マイエラに燃ゆる 5






 港へ行った、というよりは、港から少し離れた海岸へ魚を取りに出かけたという方が正しかったのかもしれない。なるべく質素に質素に、ともなれば当然金銭にも余裕が出るだろうけれども、それをよしとしない院長はそうして浮き上がった金銭を貧しき人達に施しているのを知っている。
 ならばなるべく自給自足を心がけたほうがいいのだ、自分で出来る限りは―――と、魚も肉も狩るか釣るかをしている数年。こうしてエイトが自ら赴くなんて、この地位についてからはまったく久しい限りのことだったけれど、でも、なるべくなら自分がやった方が効率がいいとつい赴いてしまった。

「よし」

 浜辺に立ったエイトはブーツを脱ぎ捨て裸足になり、ひらひらとした団員服だって砂浜の上に放り投げて腕まくりで海に向かっている。ちょうど副団長になるくらいの頃に覚えた呪文は、戦いにこそと思っていたのに、でもこういう使い方もあるらしい。にや、と口端を上げて呪文の詠唱を。

「ライデイン!!」
 一瞬暗くなった空、ついで空を割って雷は海へと落ちた。加減したとはいえ、空気越しに肌を伝わる痺れに思わず眉は潜められた。ふう、と一息ついて波打ち際へ近づけば、次から次へと浮かびくる魚の姿。水を介して痺れた魚達は海上に浮き上がり、まな板の上の鯉となる。
(これで当分魚には困らない)
 あらかじめ持ってきていた袋に、手当たり次第魚を放り込む。それは食料調達用の、人一人ぐらいなら余裕で入ってしまえるくらいに大きな袋だったけれど、浮かび上がった魚全て詰め込んだら二袋ぶんにもなってしまった。一人で担ぎ上げ、持って帰るにはどれくらいかかるだろうか、と思う。もしも歩いて帰るならばのことだけれど、でも、エイトにはルーラがあるからそんなこと気にしなくたっていいのだ。上着を手に取りブーツをつかみ、よいしょと袋に手に触れそれからエイトは呪文を唱えた。「ルーラ」と。

 ふわり、と飛ぶようにいつもなら着地できるのに、今日はズシリと足に重みが残った。ルーラを使うと、いつも正門でなく裏口に飛んで来る。なぜだろうか、院長に手を引かれてきたとき、初めて見たのは橋の真ん中からゆく石造りの正門だったというのに。
 ルーラは思い描くイメージの強さが影響して、辿り着く場所も変わるのだと聞いた事がある。それはここが―――エイトにとって深層的にマイエラで最も強い印象を持つ場所だと言うのだろうか。
 でも、よかったと思うのは、さすがに生魚を持って聖堂を横切る事は憚られたからだ。木製のドアに手をかければ重々しく荘厳な鐘の音が響く。日に三度の祈りの時間が来たことを知らせる鐘。騎士団員達は聖堂へ向かっただろうか、この時間そこに赴かないのは限られた人達だけだった。自室で祈りを捧げるオディロ院長、その警護の者たちと、執務室で激務をこなす団長と、多くの団員達の食事を用意するために厨房へつきっきりとなっている数人の小僧たち。いつもならあの聖堂で祈りを捧げているか、執務室で団長の仕事を手伝っているか、どちらかであるエイトをみつけたら、彼らはどんな反応をするだろうか。
 誰もいない石畳の通路を行き、奥まった騎士団の館に足を踏み入れまっすぐ厨房へ向かう。
「あ」
 強烈な赤に目を奪われて、短絡的な声をあげる。小僧がまるくした目でこちらを見ていたが、それに気取られることはなかった。
「なんて格好してやがる」
 どさ、と魚の入った袋を床に下ろし、エイトは苦笑いをする。「魚を取ってきたよ」だから今夜は焼き魚にしてよ、とエイトは小僧達に頼んだ。ところどころから小さくはい、と声が聞こえるのを確認して、それから依然と不機嫌そうな表情を貼り付けたままのククールに向かい合う。
「君こそ、どうして厨房に?」
 祈りの時間に聖堂にククールが現れないことなんて、あたりまえのようなことだったけれど、それでもその時間に厨房にいるというのはなんだか奇妙に思えた。
「別にオレは―――こいつらの手際が悪ぃから」
 バツが悪そうに言葉を飲み込むククールの、意外な優しさや普段は隠されて見えない面倒見のよさだとかをエイトは知っている。随分長い間、それは風化してしまうくらい閉ざされ見えないままでいたけれど、ほんのつい昨日、再び触れては鮮やかに色を取り戻した。不思議なものだ、とうに忘れかけていたというのに。
「料理の手ほどきを?ふふ、最近小僧達の料理の腕があがったと思っていたけど、つまり君のおかげだったんだ」
 思い出すような嬉しさを微笑みにかえて、エイトはククールに笑いかけた。少したじろいで「うるせぇな」と、憎まれ口を叩くククールだけれど、エイトはその真意を汲み取ってしまってはさらに口端を上げてしまうことになるのだ。
「手ほどきついでにこっちも手伝ってくれる?干物にして日持ちさせたいんだ」
 引き結んだ口はそのままでも、目は優しくこちら向いていた。手にした銀色のナイフがイエスの証ならば、答えるように樽いっぱいの水を汲んで、厨房の隅陣取った。向かい合わせに座って無言に魚を手に取る。それは大量の魚ゆえに途方もない作業に思えたけれど、どこかそれすら嬉しいような気がして、俯いた顔に思わず浮かび上がってしまった笑顔を手元に没頭するふりをしてエイトは必死に隠した。








裏口の話は後日改めて少年時代あたりに書きたいと思います(また確証のない宣言を!!!)

2005/9/30 ナミコ