マイエラに燃ゆる 6






 くん、と鼻を二の腕のあたりに押し付けて見れば、やはりというべきか、魚のにおいが染み付いていて眉を顰めざるを得なかった。それでもまだ、作業に没頭する前から服を脱いでいたエイトはまだよかったのだ、バスルームに放り込んだ服は砂と塩でべたべたになっていたけれど、それでもじっとりとした魚のにおいがしみついたわけではないのだから。

「くっせー!くっせー!!もー、マジで信じられないンすけどー!!」
 口に出来る限りの不満を思いつくままに発しているククールはと言えば、騎士団の中では異例の規則違反の赤い制服をエイトに押し付けて、泡を大量に落としたバスタブの中で優雅に湯船に使っていた。そう、その隣でククールの服を泡に浸からせているのはエイトだ。
「ごめんね」
 泡を叩き込みながら丹念に洗っていく。強すぎるこのにおいはなかなか粘着質で落ちにくいのを知っていたからこそ、余計に力がこもるのだ。いつも爽やかで少しだけ甘ったるい香りをさせているククールなのに、それにちょっと生臭さが感じられるなんてなんだかとても嫌だった。
「本当に悪いって思ってる?」
 ワントーン下がった声がこちらを見据えているような気がして、エイトは動かしていた手を止めてそちらに目を向けてやるのだ「勿論」と。するとククールはやおら渋い顔をして小さく舌打ち、むしろおもむろに「くそ」だとか呟いてはあさっての方を向いてしまう。

「ご機嫌斜めなの?」
 泡だらけの手もそのままに、エイトはバスタブの縁に腰掛けて泡と湯船に落ちた銀糸をすくい上げる。艶やかな髪、含んだ水を滴らせて下へ下へ細やかな雫の粒を作っていく。
 きれいだな、と思い、エイトは自然とそれにくちづける。愛しい者の、美しいもちもの。下へと落ちる雫がエイトのくちびるを艶に濡らし、ぽたり、と膝のあたりに染みを作った。
 くつり、と口の中で転がしたような笑い声、それから。
「ダーリン、キスをしてくれるかい?」
「君が望むなら―――」
 上向きに向いて薄く開いた唇に、そっと近づいていく。しっとりと、軽く触れ合わさった唇の間を吐息の熱がふわふわ漂って。
「、わっ!?」
 引き込まれた湯船に頭から落ちる。ばっちゃんと水を打つ音が聞こえたのは途中までで、それからは泡立った気泡が水中を上へ上へと泳いでいく音。エイトもそれと一緒に上へ上へと向かった。
 浮き上がって晒された空気がひやりと肌を冷やす。ぴったり目を覆い隠してしまうずぶ濡れの髪をかきあげる余裕もなく覆いかぶさる影?酸素を奪われるくちづけ。
「ん、うぅ…ん」
 呻く声さえ飲み込んで、その隙間から入り込んで、もがきざま突っぱねるために手を伸ばした腕はいつの間にか首に回ってきつく抱きしめ返す。

 肌に張り付いた服がキモチワルイだろ、と乱暴に服を取り払う指先。ダメだ、と思う。服を洗わなくちゃ、そしてすぐに乾かして、乾かなくったっていい。

 行かなくちゃ。何処に?彼の元に。約束は果たせなくても、誠実でありたいと。

 くちづけが深まるたびに沈んでいく身体、水の中押し込まれて殺されてしまいそうだ。ゴポ、くちびるはもう水中に、そして次に鼻腔が浸されて、まさに息もつけないくちづけ。なんて思ったのは初めだけ、つんと鼻奥に走る鈍い痛みに眉を顰めて力いっぱい突き放して「ククール!!」悪戯に上気した頬で見下ろされるなんて、それをどうして嬉しいと感じるのか。
「キスをしてくれるかい、ハニー」
 くちびるにくちびるをつけるだけの行為だというのに、今はもう気恥ずかしさを感じる。おずおずと下からくちづけを。しっとり、は変わらず先ほどのままに触れ合うのに、唇も肩を抱く腕も、今度はどこまでも優しかった。
 くちびるのあいだに吐息の熱、だ。閉じていたまぶたを開けば青い目が柔らかに笑ってこちらを見ていた。ドキリ、とひときわ大きく心臓が跳ねて、それから苦しくなる。
「もっと優しくしてやるよ」
 心地いい声が耳元で囁かれ、身体が震えた。よろこんでいるのかと、ぼんやり思っているうちに足を割られ、抱きこまれた腕の中で耳たぶを甘噛みされた。

