恋と喧嘩はマイエラの華 3






 エイトは小さく息をついた。冷たい外気をあらわすように薄い白を描く二酸化炭素はゆらゆら立ち上るように外気に飲み込まれ、その色を失う。空は朝日を迎える直前の色へと変わり、月は朝日に隠されるようにほのかな灯りを隠していく。

(また、朝帰り)
 それを呟こうものなら蒼をうつした目は途端に細く顰められ、咎めようものならその資格がと反対に詰め寄られることだろう。他の騎士団員たちが彼がなんと言っているか、知っている、けれど。

 目の前を無言で通り過ぎる背中に、なんの言葉もかけられない。

 すべての怒りも思いも嫌悪も憎しみも哀しみもみんな、受け止めろといわれたら、どんなになったって受け止める覚悟はあるのに。まるでなにもないように、そこあるものを知っていながら目を背ける。そうして無言で突き放されるような仕打ちが、なにより心を引き裂く痛みとなっていると、知らない筈もないだろうに。
 ちくりと痛んだ胸を感じながら、

 エイトは空を見上げた。夜のものが消え、世界に朝が訪れる。光が昼間を支配し、昼のものである人の子は神の後光の元に生を育む。恒例である日曜のミサにいつもこないククールは、それでも子供の頃はまだサボりがちという程度でエイトの隣で祈りを捧げていた時もあるのに。

 白く霞む光はステンドグラスによってよりまばゆいものへとかわり、聖堂をあたたかく光で包んでいた。それはすべて神の恩恵、神のご意志。従順に祈りを捧げる子羊に平等の愛を与えるなにより証拠。
 ふと、思い出したことがあった。あれはいつだったっか、遠く、子供の頃。神の元に生きる僧たちは、例え子供であれ迷うことなく神へ祈りを捧げているというのに、そんな中、彼は小さくこう呟いたのだ。

 祈りとは、なんのためにあるのか、と。

 誰がそんなことを気にするだろうか。祈りは神に捧げるもの、神のために祈るもの。祈り、そして神に少しでも憐れんで頂けたら、平穏な安らぎを…。
 祈りは自分のためではない、神のために、自分以外の誰かのために、この世に生きとし生けるすべてのものに捧げるもの。そして神の右手の導きにより、羊はその両腕に抱かれるのだ。それは僧にとっての至上の祝福であった。その祝福を得ることが至上の喜び、祈りの糧。

 神に愛されるためだと、幼かったエイトはたしかにそう口にした。神とはなんだ、と彼は問う。すべてだと答えた。ならば空も海も風も水も空気もお前もオレも、イスや机、食べ物も動物もみんな神だと言うのかと、彼は問うた。エイトは違う、と首を振った。空も海も風も水も空気も自分自身も君も、神ではない。神ではないが、神に作られた神の一片が宿るものだと答えた。ならばこの祈りは、神の宿るすべてのものに対しての祈りなんだな、と彼は言った。違う、と言いたかったはずなのに、エイトは口を閉ざしてしまった。答えが見つからない、それは答えなどなくただそうであるものなのだというのに、それすら凌駕してしまって、違うとも言い切れないまま喉奥で詰まったようにひっかかった。けれどそんなエイトなど知る由もなく、彼は止まることないその口を開けるのだ。
 祈っても神は助けてなんかくれない、と。

 ならば彼はなにに祈っているのだろうか。






 わっ と子供の泣き声が橋のたもとであがった。ミサに訪れた大人に連れ立ってきた子供だろうか、年端もいかないゆえ、神がなにかを完全に理解しない。けれど親を倣い祈りを捧げる未来の羊。駆け寄った母親が子供を抱き起こし、父親がその足の傷にホイミをかければ、傷はやわらかな光に包まれ、それを癒していく。
 そう、あれが神の力だ。人を癒す力、聖なる力、風を操る力…風は元々、雷に由来する神の力だ。そして左手に区分する、死の力。人はそれを理解することは出来ない。けれど知ることでその結果、祝福されれば蘇生呪文すら覚えることができるだろう。

 いまだあの質問を投げかけられたら、答えることは出来ないと思う。

 マイエラへの扉を開くと、キリエを奏でるパイプオルガンの音色が部屋中に響いていた。光を受け止めるステンドグラスはゆるやかな光を纏い、礼拝堂は穏やかで少しはりつめた空気を充満させていた。


 ならば彼は今、なにに祈りを……


 光差し込む窓、その光の中神の元へ行けるならば、ただひとつの祈りを胸に導かれたいと、そう思った。神のためではない、自分以外のただひとり、願いにも似た祈りをひとつだけ。





 その祈りが生まれ出るその理由を、彼はまだ、わからずにいるけれど。






 



2万ヒットありがとう記念リク第8弾、そのいち。
ケイさんへ〜……なんですけど本当にこの続きでいいのですか?
更新とまりまくりでしたがそろそろ再開しますよ〜というかなぜこんなに止まっていたのかというとどうにかしてカリスマさんを幸せにしたいと考えていたら無理がありすぎてへいこらしていたというわけです。すみませ…
さぁてカリスマさん幸せになれるかなー ニヤニヤ(←鬼)

2005/2/24 ナミコ
2005/9/25 加筆修正