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 おおよそこの勝負に関係のない生徒達の関心を大いに集めた乱馬とムースの決闘は、いつの間にか風林館高校をあげてのイベントへと成り代わったようだった。グラウンドに正方形のリング、ラーメンの出張屋台に点心を売り歩くシャンプー。


「うまいこと商売してんのね」
「毎度〜」
 蒸篭から蒸しあがったばかりの肉まんを受け取って、はシャンプーに百円を二枚渡した。向こうの屋台では、ラーメンを受け取った生徒達がたむろしてお祭り騒ぎに乗じている。
「ムースって強いの?」
「いつどんな暗器使ってくるか分からないだけで、後は大したことないね」
「へー、じゃあ乱馬が勝つってシャンプーは思ってるの?」
「乱馬の方がムースより遥かに強い。だからおばあちゃん、乱馬が勝負に来れない様にしたね」
「それはそれは…」
 なるほどね・と、は肉まんにかじりつき、空いたもう片方の手を腰にあてた。勝算がないからと、卑怯にも戦わずしてムースに勝たせようとする魂胆がは気に食わなかった。最も二人が正々堂々と対峙してしまえば結果なんて火を見るより明らかなんだろうけれども。しかし・だ。大体それはそもそも、乱馬に真剣勝負を申し込むムースに対して失礼じゃあないか・と、は乱雑に咀嚼した肉まんを不機嫌そうに飲み込んだ。でも乱馬は男に戻れない状態でも「秘策がある」と言って、諦めるようなことはしなかった。
(…万が一にでも諦めるなんて男らしくない行動取ったら、こちとら男装してでも、わったっしっがっ!ムースと戦う意気込みでいたけどねっ)


「よー、来たのう、早乙女乱馬っ!」


「あら、コロンおばーさんの策略もむなしく乱馬は来たみたいよ」
「あれが乱馬か?」


 飄々と指差すシャンプーの指の先には、全然関係ない男子生徒を捕まえて胸倉掴んでいきがるムースがいた。よくよく見れば、ムースはメガネを外した裸眼のままでいた。超絶ど近眼か…と、額に汗を滲ませていると、するどいしわがれた声と共にコロンがムースの頭をど突いた。
「誰が早乙女乱馬じゃい!」
「………しなびたのう、早乙女乱馬」
「メガネかけんかい、近眼小僧!」


 そんなやりとりを見て、思わずの顔から笑いが零れた。
「コント?」
「ちとも面白くないある」
 年季の入った冷ややかなシャンプーの表情すらいっそ面白く、なかなかいいコンビ…いやトリオか。なんて緊張感なくは思ったりもしたのだった。










「リングにあがれ、ムース!」




 今度こそ大きく乱馬の声が響き、やっとやってきたのだとは振り向いた。身軽に大きく跳んできた乱馬は宙を回転しながらリングの中央に着地した。
「え…?」
「…………」
 瞬時に黙ってしまったあかねの冷や汗っぷりは言うまでもなかったし、自身の驚きも相当なものだった。ぶかぶか服に身を包んだ乱馬は、まるきりサイズの合わない服を着ているようにも見えたし、ただ着ぶくれているようにも見える。それを男装と言うにはあまりにも稚拙すぎる・が、顔の半分以上を隠すサングラスをかけているせいか、はたまたど近眼であるムースが対戦相手のおかげなのか、ムースも周りの観衆もすんなり乱馬だと認めたようだった。けれどこちらとしては内心汗をかきっぱなしである。


「待たせたな。ほんじゃてっとり早く……いくぜぇ!」
 間をおかず、乱馬はさっそく技を繰り出す。大きくなにかがはじける音がした・と、思ったら乱馬の周りからスモークと共にウサギや鳩やらが溢れるよう飛び出してきた。
「なんのマネじゃ!」
「へっへっへ。悔しかったらおめーも手品見せてみな」
「手品?」
「おらの技を手品呼ばわりする気か」
「おめーの得意の暗器ってのはとどのつまり…服の中に隠し持ったおもしろグッズを披露する、ひとり演芸会みてーなもんだろが」
 馬鹿にしているのかなんなのか、乱馬は次から次へと着ぶくれた服の中からトランプを出したり花を出したりと、手品を繰り返している。そういえばこの間、ホームセンターでしこたま手品グッズを買い込んでいたっけな・なんて思い返してみるが、まさか秘策ってこれのことなんだろうか。一抹の不安がの頭をよぎった。


