06














「キスしたぁ?俺が、あかねに?」
 天道家の客間、早乙女一家が使わせてもらっている一室で、乱馬は訝しげに顔を歪めた。


「からかうんじゃねぇよ、くそおやじ」
 パンダ玄馬の胸倉を掴み、乱馬は眉を吊り上げ意気込んで見せたが、玄馬もまた眉根をつりあげ乱馬の胸倉を掴む勢いで顔をつき合わせている。
「なんで俺が…」
「してたよ、私、ハッキリこの目で見たし」
 そんな二人のやり取りを見ながら、目の前にある急須に茶葉を入れ、横に置いてあるポットに手を伸ばす。温かなお湯が湯気を立てているのを肌で感じながら急須の蓋を閉じ、少し蒸らしてからは湯飲みに緑茶を注ぎ、一口飲んだ。何の変哲もないただの緑茶だが、最後の一滴まで注いだそれは濃さも渋みもちょうど良く、おいしい。少し熱いような気もするが、これくらいの温度ならまあ飲めるな、なんてことを思いながら美味しいお茶を味わった。


までなあに言ってやがる。…さては二人して俺を…っ!?」
 事実なのに信じられないのか、訝しげな目付きでまで疑い始めた乱馬に一抹の憤りを覚える。熱湯浴びせてやろうかしら・だなんて物騒なことを考えるが、そもそも猫になっている間は乱馬の意識なんてあってないようなものだ。だからこそああまで執拗にを追いかけるのだし、あかねの膝の上では大人しく丸まるんだろう。無意識の心理下で本能のままに動いた今日の乱馬は、知らずと心の内を素直に吐露している。


「久しぶりに追いかけられて、私すっごい怖かったんだけど」
 にこりと笑ったは首を傾げ、ガーゼの当てられた首筋を乱馬に見せ付けるように身体を捻ってみせた。それについては何も言えない乱馬は閉口し、うな垂れて「ご…ごめん」と呟いた。いやまあそれはもう別にいいんだけどね。
 ふう・と、ため息をついたは瞼を伏せて緑茶をすする。起きたことはどうしようもない。どんなに恨み言言ったって、なかったことにはできないのだからそれはもういいのだ。それに思うところがあるのはまた別のところであった。


 嗚呼ダメだ・と、は溢れ出そうになるため息を堪える。それを緑茶と一緒に飲み込んで、空っぽになった湯飲みをお盆の上に置いた。すると突然、乱馬がいた場所の下から一本の腕が畳を突き破って現れた。大きく驚く乱馬の横で、もまた驚きに目を大きく見開いた。
 掴みかかる様に伸びた腕は乱馬の胸倉を迷いなく掴み上げ、怒りを含めた目で睨みつけている。


「あ、良牙君」
 床下を突き破り、畳を破って現れた愛しい人の姿に、先程の驚きは吹っ飛びへらり・と、は笑った。すると眉を吊り上げていた良牙も、と同じように笑顔を返してくれたが、乱馬の胸倉を掴む手の力はちっとも緩みそうになかった。
「やぁ、こんばんわ早乙女君!」
 変わらず変わらない表情を貼り付けた五寸釘が良牙の後ろから現れて、千客万来だなぁなんて見当違いのことを考えながら、は再び急須にお茶を入れ始めた。


「なんだよお前らっ」
「貴様ぁ、許さん!」
「俺がなにをしたって言うんだ!」
「あかねさんと………きっ…キ…………!許さん!」
「しとらん!大体もし、俺があかねとキスしたとしてもお前にそんなこと言われる筋合いはねぇ!っつーか、お前こそとキスしたりしてんだろ!それこそこっちが許さんだっつーの!」
「ししししし、しとらんわぁ!」
 赤くなった良牙が完全に乱馬とはあさっての方向を向いて、照れ隠しのように乱馬を殴った。口ではしてないなんて言っても、それじゃあまるきり「してます」って言ったようなものなのに。ぱっちり目が合ったと良牙ははじけるように赤くなってお互い顔を逸らしたが、乱馬はそれを目敏く見ていたらしい。


