08










「ああ、キスだけで嬉し泣きさせてしまうなんて、我ながら罪だったな…」
「キス?」


 ぎゅう・と抱きしめて離さない良牙の肩越しの、リンクに佇む三千院はさもキザっぽそうに髪をかきあげながら得意げに笑っていた。キス?と、思わず聞こえた言葉の、たぶん主要的な名詞を口にすれば、なるほどたしかにキーワードだったのだ、を抱きしめる良牙の腕にピクリと一瞬力が入り、そしてその言葉に反応したギャラリー及びあかね白鳥三千院はこぞってを見遣り、三千院にいたっては、見事なスケートさばきでのところまでわざわざ滑ってきてくれた。


「そうだよ純情なおさげの君…って、ちょっと君。僕と彼女の邪魔をしないでくれるかな」
 僕と彼女って…と、は思う。そもそも一度会っただけのこの三千院―――しかも会ったというよりは見たと言ったほうが正しいかもしれない邂逅―――と、そして今日、まさに今はじめて話しかけられた人に僕と彼女の邪魔をって、なんだ。ちょっとあつかましいんじゃないか。まあ考えても見ればついさっき入れ替わりで泣いて走って出てきた乱馬が関係なくもないんだろうけど、でもこーゆー人違いはわかっていても腹立たしいものだから、良心的にはなれない。近づく三千院から隠すように壁になった良牙がそうしたいのなら・と、はされるがままで、その良牙の影に隠れたままでいようと思う。
 キス、キス・ねえ。抱きしめられて、抱えられ、そして三千院の目から隠すようにされているはもはやまるきり行動を良牙に委ねてしまっていたから考えることだけに集中できた。なんとなく、真剣に推理しなくてもだいたいはわかってしまうというか、辿りついてしまう答えなのだけども―――。泣いて走って出てきた乱馬、三千院帝、ショックを受けた様子で泣いていた良牙、そしてキーワードはキス。


 どうせ、たぶん、おおかた――――三千院が女の乱馬にキスをして、それを見た良牙がと三千院がキスをしているように見えて、つまり女の乱馬はの姿なわけなのだから、まためんどくさい誤解が生じたんだろう、きっと。
 はあ・と、は溜め息をつく。三千院からを隠して逃れさせようとしてくれてる良牙に、三千院の声が追いかけている。


「良牙君!!!」


 強く名前を呼べば、びくりと一瞬身体を弛緩させた良牙は、なんとも弱々しい表情でを見た―――しかも、視線はあわず、うろうろとのまわりをただよわせていた。おびえているのか、愛想をさかされるかもしれないと思って?の心はツキンと痛んだ。こんなにも溢れるくらい、は良牙のことが好きなのに、それが伝わっていないなんて・と。


「良牙君、ちゃんと私を見て!!ねえなにを見たのか知らないけど、それは本当に私だった?」
「き、君だよ、ちゃん・だ…あれは、たしかに……きみの」
 良牙の言葉はそこで途切れて続かなかった。言葉にならないうめきが、ぼろぼろと涙と一緒に零れて落ちる。ああ、もう・と、はぽんぽんと、良牙の頭を撫で、涙を拭い、背中をさすってこつんと額と額をくっつけてみた。うろたいがちに漂う目は、まだをまっすぐには見てくれない。
「ねえ、もういちど聞くよ?それは本当に私だった?今さっき、私は乱馬とすれ違ったの。すれ違ってここに来たの」
「…………きみ、だっ」
 つい・と、は良牙のくちびるに人差し指を当てて言葉を止めた。かたくなになる良牙の言葉だ、けれどそれを目をそらしたまま言うなんて、許せない。
「私の目を見て、ねぇ。ずっと昔から私たちと一緒にいた良牙君だもん、分かるはずだよ。良牙君が見たのは、私だった?乱馬だった?」
「…………」
 うろたいがちな沈黙が重なって、しばらくの間逡巡するように、良牙は黙ったままでいた。けれど、
、ちゃん………の姿をした、らんま…だった」
「うん」
 にっこり・と、は笑った。いまやまっすぐにのひとみのなかを見ている良牙に、また頭を撫で、止まりかけた涙を拭い、その両頬にそっと手を添えた。
「そうだね、私の姿だったから、びっくりしちゃったんだね。でもだいじょうぶ、私はだいじょうぶだよ」
 と額をあわせている良牙は、もう涙を流してはいなかった。ただ少し潤んだ目で、今は嬉しそうにと視線を交わしていた。
「あ、あの、、ちゃん」
「なあにー?」
「えと、そのっ、キ、キキキ、キス、しても…、いいっ、かなっ」
 リトマス試験紙…と、ふとは思った。さっきまでは蒼白していたというのに、打って変わって今は顔を真っ赤に染め上げている。ちらちらとこちらを見る視線は1秒以上重ならないくせに、何度となく交わった。あ、伝染する・と、は思った。けれど思ったときにはもう遅かった。あっという間にの顔も真っ赤に染め上がって、やっぱり同じように俯いてちらちらと視線を交わらせる。
「………いいよ」
 よくないわけがない、いいに決まっている。ほ・と、安堵の表情をして、今度こそまっすぐと視線を1秒以上重ねた良牙に向かって、ちゅ・と、は軽くくちびるを押し付けた。









 


2007/5/26 アラナミ