08
あかねが部屋にこもってしまった昨日の夜、どうにか部屋から出てきてもらおうと天岩戸の作戦の如くは四方八方手を尽くして真夜中まであかねの部屋の前で呼びかけていた。けれど、日付終了をもってしてもあかねが部屋から出ることはなく、隣の部屋のなびきに「うるさい」と、たちが使わせてもらっている客間の一室に放り込まれたことで、その作戦は諦めざるを得なかった。呑気に寝顔を晒している乱馬に、昨日の夜ばかりは何度殺意を覚えたことだろう。そんな悶々とした複雑な気持ちを抱えたまま過ごした昨日の夜は、あまりぐっすりと眠れる夜ではなく、今日は誰よりも遅く目が覚めてしまったようだった。
「やかましい、俺は潔癖だ!あれは純粋な事故だと言ってるんだ。もうこれ以上話すことはないっ」
眠たい目を擦りながら気だるい身体を起こし、は窓から外を見る。道場脇の庭で、コンクリートブロックや岩を相手にひとりで喚く乱馬を、は冷ややかな目で見下ろす。
(あかねが怒ってるって思うなら、素直に謝っちゃえばいいのに)
大きく伸びをしたは、リュックから着替えを取り出すと素早く着替え、隣りにうずくまって寝ているPちゃんを抱きかかえた。
「うだうだ言い訳してぺこぺこ謝ったって、あーゆー女は付け上がるだけだからな………」
「それを言うなら乱馬だと思うんだけどなー」
ひとり呟いた言葉は、誰に届くでもなく独り言となって消えた。乱馬に聞こえたところでまたひと悶着面倒なことが起きるかもしれないので、それはそれで聞こえてなくていいのだけれど。
一通りなにかのシュミレーションを終えた乱馬は、呼吸を整えると軽快な足取りで踵を返し、力強く歩き始めた。その行く先にはあかねが見える。昨日、浴室で見せた硬い無表情とは打って変わって穏やかな表情であかねは花壇に水を撒いていた。
「無理してるのかなー…」
「あかねぇ!」
「あ、おはよう乱馬君」
花壇に向かったままの穏やかさをそのまま、乱馬へ微笑むあかねに気圧された乱馬は先程の勢いはどこかへいてしまったようだ。もまた、目を大きく瞬かせ、二人の様子を見守る。
「あっ、あのっ…ゆうべのことだけどお…」
「なんのことお〜?」
「あの、風呂場で…」
「あー、あれねぇ」
(これは……)
ふたりの一見穏やかなような雰囲気を一通り観察したは、少しばかり唸りたい気持ちを抱えた。の腕の中でようやく目を覚ましたらしいPちゃんも、窓の下の二人のやり取りを神妙に見据えている。
「私全っ然、気にしてないわよ」
穏やかな顔つきとは裏腹に、乱馬に水をぶっかけ力強く蹴り上げたあかねに、は「やっぱりね」と小さく呟いた。腕の中のPちゃんがを見上げたので、もまたPちゃんに視線を落とす。
「無理するのか、すっごい怒るかどっちかだとは思ったのよ」
蹴り飛ばされ空を飛んでいく乱馬を見ながら、は大きくため息をついた。
「半々って感じなのかしらね?」
微妙に首を傾げるPちゃんは放っておいて、窓を開けたは身軽にそこから飛び出してあかねの前に降り立った。
「おはよ、あかね」
「おはよー」
乱馬にみせた顔とは打って変わり不機嫌そうに頬を膨らませたので、気付かれないように小さく笑った。この反応は、女同士で思ってみても可愛いなって思えるのに・と、は正直にあかねに伝えた。
「そーゆー顔、乱馬の前ですればいいのに」
「なんでよ」
不機嫌な顔のまま眉間に皺を寄せたあかねを、は抱き締める。吃驚したらしいあかねは大きく目を見開き、さきほどの不機嫌な顔はどこかへ行ってしまったようで、目をぱちくりさせてを見ている。
「たぶん乱馬だったら、こーしたくなるかなーって」
「な…なによ、誰にでもするんでしょ!」
乱馬・と、名前が出た途端、呆気に取られていたあかねの顔は、怒りを孕み出す。けれど、はもう一度、にっこり笑って昨日と同じ事を繰り返し言う。
「あかねだけだと思うよ。それに、昨日だって、一方的に抱きついてたのはシャンプーで、乱馬はシャンプーを抱き締めたりしてなかったじゃん」
「ううー…」
まだどこか、腑に落ちないような顔をと声を吐き出してあかねは俯いた。たぶん、あかねは頭ではわかっているが、心がついていかないんだろう。もやもやした歯痒さを持ち合わせる気持ちを、はわからないでもない。それを相手に素直に言えるか言えないかで、もやっとしたものは大きくなったりきれいさっぱり晴れたりするんだろうけれども。
「そういうのを経験するのも醍醐味よねっ」
「は?」
「べーつーにー」
一人納得して完結してにやにや笑うを、疑問符を頭に浮かべてあかねは見た。
「へんな」
「恋愛してるなあって思っただけじゃなーい」
「はー?誰が、誰と!」
「あかねが、乱馬と!」
「ち、違うわよ。全っ然、まったく違うんだから!」
「そうかなあ」
「そうよ!」
「でも乱馬のこと気になるでしょ?」
「そっ…そりゃあ、一応いいなずけであるわけだし」
「好きじゃなかったら、誰といちゃつこーがどうでもいいでしょ?」
「そ、そ、そ、そんなことは………」
「あるよねぇ?」
「違う!違うったらもう!」
「どうかなあ…」
「ちがーう!」
「……あの二人はさっきから庭先をぐるぐると、なにをしているのかね?早乙女君」
「……さあ。年頃の娘の考えることは難しくて分からないよ、天道君」
庭先であかねと、ぐるぐる歩き回って言い合う異様な光景を、二人の父親は頭を傾げ、不思議そうに見ていた。
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2011/6/27 ナミコ