13 「あれ、君は……」 そっと伸びた三千院の手に、かけていた黒縁メガネを取り除かれる。そうだ、変装の足しにでもなればと思っては度なしのメガネをかけていたのだった。 「君は、うちの生徒だったの?」 「まさか!!!」 後ろから上がったのは、今は高く変声した乱馬の声だった。振り向いた三千院は目を瞬く。姿かたちも瓜二つのと乱馬が、そこにいるのだから。 「僕のくちづけを素直受けて…嬉し泣いて去ってしまったのはどっちかな?」 「デタラメぬかすな!!!」 「君か、また会えて嬉しいよ」 ぽかんと口を開けたままは乱馬と三千院を見た。傍から見れば一種の漫才かなにかと思えるやりとりだった。しりもちをついたままじっと見ていると、じゃかじゃかと氷の上を歩くには少し乱暴な音をさせて良牙が近づいてきた。 「ちゃん、どうしてここに?」 「えーと、」 さし伸ばされた手に手を重ねれば、ふわりと引き寄せられ、その腕の中に抱かれた。思わず飛び込んじゃったけれど、そのあとのことはなにも考えていなかった。と、今更ながらは思った。 「いきなり現れた君にも見覚えがあるなあ」 王子様気取りなのかい・と、三千院は良牙を見た。さも自分が王子そのものだとでも言わんばかりの態度にムッとしたのはだった。乱馬と同じで頭に血がのぼりやすく、そして反射的に出る口は、それはそれは早いものだった。 「良牙君は、正真正銘、私の王子様よ!!!」 勢いついでに顔を顰め、は舌を出して三千院を睨みつけた。それに目を瞬かせ、面食らったようになったが、三千院はすぐに笑みを零して「おもしろい」との顔を覗き込んだ。瞬間、引っぱたくために飛び出たの腕は、タイミングよくスス・と後ろに避けられ当たらなかったが、けれどおかげで少しとはいえ距離を作ることは出来た。 「天道あかねといい、君といい……」 ぼくは本当は、女の子を追いかけたりするタイプではないんだけどな・と、やや誇らしげに……見ようによっては悦に浸っている感が強く、三千院はひとりごちた。 「けれど、頑なにひとりの者を思う女の子の心を奪うのも、いい!!!」 どーん・と、三千院の後ろに崖と高波を煽る大波と波飛沫が見えたような気がしたのは、気のせいではないはずだ。日本人離れしたその端麗な容姿には似つかわしくなかったが、だが心意気というか、思い込んだ気迫というようなものはたしかに強く感じられた――――正直感じたくもなかったが。きゃあ・と、客席から女の子たちの黄色い声が溢れんばかりにごった返す。奪って奪って・と、まるで今にも歌いだすかのように騒ぎ始めた声に、は反対にゲンナリとした。冗談じゃない。 「とにかく!!!、おめーも大人しく見学していろ!!!」 「そういうお前こそ、乱馬。お前は身体中がったがたなんだから、大人しくし・て・ろ!!!」 語尾を強く力を込め、良牙は乱馬の身体にヘッドロックをかけた。ばきぼきと、乱馬の身体からははあり得ない擬音が上がり、そしてその口からはぎにゃあ・だなんて声にならない悲鳴だ。 「ちょっと、」 あんまり酷いことしないで・という声は言葉にならない。ふわ・と、の身体が浮いて、それが三千院によって良牙とも乱馬とも引き離されせいだとわかる。「あ、」「きさま!!」後ろから良牙と乱馬が気付き声を上げるが、逃れるようにリンクを滑り始めた三千院のせいで遠くなるばかりだ。そればかりではない、我に返った・とでも言うのだろうか、観客席からいっせいにブーイングがかかる。ペアが入れ替わったこと、そして乱入したようにいるに対する抗議だとでも言うのか。 「女の子のコスチュームが色っぽくない!!!!」 そんなことか!!!!は頭の中でつっこんだ。目先の欲が満たされれば特にペアが入れ替わってもいいというのか。けれど観客席からの野次の中に、突然乱入したに対しての野次も少なからずあったのを、は聞き取ってしまった。半分以上がこうして三千院に接触を持ったことに対するやっかみなんだろうが、このままはいじゃあサヨナラ・なんてことできなさそうだ。それができたら一番よかったんだろうけど。 「君をこのまま観客席に返してあげたいのはやまやまなんだけど」 ふう・と、溜め息をついた三千院の後ろで、良牙と乱馬がコルホーズ学園の生徒に小さな箱―――更衣室とかかれている―――に連れ込まれているのが見えた。衣装替えをしているのだろうか、それにしても乱馬のほうはやけに騒がしい…たぶん嫌がっているんだろうな。 「こうして飛び込んだ以上その責任はとってもらうよ」 びくり・と、の身体は強張った。強くまっすぐを見る三千院の目は、まるで責めているようだったからだ。身構えて、なにをされるかと息を潜める。 「……そんなに緊張しなくても、とって食おうっわけじゃないんだから」 打って変わって今度は柔らかい笑み・だなんて、ますます警戒ずるばかりじゃないかと、は思う。はやく、良牙君助けて。けれどまだ小さな箱から良牙どころか乱馬すら出てきていない。 「君は勝敗のシンボルとなってもらおうかな」 そう言って、連れてこられたのは観客席の一番前、司会者が座るその席よりもひとつ前にあるトロフィー台。 「あいつはブタを賭けていたが、そんなものぼくはちっとも面白くない!!!」 あいつとは、白鳥あずさのことだ。そっと三千院はをトロフィー台の横に座らせ、そしてその手にトロフィーを持たせた。の前に広がる広い氷のリンクだ。白鳥がぽつんと真ん中に立ってこちらを窺い、そしての手前に三千院がいる。箱から開放された良牙と乱馬がこちらに気付き、そして駆け出してきている。 「この勝負を征したものが、君のくちびるを頂く!!!」 三千院が大きく宣言すると、観客席から驚くくらいの歓声が沸きあがった。司会も、会場も、みんな熱く大きく盛り上がった―――それに真っ青な顔をしたのは良牙で、そして真っ赤に激昂したのは乱馬だった。てめー、ふざけんな。そんなことは認めねぇ。歓声に消されるようにかすれる言葉をは聞いた。けれどこうまで言って、こうまで宣言して、そしてこの会場の盛り上がりようだ。決定打は責任を取って・だ。いいよね?と、許可を求めるように三千院はに聞いたが、けれどそれは結局形式的なものでしかないと思う。だって今更だ、には拒否権なんてないんだろう。重くは溜め息をつく。 「わかったわよ……」 「な、お前、なんでっ…!!!?」 やっとたどり着いた乱馬が、責めるようにを見た。なんでって―――、 「ぜんぶ、乱馬のせいよっ!!!」 先の事故をは忘れてはいない。乱馬を、生まれたときから一緒だった乱馬を失うかと思った痛みだ。たとえ今こうして元気でいてくれたとしても・だ。 「、ちゃ…」 「良牙君、絶対勝ってね!!!」 信じてるから・と、は強く良牙の手を握った。 → 2007/6/2 アラナミ |