04






 夕暮れ時のごはん時、一連の組み手を終わらせた乱馬と玄馬はたき火の周りに集まった。
「あー腹減った」
「ほ〜、今夜はカレーか」
 ぐつぐつ煮込まれた大鍋からは刺激的なスパイスの香り…に混ざってちょっと変わったにおいが漂ってきている。
「見た目は悪いけど」
 はい、と渡された皿にはゴロゴロ野菜と肉のカレー。たしかにざっくんばらんの切り口で、必ずしも見た目がいいとは言えないけど―――いやそもそも、カレーという料理で大きく外すこともままあるまい。だがしかし、この香り。

「変わった香りだな」
「わかるー?白ワイン入れたの」
 白ワインか。なるほど隠し味というやつか、と乱馬は思った。匂いは隠しきれてないけどな、とも。
「やっぱりあかね君に来てもらってよかったなぁ」
「え〜、味に自信はないなぁ」
「安心しろよ、死ぬほど腹ってるから、ブタのエサだって食えるぜ」
 あははは、と和気あいあいと笑い声が上がるが、乱馬の言葉はあかねの癇に障わったらしい。
「なんかいった?」
「え?」
 ずい、と包丁を突き付けられ、止めこそしたものの若干の冷や汗をかく。失言だったかと思うが、いかんせん乱馬にとってはそんなつもりはなかったのだが。
 気を取り直して食べるか、と二人は声を上げる。

「いっただっきまーす」

 カレーをすくい、一口口の中に入れたその瞬間だった。
 まるで稲妻が身体を突き抜けていくような感覚に、乱馬と玄馬は瞬間的に立ち上がった。

「乱馬!修行再開じゃ!」
「おうっ!」

 どう?どう?と感想を求めて交互に二人を窺っていたあかねを残し、「ごちそうさまっ」と二人は全速力で駆けて行った。
 たった一口、味見程度に口を付けたカレーをたくさん残して。

「…………」
 無言の疑問であかねはスプーンを手に取り、自分も一口口に入れる……。
「うっ…」
 瞬間くらくらと眩暈がするようなまずさに思わず倒れそうになった。

「おっかしーな、白ワインがいけなかったのかしら」
 置きっぱなしの調味料のうちのひと瓶を手に取り、あかねはまじまじと見つめる。ラベルに書かれた「SU」という文字を恐る恐る読み上げて。
「酢」






「だから連れてくるなといったんだ!」
「きさまの普段の仕込みが足りんのじゃないか〜〜〜!?」






 森の奥でこんなやり取りをしながら胸倉掴みあってる二人の姿が目に浮かぶ。たしかにまずい…お世辞にもおいしいとは言えない…かもしれないけど。
「……それにしたって、なによあの態度!一生懸命作ったのに!」
 ふつふつとこみ上げる怒りのまま、あかねは足元に転がっている小ぶりの岩を両手で抱える。

「乱馬のばか!」

 力任せに茂みに投げつけてストレス解消を図ってみるが、茂みの向こうから聞こえた確かな手ごたえにあかねはハッと我に返る。
 がさささっ、と転げるように茂みから転がってきたのは頭に大きなこぶをつけた――――、
「げっ、良牙君!」

 クマを追いかけ森の奥に消えたを探していた良牙の頭にクリティカルヒットしたようだった。







「ああ…あのクマ逃げ足早くて見失っちゃった…」
 ううう、と悔しがりながらはとぼとぼ山中を歩いていた。じぐざぐどこを走ったのかなんて覚えてないけど、たぶん…煙めがけて歩いていたら着くんじゃないかと思って。
「あ、たき火」
 ゆらゆらたき火に照らされてやや明るくなっている広場を遠目から見つけると、は歩みを早めた。あのリュックの食材はあてにしたってもう無理だけど、たしか食べられそうな野草とか木の実とか魚とかなら自力で調達することだってできるのだから。
「それにしても良牙君にちゃんとした手料理食べてもらおうと思ったのになー…」
 あのクマめ!恨みつらみを爆発させながら、茂みをかきわけ少し広けた場所出る。そこにはあかねと、見覚えのある背中をは見つけた。

「こっ、こんな美味いもの食ったのは、生まれて始めてだぜっ」

 え?良牙くん??とあかね???と、の頭にはたくさんの疑問符が飛び交う。

「きゃー、本当っ?やっぱりお砂糖とマヨネーズ入れてよかった」

 けど、聞こえたあかねの言葉には、反射的に思わずずっこけてしまった。けれど、それ以上の音を立てて崩れ去った乱馬の姿にみんなの注意は引かれてしまう。どこからともなく現れた乱馬は、恐らくあかねの手製であるカレーを一口食べ、肩を震わせてうな垂れている。よくよく見ると、カレーを口にした良牙もわなわな身体を震わせて、冷や汗を垂らしている。

