08










「はい、いいわよあかね」
「マヌケねー、自分ですっ転ぶなんて」


 ぱたん・と、薬箱がしまわれて、部屋の中にはシップ薬の染み込んだ包帯のにおいがかすかに残った。口をつぐんでむっつりと、あかねはベッドの上に座り、すらりと伸ばした足は痛ましいかな包帯が巻かれている。
 最後の最後、試合の前日を前にして、あかねはドジを踏んでしまった。ドジ・というか、それは転がっていたボールだったのだけれど、でもあんな頭よりデカイボールに気がつかないで踏んでしまうなんてやっぱりボールはボールという形をしたドジだったのである。


「明日の試合、棄権するほかないわねぇ」
「出るわよっ」


 あんな女に負けてたまるもんか、といきがる気持ちはあかねでなくてもよくわかる。けれど大丈夫とばかりにベッドから降りようとした、それだけで痛んでしまう足はやっぱりどうしようもない。痛くて泣いているのか、それとも悔しくて泣いているのか――――どっちだろう。


「あかね、ムリしないほうがいいよ?」


 ひょい・と、はあかねを担いで、そっとベッドの上におろしてあげた。はたから見ればひょい・のそれは、その実にとってはよいしょ・といった方がぴたりと当てはまる擬音だったけれども。
「やっぱり代理を立てるしか……」
「簡単に言わないでよっ!第一、身が軽くてスタイルがよくて、格闘のできる女の子なんて他に――――」
 はっと気がつけば、4つの視線がに集まっていた。黙りこくって痛いほどの沈黙に、痛いほどの視線が突き刺さる。


「えーと…?」
 私?と、は少し首をかしげてまわりを見る。突き刺さんばかりの視線は頷くようにじっとを見続け、そうして無言に言いつづけていた。お前だ・と。
 でぐるぐると考えていた。もしやこれはチャンスではないか・と。甘えていた今までの自分に決着をつけるための、試合――――。試合における戦いはいつだって公平だ。お互いにお互いを見て、勝つか負けるかふたつにひとつ、それだけのために技量力量自らの持ちえるすべてを使って相手としのぎあうのだから。
 それにこのあいだ、ほんの少しでも集中をとぎらせてしまったことをはひどく後悔していたから。


「…………わかった…」


 ぐっと拳を握っては決意する。自分自身のために――――とは決して言わないけれど、心に固く誓って。


「乱馬はあかねのものだって言うことをわからせてあげなきゃね!!」


 なんつって、ちょっと意気込んで乱馬とあかねの顔を赤くさせてみました。でした。てゆーかいつもケンカしている割にはやっぱり結構お互いのことを意識しているんじゃないのよー。ちぇー










「格闘新体操は、素手の攻撃が禁じられている」


 すきま風すさぶ冬の夜に、レオタードをかしこまって道場の真ん中に女あり。それはつい先刻まではあかねであり、ほんの1週間ぐらいまえからずっとあかねであった。が、今はおさげの女がそこに入れ替わり、フープとこん棒をくるくると器用に手の中で遊ばせていた。都合よく人間として現れた良牙を前に・だ。


「試合は明日、今夜中にすべての技術をマスターするには…実践あるのみ!」
「よろしくお願いします」


 ぺこり・と、まわしたこん棒そのままに、はひとつ、お辞儀をする。後ろから「おー」と感嘆の声と、賞賛の拍手が送られながらも、は控えめに笑う。だてに1週間見てたわけではないし、練習に付き合っていたわけでもないのだ。


ちゃんなら、すぐに覚えられると思う」
「ありがとう、でも、つきましては良牙君にお願いがあります」
 する・と、手にしたこん棒をまっすぐ良牙に突きつけて、はまるで決闘を申し込むみたいに真剣な眼差しと口調で願い出た。重たい空気に少なくとも良牙はどうしたことかとたじろいでいたし、後ろの観衆1と2、つまりは乱馬とあかねは息を潜めて様子を見守っていた。すう・と、はひとつ深呼吸して、良牙を見る。今までこんなに真剣に良牙をみることはなかったと、は思う。きりりと真剣な顔をした良牙は、(真剣な顔をした)乱馬に負けじ劣らず―――むしろ乱馬よりかっこいいとは思っている。ぎゅう・と、胸が苦しくなって、心臓はドキドキバクバク音を立てはじめたの顔は、さっきよりもいささか温度が上がって火照ってきた。どうしよう・と、突きつけてたはずのこん棒は、いつの間にか胸に抱くような形となり、真摯に見つめる眼差しはたぶん、切なげになった。


「――――良牙君が好きです」


 ずこ


 なにか硬いものが床に当たる音が、ひとつふたつみっつ。なんての頭は冷静に考えていたけれど、本当はそんなどうでもいいことを思わず考えてしまうほどには混乱していたのだった。みるみるうちにの顔は沸騰し、ますます動悸は激しくなる。そうか、好きな人にこうして好きだということは、すごくすごいことだったんだな・と、感心すらして。


「私が勝ったら、良牙君の気持ちを教えてね」
 言うなりは駆け出した。真剣に練習に励む気持ち2割、照れ隠しが8割の不埒な理由だったけれど。













2007/2/16 アラナミ