「ふっ、よう言ってくれたのう」
「真の暗器の恐怖を、思い知らせてやるわい…秘技、鶏卵拳!」


 大きく手を広げたムースはまるで鳥を彷彿とさせる動きで持って構え、どこからともなくむしろいつの間にか持っていたニワトリを頭上に掲げた。掲げられたニワトリは何食わぬ顔で掲げられたまま、ぼとぼと零すように何個もの卵を産み始めた。ムースはそれを乱馬へ向かって投げつけたのだった。
 いやいや、卵なんて投げても大した攻撃にはならんでしょーが・と、思ったのも束の間、乱馬が避けた卵は地面へと叩きつけられ、そのまま爆発したものだからは目を見開いて驚く羽目になったのだ。


「げっ、爆薬!」
 ぼーんぼんと爆音と煙が立ち込めるリングの中で、次から次へと攻撃を繰り出すムースから乱馬はちょこまかと動き回り、避け続けている。
「やっぱり手品だ」
「やかましい!」
 爆弾を産み出すニワトリに、うっかり拍手を送りそうになってしまっただが、ムースの怒声に我に帰り、慌ててその手を引っ込める。横からこちらを見ていたあかねの視線にはあえて言及しないでおこう、うへへ。
 ムースが攻撃をし、乱馬がそれを避ける。乱馬には余裕があるように見えたし、キリのない攻防戦のように見えたが、大きく手を一振りしたムースの袖から出た暗器が乱馬を絡めとり、遂にはその動きを封じた。


「おのれの手品はもうお仕舞いかっ」
「なんのまだまだっ」
 腕、足、胴・と、ロープに絡めとられた乱馬を引き寄せるようにムースは力を込めている。キリキリとロープは張り詰め、じりじり間合いを詰めようとしていた。


「早乙女乱馬最大の秘術!」
 けれど乱馬はそれを逆手に取り、一気に間合いを詰めて飛び上がった。緩まったロープはもう、意味を成さない。声高に叫んだ乱馬の声に続いて爆音が響き、空中ではもくもくと煙が上がり、その中から花と紙ふぶきと、乱馬が身に着けていたものがゆらゆらと宙を舞った。
 自爆・か?と周囲に懸念を抱かせたけれど、拡散しはじめた煙の中からひとつの影が悠々と舞い降りた。


「女体変身っ!」
「!!!!」
 誰よりも先に目を見張ったのはで、それから続くように大きな歓声と拍手が校庭を包んだ。無謀で無茶なハッタリの癖に、次から次へと飛び出る手品三昧に麻痺した観衆達はいとも素直にアレ…バニー服に身を包んだ乱馬…を手品だと思い込んだとでもいうのだろうか。わなわなと震える腕の理由は、怒りなのかはたまた呆れなのか、は計り知れずにいた。


「来やがれ!てめえの相手なんざ女のかっこで充分だ!」
「おのれぇっ!女装なんてしおって、どこまでおらを馬鹿にする気じゃ!」




「大したもんじゃのー、婿どの」
「女装だと思い込ませてしまたある」
「すごいっ!すごい口車だわ、乱馬!」
「すごくないよ…みんな騙されるなんておかしいってば」
 あまりに素直に騙される生徒達も、ムースも純朴すぎるじゃないか・と、は頭を抱えてその場に座り込んだ。
「しかし所詮は女の身、ムースに勝てるかのう」
「どーゆー意味よ」
「どうもこうも、みてれば分かる」
 不敵ににやりと笑ったコロンを追及するものの、コロンは目を細めて笑うだけで後は何も言わない。その表情からなにか読み取ろうとはじっと見つめていたが、変わらぬ顔になにかを読み取ることは出来なかった。しかもそうこうしている間も、乱馬とムースのやりとりはとどまることなく進んでいくのだから、はすっぱり諦めて戦況を見守った。コロンの言うとおり”見てれば分かる”のだろうから。




「…おのれの言いたい事はよくわかった」
「ん?」
「つまらん小細工をせずに、身体一つで勝負しろというんじゃろ」
 ムースの声色が、先程よりも重く低くなった。そう感じると、ムースを取り囲む空気も変わったことに気が付いた。自ら風を起こすような、内なる力強さを湧き上がらせ、刺々しさと重量感を彷彿とさせるオーラを滲み出したムースは暗器の隠されていたであろう上着を脱ぎ捨て、身体一つで乱馬に対峙した。