「ククー…」
 優しいというには緩慢で、焦らすというには思いが溢れ過ぎている指がつらつらと肌を辿る。触れる事を楽しみ慈しみ欲情しているのか。
「きつくねえか?」
「ふッ、ぅン…、ア!!」
 膨れ上がったそれを布越しに撫で上げられれば、背筋をぞくぞくと上って行く感覚に声は意図せずに甲高く漏れた。小さな声でもどうしてここはこんなにも大きく声が反響するんだ、と恨みがましくククールを睨みつければ、にや、と口端をあげてこちらを見た。おりてくる指がやけにゆっくりと感じられるのは焦れてるせいか、それともほんとうに緩慢なのか、昂っていく身体に浮かされて取り留めもないように感じた。水に濡れて滑りの悪いジッパーを、ときおりつっかえながらおろされていく微かな振動さえ、思わず身じろぐほどに伝わった。まだたった一度だけだ、それなのに愛されることをひどく期待している。抱かれたいと、気持ちだけどんどん先走っている。

「えっちなエイト。オレまだちょっとしか触ってねえのに」
 張り付いたボトムを引きはがされれば、ひやりと生温い湯が肌に馴染むけど、下着ごと持っていかれたせいなのか、どこか心許なささえ感じたエイトはククールに強く抱きついた。
「積極的だな」
 浮力が手伝って、思いのほか強い勢いで飛び込む形となったククールの腕の中で、ぴったりとくっついたのは抱きしめ合った身体と、身体中の熱を持って昂ったお互いのもの。そんなつもりなかった、なんて言ったってククールはそれを承知しているし、知っているからこそあえて言っているのだ。だったら乗じてしまえと、本当に欲しいのは変わりないのだからと、思い切ってエイトは腰を上下させ、擦り付けてさえみせた。
「んんッ、ククールだって…!!」
 ふれあい、また昂っていく。温かかったはずの湯が、いまはもう生温く、水に近いような気がした。ゆらゆら、バスタブに張った湯はエイトの動きを追って揺らめく。
「オレとエイトの、一緒に気持ちよくさせてよ?」
「や、…だ!優しくして、ね、気持ちよくして?」
 いやいやと、頭を振る。髪に残っていた水が、外気にさらされ驚く程冷たくなってあたりに散った。まるで子供みたいな仕草をするエイトの頬に、ククールは愛しいものを見るように手を這わした。
「わがまま」
 言うと共にククールは後腔に指を入れる。すんなりと人差し指を飲み込んでいくそれは、中をすりあげてはもう1本、もう1本と指は増えていった。もうなにも考えられない。
 ひっきりなしに漏れる嬌声を隠しもしないのは、もう意識のほとんどがそっちに集中してしまっているからだ。きっと正気に戻ったら死ぬ程恥ずかしがるだろうに、と思いながらククールは指を引き抜き、また入れてと、抽挿を繰り返す。
「やだ、…指じゃ、アァッ!!」
「指だけでこんななのに、入れたら壊れちまうかもよ」
 絶え間ない抽挿はあっさりと途切れ、後腔から出ていった。抱え上げた膝を身体に押しあてあてがえば、ひくり、と震える襞と同様にエイトの喉も震える。
「ク…、クー……」
 掠れた声がククールを呼ぶ。まるでそれが合図だったかのようにククールはあてがったそれを少し、エイトへと進めた。バスタブの壁に背中を押しあて、貫くというよりは滑りのいい襞に飲み込まれていくように進めていけばぴたりとおさまり、途端にきゅうと締め付ける。
「風呂ン中のせいか?動きにくいんだけど、…よっ」
「ん、アんっ!!」
 繋がったままに抱きかかえ、くるりと反転して上下が入れ替わった。バスタブの冷えた壁に背を預けるのはククールで、その上に繋がったままで跨がるのはエイト。どんなに足に力を入れても水に滑り、そして重力が深くふたりを結びつける。
「や、だ…動」
「なに?動いて欲しい?」
「アッ、ア、ァアッ、アッ」
 言うまもなく腰を揺らすククールに、ただ言葉を失わざるを得ない状況に成り果てて、それでもエイトは必死に首を振る。違うのだ、慣れない体位に深すぎて、こらえそうにないから待って欲しかったのに。エイトの目から零れた涙は生理的なものだけではなかった筈だ、きっと。

