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 甲高く試合終了のゴングが鳴った。一瞬静まり返った体育館に、再びあふれんばかりの大歓声が沸いた。


「早乙女!!!」


 精も根も尽き果てて、ぐったり伸びきる寸前のを捕まえて、レフェリーはその手を高く勝利の宣言をそこにさせた。






「…完敗ですわ」
 ほろり・と、涙すら零して小太刀が負けを宣言する。求めて手にした勝利だが、いざ相手のそんな姿を見ると、やはりも胸が痛くなる。
「お約束どおり、今までの乱馬さまへの想いは、すっぱりあきらめます」
「小太刀…」
 あんまりほろほろと小太刀が泣くものだから、は少し小太刀がかわいそうに思えた。だけれど乱馬は小太刀を受け入れるつもりはなかったし、乱馬には既にあかねがいたのだ。ツキツキと胸は痛むけれど、しょうがない。


 て、ゆうか。自分のことをに押し付けた乱馬こそ、その痛みを知るべきだ・とも思う。腑に落ちない―――と、はやけにすっきりしたおももちの乱馬を見る。










「小太刀は明日から――――、新しい乱馬さまの想いに燃えますっ!!」
 乱馬さま!!と叫ぶ小太刀の姿に、さきほどまでのすっきりした顔はどこへ行ったか、まるで燃え尽きたかのように崩れ落ちる乱馬の姿を見て、はほくそえんだ。
 まーべつに、恋する女としては、小太刀の前向きさは悪いもんじゃないような気がした。粘着質でたちが悪いところは同意しかねるけれど。


「あー、つかれたつかれたー」
 コキコキ肩ならししたは、リボンに巻き取られリング外に転がったままの子ブタを拾い上げて控え室に戻った。いつもいつも危ないところから守ってくれる、の王子様・なんだ。






















「ぅうー…………ん、」
 ぐったり・と、うなされるような重い声で良牙は起き上がった。チカチカ目の奥で星は飛んでいたし、いまいち状況がよくつかめていなかった。白い天井に蛍光灯、窓があってイスもある。ロッカー、テーブル、金魚の水槽―――。


「良牙君、気がついた?」
 近づいた声に反応して、良牙の意識は完全に覚醒した。みるみるうち甦る、気絶する直前のまでのこと―――だけれどおかしなことに良牙はブタではなかったし、人の姿で、でもちゃんと服を着ていた。空白の記憶に頭がパニックになりかけそうになるけれど、近づいたその声が誰かなんて良牙はわかってしまっていたのでつとめて冷静に振る舞おうとした。
「えーと……オレ、一体…」
 ひんやり、嫌な汗が良牙の背筋を伝っていった。秘密を持っているということは、とても恐ろしく嫌なことだった。ばれてしまうことが怖いわけではない。ウソをついていたということを、に知られることがとても怖いのだから。


「………なんか、私の投げた道具があたっちゃったんだって?乱馬がね、休ませてやれって、良牙君を連れてきたのよ」
 いささか説明口調だったろうか、とはおもったけれど、明らかに安心した顔つきになった良牙に、やっぱりこれでよかったのだと、あらためておもった。
「大丈夫だった?」
 赤くなってるよ・と、備え付けの救急箱から消毒液を取り出した。すりむいていないとはいえ、かなり強くあたっていたはずなのだから、やはりひりひりといたんでいるはずだろう。
「じっとしてて。ね?」
「う、うん……」
 取り出した綿に消毒液を染み込ませて、は良牙の顔の赤くなったところにちょんちょんと押し当てていった。ときおりしみるのか、良牙は眉を寄せて顔をしかめた。暗くて手元がよく見えない―――、起きると悪いから・とおもって、日が沈んであたりが夕焼けいろになっても、電気をつけなかったのがいけなかったのかもしれない。もう、本当は良牙の顔のどこが赤くなっているかなんて、よくわからなかった。


「………でんき、つけよっか?」
 へら・と、は笑った。手元が暗くて危ないから、どこが怪我してるのかよくわからないから。理由をつけて立ち上がった。そうしてほんのちょっと、離れて心臓を落ち着けさせたかった・というのも本当。


、ちゃん……」


 くい・と、制服の裾を引っ張られて、呼び止められる。なあに・と、振り向こうか。振り向けば。けれど昨日の夜のやりとりが、自信が良牙に対して言った言葉が、木霊のようにぐるぐるまわっての心臓に今まで以上の拍車をかけた。あ、だめだ。まともに今、良牙の顔を見てしまったら、みっともない顔を、しそうで。


ちゃん」
「…………」
 呼ばれて、引き止められて、でもは振り返ることが出来ずにいた。恥ずかしい、死ぬほど恥ずかしい、けれど電気をつけてなくてよかった、夕暮れどきでよかった。
「…、ちゃん」
 そっと伸びた良牙の手が、の指先に触れて捕まえた。こっちをむけ・と、言葉なくとも強く求められているようだった。じわじわ、じわじわと、良牙はをひきよせて、傍へと近づける―――はただかたくなに、その顔だけはそらしていたけれど。


 ふう・と、溜め息のつく声が聞こえて、はひどく動揺した。「ちゃん」と、痺れを切らしたように名前を呼ばれて、そうかと思えば視界は大きく揺らいでさらにを動転させた。気がつけば、は良牙の腕の中、抱き込まれて表情を窺われている。
「な、な、な、なに?」
 大きくどもって目をそらす。一瞬あった良牙の目はとても優しく、やわらかくを見ていた…ようなきがする。
「好きだよ…今も昔も、ずっと、きみが」
 たぶんは、ぼん・と音を立てても不思議じゃないくらい、真っ赤になった。あんまりすごかったから、心臓も破裂しそうでどうしようもなくて、しまいには涙すら滲んでしまった。
 けれどぐるぐる思考はめぐり、真っ赤になって上がった体温やらいろいろなものを感じながら、ふと目の前の良牙もまた、同じように目を潤ませていることを知ってしまった。
 そうすると不思議なもので、はまるで自分の嬉しさと、良牙の気持ちを受け取って、許容範囲を超えた気持ちはもうざあざあと溢れていくばかりだったのだ。涙として。




 さめざめ泣いた。嬉しくて泣いた。良牙はそれをぬぐって、時折小さくキスをして、が泣き止むまでずっと、そうしていてくれたのだった。










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2007/4/12 アラナミ