恋と喧嘩はマイエラの華 4







 ミサが終わってからエイトが行うべく執務はデスクワークであり、しかも団長に代わっての書類見分と判子押しとくれば疎かになってはいけない筈なのだが、いかんせんもろもろの事情で昨日一睡もすることの叶わなかった彼は、温かな日差しと自らの体温でもってうとうとと垂れるまぶたの重みに陥落しそうになるのと必死に戦っていた。
 けれどいつしかその格闘も、仕事がはかどればと団員たちがもたらした気遣い、つまり誰もいない静かな執務室、そのおかげで穏やかに眠りに誘われるはめとなるのだ。眠るまい、眠るまいとまぶたをこじ開けど、単調にそれだけを繰り返す意識はするすると遠く眠りの淵へ吸い込まれる。かくんと首が倒れ、頭を振って意識を取り戻し、また首は倒れる。それを数回繰り返す頃、エイトは本当の眠りの中に深く落ちていった。

 ドアが開く音すら、意識から遠く離されて。

 声もなく、そっと気配を忍ばせて入ってきたのは誰だったのか。優しく髪を撫でる手が、名残惜しいような(白く優しい冷たい手)。





 ぱちん、と目を開けた時、その部屋は柔らかな黄金色の光に包まれ満ちていた。机の上に広がる書類にほのかな色をのせやわらかく輝くその部屋を見回すと、窓の近くに見慣れた人を見つけたのだけれど、起きたてのまだ完全に覚醒しきれない意識は夢と現の狭間をさ迷うようにふわふわと泳いだ。

「起きたのか?」

 低く柔らかな声だった。この部屋と夢現のような意識にとてもよくなじみ、心地のよいもの。嫌いではない、それは家族のようなもので兄のようなものであった。彼はゆっくりとこちらに近づき、そして掌を頬に添える。碧の目が優しく覗き込み、そして触れ合う小さなくちづけを挨拶のように取り交わし、ゆっくり離れていった。
「…あ、仕事……!!!」
 まるでそれがキッカケであったかのように、弾けるように目を醒ましたエイトは慌てて机に視線を落とした―――――焦りと自分の迂闊さに対する苛立ち、オロオロと書類に伸ばす手を、遮るように掴んだのは碧の目の彼であった。

「それは私がすべて片付けておいた」
 ほっと安堵が胸に降りたのも束の間。すぐさまああ、与えられた自分の仕事すら満足に出来ないと、焦りは申し訳なさと同居して混乱したように舞い込んでくる。
「ご、ごめんなさいっ!!」
 自分の仕事も満足にできないなんて、そんなこと、思われたくない。呆れられたくないと、そう思うからこそ、胸をよぎったほんの少しの恐怖に怯えたりもするのだ。

「お前は私が思った以上のことをいつもしてくれているからな。完璧で結構、だからこそ許せる」
 それは上に立つものも言葉であった。ねぎらい、励まし、笑う彼はまさしく上に立つ器量と度量を兼ね揃えていたのに。にやり、と彼は意地悪く笑い、ふたりきりの夜にだけ見せるあの顔に戻して、私にも責任はある、と言った。エイトの頬は昨夜を思い出し、赤に揺らめく。くつくつとこらえるような笑い声がかすかに耳を掠め、余計に恥ずかしさは増すばかりで。

「……もう、…ありがとうございます」

 でもそれは、とても穏やかな凪のような気持ちであったと、そう思う。やわらかに微笑んでその気持ちを抱きかかえ、そっと目を瞑りたゆたうような。満たされている、と言えばいいのだろうか。けれどそんな言葉ではこの思いは完全に表現しきれないだろうけど、でもそれとよく似ている、安堵のようなものだ。ぴたりと型にはまるような、大丈夫、これでよかったのだというような、そんな。

 エイトは心を確かめるように少し前右側の自分の髪を梳いた。とくん、と心臓が眠りの淵間際のことを思い出し、ほころびるような胸のあたたかさを取り戻した。

「髪、撫でてくれたんですか?」
「なんだ」

 ぱち、とまばたきをした目がこちらを見つめ、秘密を揶揄するように微笑んだ彼はゆっくり手を組んでひだまりを背にする。美しい人だ、そして似ていると、口にしたらきっとものすごく腹を立ててしまうのだろうけど、でもやっぱりほんのかすかな面差しや、吸い込まれるような目が、どこか彷彿とさせる共通点。やはり兄弟なのだと、そう思ってしまう一時を作り出す。そして美しいということは、それだけで心を響かせるものとなる。思えば昔も、また。

「そのようなものを強請るとは、まるで子供だな」
「えっ、…でも、だって…眠っているとき、貴方が撫でてくれたんでしょう?」
 掌と指先は優しく伸び、髪を梳いてゆくのを楽しむように上と下とを行き来していった。
「夢でも見たんだろう。そうだな、お前が望むなら」
 くしゃりと髪をひとふさまじえるようにこめかみのあたりを撫でられる。
(白く優しい冷たい……?)

 頭を撫でなれる感覚は嫌いではなかった。むしろ心地よく、忘れている何かを彷彿とさせるような気持ちになって好きだった。
 けれど、やっぱりなんかちょっと、違う……(ような気がする)。



 あれはゆめ?






 



2万ヒットありがとう記念リク第8弾、そのさん。
本当はその伍くらいまでやろうかと思いましたが、ム……リ、でしたよ。
なんとなくこのエイトさん面食いっぽいの思うのは私だけ?なのかなぁ…

2005/2/26 ナミコ
2005/9/25 加筆修正