07










「きみ…大丈夫?」
「さ…三千院帝…」
 語りかけるように優しく声をかけて乱馬を抱き上げたのは、先日乱馬自身が挑戦状をたたきつけた三千院帝だった。助かった。いけ好かない野郎だが、たしかに助かったのは事実だ。思いっきり後ろに滑っていく、しかもそれは自分の意思ではないのだから、恐怖はひとしおだった。いけ好かないとはいえ正直ほっとしたのは事実だ。やっぱり女の姿で滑ってて良かった・と、乱馬は思う。
「え?会ったことあったっけ?おかしいな、きみみたいなかわいい子、一度会ったら忘れるはずないんだけど」
 そりゃーおめーがあかねしか見てなかったんじゃねーのか。とも思うが、別にそこはどうでもいい。むしろに気付いてくれなくてよかったと乱馬は思うので、そして今こうしての姿そっくりの女の姿で三千院に出会ってしまったことを、乱馬は今更ながらに激しく後悔するのだ。やっぱりどんなにかっこ悪くっても、自分の姿のままで滑ってりゃーよかった・と。


「ナンパは後からゆっくりあそばせ。百人組手のお時間ですわよ」
「百人組手?スケートの訓練で…?」
 ふと気が付けば、不穏な空気の真っ只中。多勢に囲まれたその真ん中に白鳥あずさと三千院帝、そして三千院にいまだ抱きかかえられたままの乱馬と、さっきまで白鳥にちょっかい出されてたあかねがいた。
「君たちちょっとどいてて。ケガするといけないから」
 アイスホッケーのいでたちをした多勢の―――たぶんこれから三千院と白鳥の組手を行うと思われる―――人たちの登場は、他の客たちもざわざわと窺うように覗き込んでいる。危ないから・と、リンクの隅に追いやられた乱馬とあかねもまた、窺うように状況を見ていた。


「百人組手、開始!!」


 開始の合図を皮切りに、滑り出し向かっていく百対1ペア。スケートの優雅さを寸分たりとも損なわないなめらかな動き、けれども圧倒的な力をものを言わせる、それはまさに組手だった。わずかな1点を中心に、ぐるりと円を書くように技を繰り出し相手を叩きのめすこと、わずか9秒。9秒で100人もの猛者を地に伏したのだ。そのわりには、ずいぶんと余裕な顔して立っていやがるが。
「うーむ、さすがはフリースケート格闘部門の黄金ペアだ」
「格闘部門?ってことは今度の試合は格闘スケートかっ」
 きらり・と、乱馬の顔に光が宿る。正直おキレイな技や美術点を稼ぐような試合は、肌には会わないと思っていた――――だが、そこに格闘という名が付くのなら、話は変わる。
「勝てるっ、格闘と名がついたら勝てるぜっ!!」
「うんうん、あとはすべれるよーになるだけね」
 へっぴり腰でも勝機は見えたのだ、乱馬は俄然やる気になって足に力を入れる。だから力むなっつーのに、という声が聞こえてきそうだが、乱馬はそんなことわからないのでしょうがない。


「僕がスケートを教えてあげる」
「はあ?」
 へっぴり腰に力は入らないので、乱馬の反射神経はいつもより半歩遅れて立っている。ひょい・と、されるがままに抱かれて踊るように手を引かれている。もう教える気まんまんなのかよ・と、毒づきながら乱馬の短気な頭はさっさと沸点を越え、その口からは文句が滑り出た。
「よけいなお世話だっ、離しやがれ!!」
「そお、残念だな。それじゃせめて、さっき助けたお礼をしてよ」
 ふわり・と、乱馬の身体が倒れていく。ふんわり感じる浮遊感に、呆気にとられていた――――だから、きっと、避けられなかった。