「ゥウン、……ァッ!!」
 弾けるように身体が弓なりにしなり、白濁した液体がエイトとククールの腹を汚した。射精後の脱力感のせいか、半ば倒れるように後ろに崩れていくエイトを、ククールは抱きとめて自分の肩にもたれかからせる。大きく肩で息をするエイトがしがみつくように腕をまわせば、その首筋に唇を落として吸い上げる。チリ、と肌に残るわずかな痛み、その後には鮮やかな赤が彩られるだろう。

「この……ばか……!!!」
 肌に残った小さな赤を堪能するより先に、もたれかかるエイトはククールの肩に歯を立てた。本当に噛み付いているわけではなく、かといって戯れのような甘噛みとは違う痛み。痛くないわけではないだろうに、それでもククールはそれを制さなかった。
「痛いって、エイト。なあ…悪かったって」
 ぽたぽた肩に落ちていく生温い雫。優しく背を撫でられれば、零れる嗚咽を必死に堪えて強く抱きしめ返してやる。
「や…、しく……るって、…ったぁ…」
 一度溢れ出した嗚咽はとどまる事なんかできないんだと言あらわすように、ついにエイトはすすり上げて泣き始めてしまった。そんなつもりじゃなかったのに。まるで初めての女の子みたいだと思ったなんて言ったら、怒るだろうか。可愛い、と思う腕の中の人の髪にそっとくちづけて耳元に囁いた。
「痛かったか?それとも嫌だった?」
 ぴた、とくっついた身体が深呼吸に一度だけ上下して、それから小さく頭は振られた。じゃあ、「気持ちよすぎて…おかしくなりそうだったんだよな」ことさら小さい囁き声に、肩を噛む犬歯が強く反応したけれど、ククールはそれを甘んじて受け止めてやる。
「お前の顔とか声とか、」
 ひとつ吐息をまじえて思い出すように間をあける。この、膝の上で必死に繋ぎとめるみたいに自分にしがみついて喘いだ姿、声。
「すげー可愛い、し」
 すげーエロい、し。なんて密かな思いは胸の中へ固く閉じ込めて、そう、そんな姿であったなんて自分だけが知っていればいいという欲望と願望。あはは、と渇いた笑いも胸の中だ、本当は笑えないくらいの執着と嫉妬を抱えている。長い間、あいつ、に愛されてきたエイトが、そして今もきっと愛されてるエイトが、自分から失われてしまうのなんてもう許せないと思うような。
「…ごめんな」
 今度はちゃんと優しくすると、エイトに誓ってククールは「動いてもいいか?」と許しをもらい、ゆらゆら優しすぎて緩慢なくらいの動きでまたエイトを高めていった。肩に立てた犬歯はいつの間にかゆるりと外れ、漏れるような吐息と一緒にそれは押し付けられる柔らかな唇へと変わる。途端、熱くなるのは欲望だろう、きっと。情欲というには酷く劣悪なそれはククールの中で渦巻いて飲み込もうとしている。
「な、お前も動いて?」
 右手で腰を抱き、左手を重ね合わせればまるでこれから躍るようにさえ見えた。肩にはそっと、エイトの手が添えられる。ぎこちなく揺れはじめて、エイトの閉じた唇からは漏れるように呼気が零れる。ときおり不意をついて深く結合すれば、思いがけなく跳ねる身体に、閉じられた唇からさえ嬌声が溢れ出す。
 好きだ、と思う。だから夢中にもなるし、優しくしたいと思いながらもふと意識はもってかれる。
(好きだ、好きだ、好きだ)
 溢れてとめどない思いがそのまま伝わればいいと、思ったのは初めてだった。それが美しかろうが汚かろうが、この腕の中抱かれる少年にはすべて知って貰いたいとさえ思えるなんて。

 意識は行為に夢中に。ただ目の前の少年、愛しいエイトを欲しがって、思考もなにもかもが無口になっていく。理性が飛ぶのではない、ただ全身で、繋がる人を感じようと思った。それだけだった。









後半だけ付け加えちゃいました。

2005/10/6 ナミコ