マイエラに燃ゆる 4
「お待たせしました。ありあわせで申し訳ないですが―――」
「構わん」
サンドイッチの乗った皿を置く。切れ端のようにどちらか一方が薄く、もう片方が厚い不恰好なサンドイッチはそれだけでありあわせだと言うことを主張している。時間が経ち、しなったレタスは決しておいしそうには見えないけれど、マルチェロは早々に手を伸ばしてそれを口にした。ぱくりと、ひとくちふたくちでおさまり、そう咀嚼せずとも飲み込まれていってしまうその有様を見て、おなかをすかせた子供みたいだとエイトは目を細めてくすくすと笑った。
「なんだ」
「いいえ」
否定の言葉でなんでもないと言うのにもかかわらず、口端から零れ出す笑いを止める術が見つからない。いつだって笑いはそうだ。訝しげにこちらを見るマルチェロの、その眉根が歪まないうちに理由を言わなければと思うのに、なかなか言葉が出てこないで困ったエイトは一区切り、と口元を笑ましてそれから深く息を吸ってマルチェロに向き合った。
「貴方はいつもいらないと仰るのに、こうして持って来るとちゃんと食べるんだなあって思っただけです」
「食べ物を粗末にしては罰が当たるらしいからな」
そうですかと軽く相槌を打ってエイトはスープを置く。スープはいまだ湯気は勢いよく上がっていっていた。ずいぶんと―――ククールが来てから離してくれるまで―――長い間煮詰めてしまったから香りは飛んでるだろうし、味は濃くなってるかもしれなかった。味見はしてないからわからなかったけれど、でもたぶんそうだ。長く料理に携わっていれば、味など見なくてもなんとなしにわかってしまうこと。
それなのにだ、熱いスープをゆっくりすすり、「うまい」とお世辞を言うのはマルチェロなりの優しさなのだろう。食べ物を粗末にしてはいけないと、すべて平らげるその言動行動もまた。
皿の上のものすべて平らげたマルチェロに、もう一度紅茶を入れてから、エイトは食器を片付け始めた。
「ビスケット、もう少し出しましょうか」
「いらん」
マルチェロは不機嫌そうな顔のまま、紅茶に口を付けている。静かな部屋の、静かな沈黙。エイトはそれを心地いいとは思わなかったけど、耐え難い程苦痛とも感じなかった。むしろ苦痛を感じていたのはマルチェロだったかもしれない。
「嫌な香りだ」
「え……?紅茶、お嫌いでしたっけ?」
「………」
それから口をつぐんでしまったマルチェロを見て、エイトはなんらかの理由で自分が彼を怒らせてしまったんだなと、長年の経験からそれに気づいた。マルチェロは湧き出した激昂を露にしない。激昂をそのまま、棘をさすようにぶつけるのはククールだけで、他のものには柔和に団長の立場らしく振る舞う。そしてエイトには、こうして口をつぐんでしまうから。
たぶん、きっと。
「オレ、なにかしましたか?」
エイトの言葉にマルチェロは自嘲的に笑い「わからなければいい」と、カップを置いた。カップの中には少しの紅茶が残り、揺らめいている。
「そんなことより体調はいいのか」
「体調―――というよりは、ただ寝不足なだけでしたから」
「そうか、それは私のせいでもあったな」
思い出したようにマルチェロは小さく口端を上げる。伏し目がちにこちらを見るそれは、誘うためのものだ。いつもは享受してしまうそれも、今日はわずかに緊張してしまう。
首を振りたい、もうしないと宣言したい、だけれどそんなことをしたら、この人はどんなにか怒るだろうか。
「…団長はそんなに旺盛でしたっけ?今までは翌日にミサのない日だけだったのに、ここのところ毎日―――」
「愛していると、言っただろう」
熱っぽくマルチェロは囁きかけた。エイトはなにを、という気持ちになって眉をひそめる。そうだ、なにを今さらそんなことを言うのだろうか。はじめからあてつけのためにと利用してきたのに、今さら情が湧いたとでも言うのだろうか。
「…貴方はいつも祝福だと」
「信じていたのか?」
祝福という言葉が、マルチェロの建前になっているということはとっくから気付いていたし、あの睦言がムードを盛り上げるためのものではなく、本当の言葉だったというのもわかっていた。冗談でものを言えるほど、マルチェロは器用ではなかったから。
だけれどそれにあえて乗ってしまえと、エイトの心の半分は囁き、正直に言えばいいともう半分は言っていた。嘘をつくのは簡単だ、自分の心を覆い隠して守っていくだけなのだから。
「…そうじゃないことくらい、わかっていました」
「だったら」
するりと伸びた手がエイトを強く引き寄せた。抱き込まれた腕の中はその人の世界すべてだと、思わなくてはいけない。引き込ませようとする海にのまれるのも溺れるのも自分次第だ。
「嫌です」
くちづけに近づく唇がぴたりと止まり、碧の目がエイトを見る。張りつめたものが奥に漂っていると、エイトは思った。
「ダメです…仕事も終わらない内からなんて」
引き寄せられた身体をやんわり離すよう促した。不服そうな口元、けれど瞳から張りつめたものは消え去っていたと思う。
「ふむ、では仕事が終わってからお相手願うとする」
するりと隣を抜ける間、掠めとるように唇を奪われエイトはどきりとする。正直に告げる事の出来なかった代償は時が経てば経つ程大きく重くのしかかるのだろうに。
(ごめんなさい)
重くのしかかるそれが軽くなるわけではないけれど、それでも言わずにはいられない。
マルチェロは机に向かい、また相当量の仕事を着実に終わらせて行く。それを補佐するのが、自分の仕事なのだけれど。
「オレは―――ドニに野菜類調達の指示を出し、そのまま港へ参ります」
ことづければいいことを、自らやるということはどのように彼の目にうつるだろうか。マルチェロを傷つけたくないと思う心は、咎めた良心がそうであればいいと願う安心感を得るためのものだ。本当は、傷つく自分の心だけを大切にしている。そうでなければ、こんなにも優柔不断になることはないのに。
部屋から出るときに一礼するそのとき、碧の目がもの言いたげにこちらを見ていたけれど、エイトはかちゃりと音をたてた食器に気をとられたふりをして、振り返らなかった。
愛している、といえばたしかにそれは愛なのかもしれないけれど、でも、恋情じゃない。恋焦がれるような気持ちはただひとりだけへのものだから。
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長らくお待たせしました〜、再開、です。
恋情と親愛を書き表せたらいいと思いながら、です。
2005/9/26 ナミコ