら・と。そんなことを思わせる会話のやりとりをしたのかもしれない、ふたりは。
 だとしたら、良牙君はあのあと、乱馬を追いかけて中国に渡った―――ということ?


 考えうつむくの横に、すっと黒い影が立っていた。気がついたとき、それは既に浴室へ続く扉に手をかけていて。


「――――おや、じっ!?」













2006/12/15 アラナミ