09










「ニーハオ」
「あらシャンプーちゃん、久しぶり」
「中国に帰ったんじゃなかったの?」
 正午を回るよりも半時ほど早く天道家の敷居を跨ぎ、メイドインチャイナのトラブルメーカーはやってきた。両手におかもちを持ったシャンプーは、先日はるばる中国から乱馬を追いかけてきた時よりも流暢な日本語を操り、近所に越してきたことを告げた。



「引っ越してきたぁ〜?」
「近所にラーメン屋さん開いたんだって」


「引越しソバある。これ乱馬の分ね」
 シャンプーはにこやかな笑顔でラーメンを乱馬へ差し出した。たっぷり海老が乗った海鮮ラーメンは豪華なもので、玄馬と早雲は早々に箸を付け始めている。
「これ、シャンプーが作ったの?」
 さっきほどあかねに水を浴びせられた乱馬の横に、さりげなくは立つ。瓜二つの二つの顔が並べば、両方の顔を見比べてシャンプーは顔を歪ませた。
「こっちは乱馬ね…こっちは?」
、俺の妹」
「あいやー、乱馬そっくりね。瓜二つ」
「いや、乱馬が私にそっくりなんだっつーの」
「もしかして女乱馬、本当はお前のことか?」
 鋭くなるシャンプーの目付きに条件反射では身構える。けれど、それをすり抜けて突き出された指にでこぴんを喰らわさされてしまい、は脳震盪を起こしてその場にへたりこんでしまった。


「あにすんのよっ」
「ほんの力試し。お前強いけど、私ほどじゃないね」
 くらくら回る頭に翻弄されながらシャンプーを睨みつけるが、彼女は悪びれなくころころと笑っている。いや、ここで因縁つけられてまた命を狙われるようなことになるよりはよっぽどいいんだけども…
「おおお…分かっちゃいるけど、面と向かって言われるのはなんか悔しい!」
 そうだ、その一言に尽きる。


「あいやー、気を悪くしたか? すまないある。妹とは仲良くしたいね。私のこと、大姐呼ぶよろし」
「大姐……?」
「お姉さんて意味あるよ」
「………………お断りだ!」
「愛想の悪い妹あるなー」
「うるっさいわ!」
 居間は豪華な海鮮ラーメンに舌鼓を打つ天道家の和やかな雰囲気が醸し出されていたが、それに馴染む気もなれず箸を置いた。同様に馴れ合う気はないのか、あかねに至っては初めから少し距離を置いた縁側で背中を向け関心がなさそうに膝にPちゃんを乗せ庭を眺めている。その横にも並んで座り、手を伸ばしPちゃんの頭をなでる。


「シャンプーから事情は聞いた。潔くシャンプーの婿になれ」
 不意に聞きなれない声に振り返ると、いつの間にか天道家の居間の真ん中に皺だらけで小柄の…………人?…か、どうかちょっと微妙だけど、とにかくそんな人がいた。小さな手でしっかりラーメンの器を支えたそれは、感情の読み取れない表情のままラーメンをすすっている。
「私のひいばあちゃん。コロンて名前ね」
「へーえ」
 じゃああれがシャンプーの最終形態なのかしら・と、意地悪なことを思ったことは胸にしまっておく。それはともより、いち早くコロンの言葉にぴくりと反応したのは早雲で、縮れ麺が頬に付けつつもラーメンをすすっていた箸を止め、ただならぬ雰囲気でコロンに詰め寄った。
「乱馬君はあかねの許婚です」
「強い男の嫁になるのがわしらの掟じゃ」
 だが、即座に切り返す言葉には強い意志がこもっており、おばあさんにとっては早雲の言葉など戯言のようにしか聞こえていないようだった。掟、というくらいだ。コロン自身もそれに倣って生きてきたのだろう。