「あいやあ、ムースが怒たある」
「怒ると強いの?」
「それなりにな」
 の問いかけにシャンプーはあっけらかんに応答した。ことムースに関しては無関心というか、無愛想というか、業務的な態度にいっそ同情すら沸いてきそうだが、ここは早乙女、まがりなりにも乱馬の兄弟なのだから、心を鬼にして乱馬の勝利をただ願いたい。
「素手の勝負なら乱馬が勝つわよ」
(そうそう、あかねの言うとおり)




「よっく分かった!」
「別にそーゆーつもりじゃなかったんだが」


 乱馬のおちゃらけた作戦は、ムースの怒りを呼び起こした…らしい。どこからなにが出るか分からない暗器を繰り出していた先程とは打って変わり、怒涛の勢いで正々堂々真正面から拳を突き出しているが、乱馬は身軽にそれら全てを避けた。余裕しゃくしゃくとでも言うような表情に、乱馬の勝ちも硬いか・と、傍観していたが、そ背後から不穏な言葉が聞こえてきた。
「女のままじゃあ乱馬君の負けですね」
「東風先生!」
 あかねとが振り返ると、そこには様子を見に来ていたらしい見慣れたパンダと東風がラーメンをすすりつつ頷き合っていた。
「乱馬が負ける?」
 そんな、馬鹿な。ムースの攻撃を避けるのだって乱馬は余裕があるし、いつどこから出るか分からない暗器を前にしたって、持ち前の戦闘センスで相手のペースに巻き込まれない。それに余裕があるということは、ムースの攻撃を見切っているということだ。それはつまり、いつでもムースに拳を当てられるということと同じじゃあないか。むっつり口をへの字に曲げ、は話し合ってる二人を不満げに見つめた。
 その上『お前は詰めが甘い』なんてプラカード突きつけられて、思わずまっぷたつに割ってしまった。
「いやいや、ちゃんは元気だねぇ。さすが乱馬君の妹だ」
 はっはっは、と笑い声をあげる東風は、食えない笑顔で肉まんをほお張っていた。








「クロスカウンターキーック!」








 不安なのか、そわそわと落ち着かない雰囲気をあかねが醸し出し始めると同時くらいに、乱馬の猛る声がグラウンドに響いた。恐らくこれで決めるつもりなんだろう、大袈裟に考えすぎなんだみんな・と、も振り返りリングの中心で飛び上がる乱馬とムースに視線を集中した。
 けれど。




 攻撃がクリティカルヒットしたのは乱馬ではなくムースだった。大きくクロスした足はキレイに乱馬の顔面に入っており、そして乱馬の足はムースの顔面には届いていなかった。
「…そうか」
 そういうことか・と、は納得の声が口から漏れる。あかねもそれが分かったようで、目の合った二人は苦々しく苦笑せざるを得なかった。
「女の時の手足の短さに、本人が気が付いておらんのが致命的じゃ」
 とどめとでも言わんばかりにコロンの言葉が圧し掛かり、はひとすじの冷や汗を流した。


「許婚を取られとうなかったら……女装をといて男の男の勝負をせい!」
「わっ!」
 思わぬ盲点に、乱馬のペースが乱されていく。攻撃を受け地面に倒れ落ちた乱馬に、ムースは間を与えず蹴りを繰り出した。素早く風を切る勢いで蹴り上げた衝撃波なのか、はたまた風圧なのか、ムースの蹴りは鋭く乱馬の服を大きく裂いたのだった。じわり・と滲んだ乱馬の額の汗に、幾ばくかの焦りを感じ取る。本当にこの勝負、大丈夫なのだろうか。の心のうちも乱馬と同じように今、ムースにかき乱されてしまっていた。














「しっかし本当によく出来てるな、この女体」
「ベースはまさか妹だとか言うなよぉっ!」
 迫真に迫る焦燥など無視して、観衆に紛れ込んだクラスメイト達は乱馬のいわゆる"手品"に興味津々だった。はっと我に返ったは、手を伸ばし今まさに裂かれ露になった乱馬の素肌…もといそっくりの素肌に手を伸ばすクラスメイトの男達の姿を見てぞっと背中を粟立てた。


「きゃー!あんたたちっ、見世物じゃないんだから乱馬に触るな見るなふざけんなーっ!」






 それは今日一番、グラウンドに響いた怒声であった。













2012/2/3 ナミコ