 ガヅンと、乱馬の頭は鈍器で殴られたかのようなショックを受けた。それと一緒に、ガヅンとなにかが落ちて氷のリンクを傷付けたような・音も。





















「ありがとうございましたー」
 ひらひら・と、手すらふって見送ってくれた店員のおねーさんはとてもいい人だった。スケートでスカートが破れてしまったのだといえば、動きやすくて可愛いショートパンツを何点かみつくろってに見せてくれた。ちょっとのつもりがけっこうな時間…になってしまったんだけれど。でもそこはまあいいとしよう、シンプルに見えるが作りは可愛い。いい買い物をした・と、思いながらは元来た道を駆けて待ち合わせ場所へと急いだ。
「良牙君、まだ来てないよねっ、……ん?」
 全速力で走りながら、目的の建物を目で捉えたは、それと同時に建物内から走り出してくる人影も目で捉えた。まったく自分と同一の影――――けれど服だけが違う。
(ということは、乱馬か)
 一瞬ガラスに映った自分じゃあないかと思ったのだ、あのスケートリンクがある建物の扉は、ガラスで出来ているから。
「らん……ぎゃんっ!!」
「わあああああ〜ん!!」
 再びガラス扉の前にては盛大にしりもちをついてしまった。しかも、またして乱馬が原因となって。ひくり・と、顔が引きつるのをどうしてとめることが出来ようか。
「ちょっと、乱馬ぁ!!!!」
 叫べどしかし、乱馬はの姿は既に遠くてもう見えない。わああんって、泣いてたのだろうか?あの乱馬が?一体誰に泣かされたっていうのだろうか。はほこりを叩いて立ち上がる。そしてまた、再び破いてはいなかろうかとショートパンツを入念にチェックして―――よし、今度は大丈夫。
 気を取り直しては、乱馬が走り出してきた扉をくぐってスケートリンクへと顔を出した。


「ねー、なんか今…」
 乱馬が走って出てきたんだけど・と、は言おうとしたが、それは言葉としてつむがれることはなかった。の目に入ったのは、いつものように騒然としながらも楽しそうに遊んでいる人たち―――間にいかついアイスホッケーっぽい感じのしかもなんだかちょっと疲れてるっぽい人たち―――あかね―――と、白鳥―――と三千院―――と。
 良牙・が、顔面蒼白した顔で、ぼろぼろと涙を零しながら足元にスケートシューズを転がしたまま突っ立ている姿・だ。


「りょ、良牙君?」
 待ち合わせ場所にいなかったから、もしかしてショック受けてる?と、慌てては駆け寄った。少しばかり空ろになったままの良牙の顔を、は気付けのつもりでぺちぺちと叩いた―――それにしても、これはあんまりにショックを受けすぎだろうとも思うのだが。
、ちゃん…」
 ぼろぼろ涙は溢れたままで、でもやっと良牙はを見た。見た…のだけれど、零れる涙はとめどなくまだ流れっぱなしだ。
「りょーがくん…」
 はつま先立って背伸びして、流れてやまない良牙の涙をごしごしと、その服の袖口で拭いてあげた。吸水性のいい綿100のパーカーはぐんぐん涙を吸ったが、それでもあとからあとからやまないのだ。はし・と、その涙を拭う手を取って、良牙はそれをやめさせる。今度はちゃんと、自分を涙を拭って精一杯流れる涙を止めようと努力した。
ちゃん…」
 泣いていたせいだろうか、良牙の声は少し熱っぽい。ぐず・と、崩れそうになる顔を必死で抑えて、真剣にを見ている。ふわり・と、の身体が宙に浮いた――――抱き寄せられるように、強く抱かれているのだ。爪先立ちになるくらい強く勢いのまま抱き寄せられて、ぎゅう・と、その腕の中に抱き込まれた。ぽす・と、項垂れるみたくの肩口に顔をうずめているから、表情は窺えなかったけれど、たぶんさっき、に見せていた表情よりもっと真剣で沈痛なものだろうと思う。だからはそっと手を伸ばし、ぎゅう・と抱きしめ返し、それから慰めるように背中を撫でた。









 


2007/5/25 アラナミ