02










「…………なんか最近妙な視線を感じる気がするのよねー」
「はあ?」
 おもむろに口火を切ったはあたりを伺うが、その気配はつかみ所がなく希薄だ。天道家の居間でお茶を啜っていたはなんとなく気持ちが悪くて、隣りに座っていた乱馬へ愚痴を零した。
「九能センパイじゃねーの?」
「いーやー、先輩の気配はもっとはっきりしていてねちっこいからすぐ分かるの。でもなんか最近感じるのはいるんだかいないんだかわからないよーな…でも絶対にいる!…幽霊か!みたいな感じ」
「なによそれ」
 くすくす笑ったあかねはの気のせいだと信じて疑わない。自身あまりにつかみ所がなさ過ぎて、今日は学校帰りに日暮神社の神主さんに相談しに行ったくらいだ。心霊的ななにかはないときっぱり言ってくれたおかげで未知の恐ろしいものへの恐怖はなくなったが、気持ち悪いったら気持ち悪い。つまりあれだ、この希薄な気配は人のものだと言うことなんだ、多分。


「なんだかなー」
 気味悪いんだか、わからなくて苛々するのやら、の顔はもどかしさに歪む。
「あはは、変な顔ー」
「あかねこそ」
 気楽に笑ったあかねにちょっとだけ腹を立てたは手を伸ばし、あかねのほっぺたを掴んで左右に引っ張った。なにすんのよ、と沸きあがる声はそれでもどこか楽しそうでつられても声をあげて笑った。庭に面した廊下で将棋をさしている早雲が「賑やかでいいねぇ」なんて、嬉しそうにしている。


「……いるんだかいないんだか分かんねーよーなって、あれじゃねえの?」
 ふと思い至ったかのように、乱馬はぽんと手を打ち居間を飛び出した。軽い身のこなしであっという間に池の横に植えられている松の木に飛び乗っていく。
「よぉ、五寸釘」
 こいつこいつ、と指で示す松の木の下には学生服を着込んだ暮らそうな男子学生がひとり、藁人形と五寸釘と金槌を手にしていた。丑の刻参りには早すぎる時間帯だったが、思わずぞっとしてしまうような陰気さには眉を顰めた。
「え、誰?」
「五寸釘君じゃない、なにしてんの?」
 立ち上がって廊下に出たあかねはこの学生を知っている様子で、また乱馬も同じくして顔見知りのようだった。会ったことあるのかな、なんて記憶を思い起こそうとしてみるけれど、いくら考えてもの記憶の中には存在しない……ような気がする。


「だから、誰なの?」
「なに言ってんの、クラスメイトの五寸釘君よ」
「あんな人いたっけ?」
 本人を目の前にして失礼極まりなかったが、五寸釘にはの言葉が耳に入っていないらしい。あかねと喋っていた五寸釘は今、感極まりないといった雰囲気を醸し出していた。なんだ、あかねのことが好きなのね、こいつ。


「こいつ、存在感ないからさー」
 悪びれなく言う乱馬に、ふうん・と、は五寸釘を見る。確かに、このいるんだかいないんだか分からないような希薄な気配は五寸釘のものだと思うとしっくりくるような気がする。
「で、そのクラスメイトの五寸釘君は、どーしてここ一週間もの間ストーカーじみたことをしていたの?」
「ストーカー……そんな…」
 うろたえて真っ青になるでもなく、表情はないままの顔にますます希薄な気配を思い起こし、は眉根を吊り上げて五寸釘を見た。ようやく少しうろたえた五寸釘は顔から汗を流した。
「俺の弱点探してんだよ、こいつ」
「弱点〜〜〜?」
 更に眉をつり上がらせたは軽く鼻で息を吐き出し、そっぽを向いた。それでか・と、合点のいった気配や視線にはある意味呆れてしまった。最初はあかねを見ていて、それで最近は弱点探しのために乱馬やをべったり観察していたというわけなんだろう。だけどにしてみれば弱点だなんてそんな卑怯な・とも思うし、それになにより、ここ最近の平穏をぶち壊しにされたことがなによりも腹立たしかった。


「くっだらない、バッカみたい。乱馬にも、私にも、弱点なんかないわよ」
 中指おっ立てて空に唾を吐く勢いできっぱり言い切ったは踵を返す。居間へと戻ろうとするの背中を、あかねは追いかけてきた。
「本当に怖いものなんてないの?この間乱馬学校で倒れてたんだけど…」
 知ってるよね・と、あかねの言葉は続く。知ってる、知っていますとも。近くにいなくてよかったと、あの時ばかりは思ったけれど。
 はにっこり笑って「ない」と言い切った。まだなにか言いたげに視線を寄越すあかねに気付いてはいたが、はそれを知らないふりし、足元に寄って来たPちゃんを抱き上げ使わせて貰っている客間へと入っていった。ふすまを静かに閉じ、は大きく深呼吸する。


「にゃ〜ご」
「ぎーーーえーーー!」


 背後から聞こえた擬音に思わずは叫び声を上げ、抱えていたはずのPちゃんを放り投げてしまった。半ば涙目となったは激しく動悸を逸らせながら、恐る恐る背後を振り返る。きれいに円を描いたPちゃんは、神妙な面持ちで「にゃ〜ご」と声を出すくそおやぢの頭上に落ちていった。




 の怒りの沸点が頂点に達した時だった。




「まったく…兄弟そろって軟弱な」
 少し顔の形が変わっている上に、頭にふたつみっつとたんこぶがあるというにも関わらず、玄馬は嘆かわしいと言わんばかりに呟いた。
「元はといえばあんたの所為でしょーがっ」
 怒り任せにもう一発、玄馬の顔にめがけて拳をめり込ませては言った。転がるPちゃんを再び抱き上げ、踵を返す。
「にゃ〜〜〜」
「しっつこいなあ、もう!」
 繰り返し聞こえた鳴き声を真似た声に苛立ち、は思いっきり振り返って玄馬を睨みつける。けれど玄馬はふるふると頭を振って、そ知らぬ顔をしている。
「わしではない」
「はー?だって、今…」
 言ったでしょ、と続けるはずの声は言葉にならなかった。するりとの足に擦り寄った、あたたかく柔らかな曲線と毛並み。ぞわり、と背中から駆け上るように悪寒が走って、後はただ硬直するだけだった。


「そういえば、かすみさんがなにかを探していたが、それが花千代かの?」


 玄馬の声など聞こえてはいたが、頭になど入ってこなかった。ただただ気が遠くなって…………。






 ばたり、と音を立てては畳の上に倒れこんだ。後に残ったのはため息をつく玄馬と、倒れたをどうにか支えようとして潰れてしまっているPちゃんの姿だった。













2011/3/9 ナミコ