「コルホーズ学園との試合の後、怪しいとは思っていたんだ!お前らやっぱりしてたんだな!」
 怒鳴りながら乱馬もまた、良牙の顔を殴った。慌しくも騒ぎ始めた二人と、そんな良牙の後ろで伺うよう静かにそこにいる五寸釘。そんな三人と距離をとりつつ、人数分入れたお茶を出そうかどうかは迷った。迷った末にやっぱりやめて、離れたところでそ知らぬ顔をしている玄馬と並んで緑茶をすすることに決めた。


「やかましい、俺はなにもしてねぇ!」
 近所迷惑さながら声を上げる乱馬は大きく頭を振って良牙と胸倉をつかみ合っている。あくまで白を切りとおそうとする乱馬に、痺れを切らしたように五寸釘が一枚の写真を突きつけた。その写真の中にはちょうどささほど、乱馬があかねにキスをした瞬間がおさめられていた。隠し撮りしていたのか・と、それを遠目ながら確認したは外野から茶々をいれた。


「ファーストキスは乱馬から!驚きに目を見張るあかね。乱馬はそうしてあかねは自分のものだと周りのみんなに誇示したのでしたー」
「ぼくが密かに隠し撮りしたものです」
「何かの間違いだっ!」
 食い入るように写真を見ながら乱馬は叫ぶ。けれどすぐ、障子を破って突きつけられた木刀によって写真はバラバラに破られた。唸るような低い声と物凄い形相でもって障子を割り、そこから九能が入ってきた。
「早乙女許さん〜〜〜〜」


 まるで役者は揃ったとばかりに集結した現状に、あかねのモテっぷりを今一度確認したような気分だ。悪戯心と日頃の思い(というか恨みつらみ)も積み重なって、はにこやかに「センパイこんばんわ」と、挨拶を口にした。すると先程の良牙と同様、こちらに顔を向けた九能は凛々しく表情を保ってとの距離をつめて来た。
「おっ、おさげの女ではないか。早乙女とあかねくんがこうなってしまった以上、君も僕とくちづけおぉぉぉぉぉ!」
ちゃんになにしやがる!」
 執念というか、なんというか。鬼気迫る表情で飛び掛ろうとする九能を、との間に立ちふさがり阻止したのは良牙だった。良牙の背中に匿われたは、その影から床に叩きつけられていく九能の様子を見た。見事なまでに顔面から叩きつけられたようだったが、すぐさま立ち上がり体勢を整えた九能は目を伏せ、怒りを含めた表情で良牙へ木刀を突きつけた。
「誰だ貴様!」


 怒号に近い力強さを持った言葉に、張り詰めた空気が良牙と九能の間に流れる。
「俺か?……俺は…」
「センパイ、紹介しておきますね。こちら、私がいまお付き合いしている響良牙君ですぅ」
 一触即発の空気に割って入って良牙の背中にぴったりと身を寄せたは、軽く頬を染め九能を地獄へ突き落とす一言を発した。案の定、石のように固まった九能はその場に腰を落とし、うな垂れながら手を震わせた。視線をこちらへ寄越した良牙はもの言いたげに頬を染めていたため、の頬は更に熱を持った。


「な…な…な…………ぬわんだとぉーーーー!許さーん!」
「わーっ!?」
 けれど腐っても九能。顔は蒼白としていながらもすぐに起き上がった九能は先程、乱馬に木刀を突きつけた時よりももっと恨みがましい形相で激しく突きを繰り返した。慌てて避けたが、物凄いスピードと無差別に突き出す剣は良牙のみならず、その場にいた全員が慌てて身を翻す事態となった。も例外ではなく、くるり・と、身を反転させたは大きく距離を取ると躊躇なくふすまを開け、廊下へ出た。


「てめえなにしやがる!」
「お前こそ、おさげの女と交際だなんて…風林館高校青い稲妻、九能刀脇の目の黒いうちは許さーん」
「貴様の許可を得るいわれはないわー!」
「どいつもこいつもゆるさーん!」
「人ん家で暴れんなよな!」


 ゆっくりふすまを閉めながら、収拾のつかなくなりそうな事態には蓋をした。閉じたふすまの向こうは大混戦の大乱闘だ。聞こえる音は喧嘩の激しさを物語っているが、見事戦線離脱を果たしたに後のことを考える必要はなかった。


「火に油を注いだのは、私だけどねー…」


 悪びれなく呟いたは小さく舌を出し、それからその場を後にした。













2011/5/10 ナミコ