「日本語お上手ですね」
「だてに百年生き取らんわ」
「へー。見かけよりずーっと若いのね」
 麦茶をコップに注ぐかすみが和やかにコロンをもてなす。和やかな雰囲気だが、さりげなく聞こえたなびきの失礼な言葉には振り返る。なびきはしれっとした顔でラーメンのスープをすすっていたし、誰も気に留めていないようだった。
「まあ…百歳には見えないわね」
「そうねー」
 なんとなく呟けばあかねが答えてくれたので、はまあいいかとそれについては完結させることにした。それにしても、だ。女傑族ってのは本当に強さを追い求めることに余念がないようだ。シャンプーが乱馬を追いかけることも根本は、自分より強い男の遺伝子貰ってさらに強くなろうっていうアマゾネス的精神じゃないか。掟だなんていうけれど、そこに人の意思や感情はあるのだろうか。はシャンプーに視線を向けると、彼女はにこにこ笑った笑顔で乱馬の傍に座っていた。…そりゃあまあ、掟って言う位だから自分より強い男の人にはある種の夢を見ていたのかもしれないが……。
(乱馬に倒された後のシャンプーは、これでもかっていうくらい恋する目をしていたしなあ)


 たぶん、世の中の普通の人の感覚で言うところの白馬の王子様が、女傑族にとっては自分を打ち負かした男!ってことなんだろう。はシャンプーから視線を逸らし、不意にコロンを見ればあの大きな目とばっちり視線が合った。鋭い視線と目力で見据えられ、は思わず腰が引ける。


「ときにそっちの娘、……とか言ったか。お主最近鍛練を怠っておるな」
「なっなっなっ……なによう」
 いきなり図星を当てられ、思わずは目を泳がせた。中国に渡っている間も、そのちょっと前からもそうだったが、確かにはここの所まともな鍛錬など行っていなかった。別にわざわざ望んでまで力を付けたいとは思わないの考えは、武道家たる者たちにはいかんとも理解しがたいものらしい。コロンの言葉に通じるものがあるのか、玄馬はしきりにうんうんと頷いている。
「勿体ないの、良い素質を持っているのに」
「別に私は強くなんてなりたいわけじゃないし……」
 そもそもがそう思うに至ったのは良牙に恋したことに起因しているのだが。そんなことなど露知らぬ玄馬は、"馬鹿もんが!"と書いたプレートをに突きつけ、それどころかとどめとでも言わんばかりに勢いよくそれを投げつけてきた。思い切り身体をそらして後ろ側へと避けたはそのままくるりと一回転し、素足で庭に着地した。


「なんじゃの、お主不思議な気配を持っているのう……白いもやのような」
「白い虎じゃねーのか、それ」
「虎とな?」
「こいつも落ちたからな、呪泉郷の白虎溺泉」
 そして乱馬は娘溺泉に。横に佇む池を見て、はため息を落とす。水に触れれば白虎に姿を変える、呪わしき身体。強さを追い求めた結果がこれだというのなら、なおさら余計に強さなど要らないとは声高に叫ぶことが出来る。
「好きで虎になったわけじゃないやい、ふんだ」


「虎々言うがな、白虎は虎ではないぞ」
「えっ?」
「あれは百獣の象徴、四神の一角…伝説の生物だ。よって虎ではない」
「どーりで虎にしちゃあ毛深くて細長い体してっと思ったぜ」
「毛深いって、…もっと他に言い方あんでしょーがっ」
 あまりにもあけすけで失礼な言葉に、思わず手が出たは乱馬を殴ってしまう。頭にたんこぶひとつ作った乱馬は悪びれなくこちらを見て笑ったので、はもう一度拳を作ってみせた。
「お前も呪泉郷落ちたのか」
 興味津々と言わんばかりにシャンプーに顔を覗きこまれたので、作った拳が乱馬にぶつかることはなかった。けれどしかし、はひとつの疑問符を頭に首を傾げた。
「…お前も?」
「不思議な力を持ってるもんだと思ったが…そうか、白虎か。ありゃあ精霊みたいなもんじゃからの」
「ひいばあちゃんの観察眼、すごいあるよ」
 聞き返そうとシャンプーに詰め寄るが、コロンの声にかき消されて皆の関心はすっかりへと移り変わっている。特にシャンプーは得意げに笑い、に腕を絡ませてきた。そうして一方的に絡まれて、はうろたえるばかりだ。


