マイエラに燃ゆる 2






 ヒバリの鳴き声に目覚めるいつもの朝。
 虚ろな意識のままエイトは起き上がり、顔を洗い、そして誰よりも早く聖堂に赴いている。いつもだったら。けれど息苦しく身動きのままならないそれ。いつもの朝とは違うなにか。そして瞬時に昨夜あった出来事がフラッシュバックする。気恥ずかしいような、嬉しいような妙な感覚を抱きながらエイトは自分を抱きかかえ眠る男の腕を持ち上げ抜け出し、それからやっと起き上がった。腰の気だるさにも関わらず、気分は爽快としている。どうしてだろうか。

「夢…じゃない、さ」
 いまだ眠り続けるククールの顔を丹念に覗き込んだすえ、エイトは穏やかな寝息を繰り返す鼻をつまみ上げた。
 すぐに起きるかと思っていたのに、器用なことに口から呼吸し出すククールに、悪戯心が芽生えたエイトはまるで人工呼吸でもするかのように唇を押し当てそれで蓋をした。ククールの吐き出す二酸化炭素がエイトの口の中に押し込まれていく。
 10秒くらい経った頃だろうか、少し息苦しさをあらわし始めたククールは30秒後には顔を赤くさせ、それでもいまだ眠り続ける。まだ、あと少し、もう少し、とエイトの好奇心はあとからあとから湧き出るので、1分と差し迫った頃やっとおぼろげにうっすら目を開けたククールに気付かれた瞬間「殺す気か!」と引っぺがされベッドに押し付けられていた。

「まさか」
 くすくす笑うエイトを、肩で息をしながらククールは恨めしげに目を伏せて見た。乱れ髪が朝の光に透けている。
「夢かなあとか思ったんだ、これでも」
 伏せられていた目がパチと開かれ見つめられ、エイトはむず痒いような感覚を覚えた。それは予感めいたもので長く男の肌と視線を知っているエイトならではの長年の感覚のようなものだった。
 それからまた伏せられるのではなく、細められた目の意図に、それでもわかっていながらドキリとさせられたなんて、ずいぶん可愛いものじゃあないかとエイトはごまかすためにひとりごちた。

「夢みたいな時間だったけどな」
 オレも現実感がねぇと言い、ククールはエイトの首筋にやんわり噛み付いた。ほんのちょっとだけ、赤くなるくらいの力の隙間から顔を出した舌先がちろちろと鎖骨を辿っていく。そのやんわり触れていくようなくすぐったさと、快さが伴うようなむず痒さとが混ざり合い、エイトは身体を少し強張らせる。「しょっぱい」とちいさく笑うククールの声に、エイトは自分の体温がカッと上がっていくのを感じる。シャワーもあびていないと、瞬間的に思った。
 夢現のような性交をした、けれど終わったときの実感がなく、むしろ曖昧だった。わめいて泣いて、それからのことは鮮明には覚えていない――――……はっきりしているのは、たしかにはっきりとわかっているのは、すっきりしたということ。それだけ。
 喉の奥の肺、心臓と呼ぶには単純すぎ、心と呼ぶには複雑すぎる感情を顕著に表す器官に長年つっかえついたものが溶けたから。

「やめろってば!!」
 しょっぱいと笑われた、その瞬間から徹底して対抗しているというのに、その隙間を抜け目なく狙って手を伸ばし、まるで戯れるように顔を押しつけ舌をだすククールは「汗のにおいがする」と、ない胸の谷に舌を滑らせていくものだから、エイトは本気で泣きそうになって、それを隠すこともできず喉はひきつった声をあげた。
「いやだって言ってんのに…」
 汗のにおいなんて気持ちのいいものでもないだろうし、ましてやしょっぱいなんて、わかっているものをわざわざ舐めとるククールの行動は、エイトにとって不可解すぎて泣きたくなった。
 本当は夢で、昨日のことは全部夢で、また同じようにあの日のようなことを繰り返したんじゃないだろうか。
 そう思いだしたら止まらなかった。
 やっぱりオレのことなんか……続く言葉は言いたくなかった。言ったらもっと惨めになる気がした。こんなにもククールが好きだって認めてしまった後だからこそ、余計に。
 出かかった言葉を飲み干して、それでも熱いものがこみあげる。だめだ、こらえられない。だってあんなにも泣いたから、まだ残っているんだ。感情に触れる涙をたやすく流してしまうことを、まだ。

「そんなに嫌か?そりゃー何日もフロ入ってねーとかだったらアレだけどさ、こういうのは違うだろ」
 ククールはエイトをぎゅうと自分の胸に押しつける。エイトの鼻孔からくすぐるように入り込んだのは汗のにおいにまじったククールのにおい。
「好きなやつの汗のにおいって、なんかドキドキするだろ?」
 エイトの顔はぼんと火を吹くほど熱を持った。
 今、好きな奴っていった。自分のことだ、そうなんだ、夢じゃない?…夢じゃない。
 エイトは嬉しくなって思うまま、埋めていたククールの胸のあたりに小さく唇を落とし、好奇心ついでに舌先で舐める。
 汗の味だ、と思ったのに、ククールは意地悪く笑い、エイトをたたみかけていく。
「ちょっとしょっぱくって、刺激的だろ?」これみたいでと、ククールはエイトの男根を撫で上げた。
 びくり、と跳ね上がるエイトはまんまと火をつけられたことを自覚する。たぶん、きっと、はじめから。目覚める前からそうするつもりでいたんだ。
 朝だからかなんなのか、準備中さながらのそれをこすりつけられエイトは唇をすぼめてうつむいた。断る理由もない。エイトもまた、ククールを欲しいと思ったのだから。だからああして起こしたのだから。





(しんじられない…)
 思い出せば顔が火照る、まるで焼き付け忘れなくなるくらい執拗な性交を、朝から繰り返した。
 ほんのちょっとしたかっただけだったのに、ほんのちょっとでは飽き足らない時間をベッドとバスルームで過ごす羽目になった。ミサの準備をしに、聖堂へ向かわなくてはいけなかったのに。
 ククールはエイト以外にも当番として割り振られている団員達がすでに準備にかかっていると、わかっていた。わかっていたから、きっとエイトの発言を受け入れなかった。いれたまんまバスルームへ移動し、泡と水と精液でべたべたになりながら楽しんだ。
 それから開放されたのはやっと、つい先ほどで。

(走らなきゃ遅れるってわかってるのに、走れない……)
 痛みは慣れによって感じることはなかった。けれど激しく酷使した代償は、言いえぬだるさとなって押しとどめられている。

「遅くなりました。申し訳ございません」
 木製のドアをこんなにも重々しく気まずい気持ちで開けたのは初めてかもしれない。戸惑いがちのいくつもの双眸が、エイトをとらえている。
 整然と整列された団員達の間をいく。その奥の奥、誰よりも上座に近い神官の、それを護衛し仕える騎士団長の隣が、エイトのあるべき定められた場所。うつむきがちのエイトは厳かな雰囲気の中を通り抜け、そこへいく。
 まぶしいほどににこりと微笑んだ神官が、物言わず振り返り、仰いだ天を見、胸に十字切る。
 隣へ滑り込むエイトを見て、マルチェロは苦く笑う。
 その甘んじた真意を、肌で感じ取ったエイトは暗く俯き唇を噛んだ。忘れようとしていたことは、大きく目の前を塞ぐ壁となる。
 償いを、忘れぬ等しき神の子であるならば、苦しむ胸は人のもの、だ。





 


2005/7/3 ナミコ
2005/9/25 加筆修正