「なによ乱馬、勝手に食べないでよ」
「お・ま・え・なぁ〜…味見してんのか?」
「してないわよ」
「しろよ味見くらい、頼むから!」
「なによまずいっていうの!?」
「だから食ってみろってつってんだ!」

 顔を突き合わせて怒鳴り合う乱馬とあかねの横をすり抜けて、興味本位でもそのカレーにスプーンを伸ばした。

「それ以上言ったら俺が許さん」
 曲がったスプーンを乱馬に投げつけて、まるで良牙があかねをかばうようにしている。
「んー?やるのか、良牙」
「やめて良牙君。あなたがおいしく食べてくれたんだもん、あたし傷ついてなんか…」

「うっ!」

 一口頬張ったところで予想外すぎる味に思わずはおののいた。まさかカレーを食べて戦慄が走るとは予想だにしていなかった事態と言える…その上この茶番。ひとの彼氏とっ捕まえてこの立ち回りとはメラメラ怒りと嫉妬で燃えちゃいそうである。

ちゃん…!」
 しどろもどろと慌てふためく良牙に、ちょっとばかりの苛立ちも相まっていつもより痛烈な言葉とか批評とかしちゃうかもしんない。いや、する。断言できる。

「えっと、…」
 なにしてるの?とでも言いたげなあかねに、はふらつく足をぐっとこらえてこう言った。

「まっずい」
「……!ひどい!」
 ショックを受けているあかねに、さらには追い打ちをかける。
「隠し味が隠れてない、ケンカしてる、調味料入れすぎ!なんでこんなに酢が強調されてるの!?火にかけたら酸味ってふつう飛ぶのに!あとマヨネーズどんだけ入れたの!?油浮いてるし、まろやかどころかぎとぎとだよ!ひどいって…ひどいのはあかねの方だよ!こんなの食材に対する冒涜だ!」

 一気に言い放っては我に返る。言いすぎか―――?いやでも私だってショックな場面見せてもらったしな、と気持ちを立て直す。
 だらだら冷や汗かいてる良牙は、それが料理に対してなのか今さっきの場面に対してなのか、にはよくわからなかったし、乱馬もちょっとたじろいでいたが、おおむね言いたいことは同じなんだろう。

「いや…ちゃん、ちょっと言い過ぎ…」
「シャラップ!良牙君は黙ってて!」
「なによ!そんなに言わなくたって…!」
「いや、ほんとまじで味見くらいはしろよ…」
 半泣きになって反論するあかねに、はそんなに悔しいならなぜ味見しないんだ…と心底呆れる。

「乱馬きさまそれ以上言うなといっとろーがっ」
「やんのか?…俺弱いものいじめしたくねーんだよなー」
「弱い者…?」

 四人で口論しているうちに、いつの間にか乱馬と良牙の間で火花が散り始めている。いや、場合によってはこっちでも散るかもしれないんだけど。

「きさまーーーー!」
 大きく振りかぶって良牙が乱馬に飛びかかる。けれど、後ろからそれを制止するようにコロンが飛びだし、良牙を止めた。一撃を食らった良牙はそのまま地に倒れる。
「ばばあ…」
「勝負は一週間後じゃ。こいつは強くなるぞ、楽しみにまっとれ婿殿」

 ふっふっふ、と不敵にコロンが笑った。緊迫する空気を、まっさきに割ったのはあかねだった。
「あたし良牙君の世話しにいこっ」
「は!?」
「あ、おいあかねっ」

「私の料理なんてまずくて食えないんでしょっ!」

 あっかんべーして、あかねは良牙のもとへ走っていく。それを見たは大きな声を張り上げて追いかけた。
「ちょっと!間に合ってるっつーの!」
「そんなの知らないんだから!」

 さっきのあてつけだとでも言わんばかりの言動に、はふつふつ怒りがこみあげてくる。
「この料理音痴!あかねのばか!」
「うるさいわよ、のばか!」



 残された乱馬は、あかねが行ってしまった悔し紛れに残ったカレーを全部食べたとかどうとか。それによって顔に死相が出るくらい消耗したとかなんとか。のちに風の便り(ソースはおやじ)で聞いた。











2017/6/23 ナミコ