「それはともかくとして、言っとくけどな、ばーさん。俺はシャンプーとの結婚なんて考えてないからな」
 沸いたお湯をヤカンからかぶった乱馬はそんな空気を割るように、きっぱり断った。うんうん頷く早雲は満足そうだが、先程まで笑っていたシャンプーは反して険しい顔つきで唇を引き結んだ。睨みつける勢いで乱馬を見据えたシャンプーは、ゆっくりと口をひらく。
「乱馬、この身体どうしてくれる!」
 いくばくかの怒りを孕ませてシャンプーは叫ぶと、どこから持ってきたのかバケツの水をかぶった。するとみるみる猫へと姿を変えた身体に目を見張った。みなが息を呑む音と重なるように、乱馬とは同時に悲鳴をあげた。はまだ近くにいなかったから良かったが、すぐ傍にいた乱馬はのけぞり畳の上にひっくり返ってしまった。そして、畳み掛けるように乱馬の上に乗った猫シャンプーは引きつる乱馬の顔をちょい・と、小さな肉球でつついたのだった。










「それは遡ること数週間前の話じゃ…」
 おもむろに口を開いたコロンは思い出すように語り始めた。
 乱馬を殺さずに帰って来る、それ即ち掟破り。掟を破って帰ったシャンプーには、コロン自ら修行をやり直させるため、呪泉郷へと足を運んだ――。
 多くを語らず黙って帰ってきたシャンプーは少し憔悴していたようにも思えた。一言も理由を話さなかったシャンプーは掟破りの罰はすべて受け入れるとでも言わんばかりに、素直に呪泉郷に突き刺さる細い竹の上に立った。複雑さに揺れていた心の内のせいか、組み手を取ってもいまいち切れのない動きであったように思えた。激しい組合の末、コロンから喝をくらったシャンプーは憐れ、泉へと落ちてしまい――――以来水を被ると猫になってしまう呪いを背負ってしまった。


「…というわけじゃ」
「責任とるよろし」
 空になったラーメンの器を前に、コロンは麦茶をすする。その横でコロンが話をしているうちにいつの間にかお湯を被り、元の姿へと戻っているシャンプーが乱馬に詰め寄った。
「どこが俺のせいなんだ!」
「全て原因はおぬしじゃろうが!」
 声を荒げ、飛び出たコロンが乱馬の頭を杖で叩く。軽い音にしてはそれならに痛かったらしく、乱馬の後ろ姿は沸々と怒りに燃えているように見える。


「うーん…関係なさそうだけど…」
「でも乱馬が嘘をつかなければ、修行のやり直しはなかったし…。そもそも中国で乱馬が呪泉郷に落ちてなかったら万事ことは丸く………」
「んなわけないだろーがっ。大体言いがかりもいい加減にしやがれっ」
 顔を合わせて話し合うあかねとの間に乱馬が入る。言いがかりも甚だしいと、年寄り相手にいきり立つ乱馬はその感情のまま蹴りを繰り出したが、コロンは軽く余裕でかわし、その上乱馬を返り討ちにした。屈辱に顔を歪めた乱馬は怒りのままコロンを追いかけ、天道家の外、街の中へと飛び出していった。


「あー、行っちゃった」
「追いかけなくていいの?」
 遠くなる背中を見つめるだけで動かないに、あかねは尋ねる。
「いーのいーの。そのうち帰ってくるでしょ、ラーメン食べよ」
「…私はいらない」
 テーブルの上に乗る、まだ手の付けられていないラーメン二つを指差し、あかねを誘う。けれど、それには同意しないあかねはそっぽを向いて縁側に座ったままでいる。ジャンプーの作ってきたラーメンなんか食べたくないってことなのだろうか。それじゃあ・と、言わんばかりにひとつ所有者のいなくなったラーメンには意地汚くも玄馬が手を伸ばした。そんな父親を横目で見ながらラーメンの器を持つと、シャンプーがそっとに割り箸を差し出してきた。
「はいね、乱馬の妹」
「私は乱馬の付属品じゃないっつーの。!ちゃんと名前あるでしょーが」
「はいね、


 差し出された割り箸を乱暴に受け取ったは、勢いよくラーメンをすする。口にしたラーメンは細めの縮れ麺が魚介だしのスープに絡み、なんともいえない美味しさだ。微妙な雰囲気の乱馬とあかね、それにシャンプーが加わって………。


(どーなるこっちゃ、こりゃあ)




 咀嚼したラーメンを飲み込んで、は待ち受ける行く先を案じた。














2011/11/6 ナミコ